今熊野観音寺は、泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院で、泉涌寺の塔頭の一つです。
元々は広大な寺域を持っていた庶民信仰の大寺だったのですが、応仁の乱で壊滅的な状態になり、隣接する泉涌寺に山内諸院が合流して今の形になったそうです。
山号は新那智山。
御本尊は十一面観世音菩薩。
御本尊の脇士として不動明王、毘沙門天がいます。
開祖は弘法大師空海です。
- 西国三十三ヶ所観音霊場(第十五番札所)
- ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場(第一番札所)
- 泉涌寺七福神(えびす神)
- 洛陽三十三所観音霊場(第十九番札所)
- 神仏霊場会(122番・京都42番)
という、数々の札所になっています。
縁起
弘法大師 空海が東寺にいる時、東寺から東方にあたる東山に不思議な光を感じました。
その山に行ってみると一人の老翁が現れ、手にした一寸八分の十一面観世音菩薩を大師に手渡し、
「ここは観音の聖地。これを祀って人々を導き救いなさい」
と述べ、姿を消したそうです。
それを熊野権現の化身であると感じた大師は、嵯峨天皇にこのことを報告、天皇は観音寺の寺号で伽藍を建立し、開運厄除のお寺として開創されました。
その際、新たに一尺八寸の尊像を大師自ら制作し、一寸八分の小さな像胎内に納め、それを御本尊(熊野権現の本地仏)としています。
頭の観音さんのエピソード
今熊野観音寺は「頭の観音さん」と信仰されています。
枕元に立たれたり夢に現れて示されたりして救って下さるんですね^^
それにまつわる面白いエピソードがあります^^
今熊野観音寺を深く信奉していたのは、平安時代末期の後白河法皇です。
熊野権現を信仰されていたこともあり、この地に勧請し、観音様を本地仏としたのも後白河法皇なんです。
後白河法皇は頭痛の持病を持っていて、今熊野観音に頭痛平癒の祈願を続けていたところ、ある日枕元に観音様が現れ、その頭痛は前世に深く関係していることをお示しになりました。
法王の前世は蓮華坊という僧侶だったそうですが、その頭蓋骨が岩田川(現在の冨田川)の底に沈んでいて、頭蓋骨を柳の木が貫いて生えており、風が吹くと柳の木が揺れて頭蓋骨に触れ、それが頭痛の原因になっているんだとか。
法王は早速川を調べさせたところ、川底から頭蓋骨が見つかりました。
頭蓋骨と柳の木を持ち帰り、頭蓋骨を千手観音に納め、三十三間堂を建立しました。
柳の木は、三十三間堂の梁に使われています。
このことから後白河法皇は頭痛はたちまち癒えてしまい、今熊野観音をさらに篤く信仰されるようになりました。
今熊野観音寺には、このような霊験記が他にもたくさんあるようですよ^^
今日でも不思議な霊験をお受けになる方々がいて、頭痛封じ・智慧授かり・学業成就などの頭の観音さまとしてはもとより、厄除開運・健康長寿・中風封じ・ぼけ封じの観音さまとして信仰を集めています。
枕元に立たれる観音様、ということで、「枕宝布」という毎朝祈祷された枕カバーが販売されています(800円)。
境内散策
観音寺の入口にある鳥居橋を渡り、奥に進むとまず最初にあるのが「子護大師像」です。
「南無大師遍照金剛と唱えながら四国八十八箇所のお砂を踏んでお大師様を廻って下さい」
という看板があり、大師像の下には砂利が敷かれています。
子守り大師なので、学業成就、交通安全、心身健康、諸芸上達といったご利益があるそうで、ここではよく孫を想うお年寄りがこの廻りを回っているようです。
子護大師の後ろを登ると本堂があるのですが、その前に「五智の井」という井戸があります。
弘法大師がお寺を開山する際、錫杖をもって岩根を掘ったところ、清らかな水が湧き出したんだそうです。
この水が五智水と言われていて現在も湧き続けており、それがこの五智の井から汲めるようになっています。
しかも、「井戸」と言っても現在は蛇口が付けられていて、水道のように汲めるようになっています。
現代的ですね^^;
そしてこちらが本堂。
本堂の建っている場所は、弘法大師が熊野権現にとお出会いになられた最も神聖なる場所なんだとか^^
中に入って、座って拝むことができます。
観音寺の十一面観世音菩薩は秘仏とされていて直接拝観できません。
その代わりに同じお姿をされた御前立さまがおられます。
脇仏に智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天がいます。
また、泉涌寺七福神の恵比寿様も祀られていますよ^^
堂内中央で上を見ると、後白河法皇頭痛封じ霊験記を表す絵がかけられていました。
ちなみに写真の奥に見える塔は、「医聖堂」という多宝塔です。
本堂の東側には「大師堂」があり、その入口には「ぼけ封じ観音像」があります。
大師堂は弘法大師を祀り、護摩行や修行道場に使われるお堂です。
不動明王、愛染明王、伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像も祀られています。
入口の「ぼけ封じ観音」は私たちをとりまく心や身体のぼけを取り除いて下さる観音さまですね^^
まわりにとりまいている子供達?お爺さんお婆さん?どちらかわかりませんが、ありがたそうな顔してますね^^
ぼけ封じ観音の横には、身代わり石仏がたくさん置かれています。
これは参拝者が奉納したもので、奉納すると本堂で祈祷を受けて、観音様のすぐそばで見守ってもらえるようこの場所に置かれます。
授与所に行くと人形があるので、そこで奉納料(2万円)を支払うと受け付けてもらえるようです。
境内にある熊野権現社と稲荷社の前には、鐘楼があります。
この鐘楼、他のお寺でもあったように太平洋戦争の時に金属回収令によって供出されましたが、観音様のご加護によって元のままの姿で戻ったそうです。
除夜の鐘をつくときにはもちろんこの鐘を使いますが、他のところよりもありがたいかもしれませんね^^
鐘楼の写真の後ろには池が見えていて、上に緩やかに登る坂道になっているのですが、ここから先は上が緑に覆われていて、昼間でもやや暗め。
でも空気が新鮮で気持ちの良いところです^^
向かって右側から上ると、「今熊野西国霊場」、そして池の横には「金龍弁財天」が祀られています。
まずは金龍弁財天。
池の近くで金色の蛇が現れたことがあるそうなのですが、その蛇を神様として祀っているそうです。
下は今熊野西国霊場の巡拝道。
これは西国三十三所霊場の各お寺の御本尊を石仏として置いたもので、1番から33番まで山の斜面を登りながら行います。
それぞれの間隔も短いので、簡単な巡拝ならここで行えますね^^
その巡拝道の途中には、本堂の写真の時に後ろに見えていた「医聖堂」があります。
これは、 医と宗教がともに手をたずさえて、人類が等しく心身ともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますようにとの願いを込めて建てられたそうです。
医界に貢献された多くの方々が祭祀されているほか、檀信徒の方々、それ以外にも宗旨を問わず、特別納骨が行われています。
近くまで行くと全体が良く見えないので、本堂辺りから遠めで見る方がきれいですね^^;
御朱印
今熊野観音寺では5種類の御朱印が用意されています。
- 今熊野観音寺 東山大師
- 西国三十三所 第十五番
- 洛陽三十三観音 第十九番
- 近畿十楽観音 第一番
- 泉涌寺七福神 恵比須神
本堂横の納経所で頂けますが、今のところ3種類頂いています。
また再訪したら追加します。
まずは、今熊野観音寺の御朱印です。
東山大師の印が押されています。
書は、「大」の字がものすごく太くなっていて、失敗したのかと思ったのですがこういう書き方らしいです^^
次は西国三十三所霊場の御朱印と御詠歌です。
こちらが御詠歌です。
「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 佛の誓い あらたなりけり」
と書かれています。
次は洛陽三十三所観音霊場の御朱印です。
オリジナル納経帳はないようです。
しかし霊場巡り専用の納経帳はあって、西国三十三ヵ所観音霊場、洛陽三十三所観音霊場、ぼけ封じ観音霊場の専用納経帳が販売されていました。
価格は洛陽が800円、西国とぼけ封じは1,000円、蛇腹式でシンプルなものです。
西国用の中にはお寺の由緒や御詠歌が書かれていて、各札所で頂くページが決められています。
今熊野観音寺はとても静かなところで、入口の鳥居橋を渡ったところからうぐいすの鳴き声が聞こえたりして、とても落ち着ける場所です。
境内はそこそこの広さなのに人も少なめで、近くに住んでいたら毎日散歩に来たくなるような良い場所ですね^^