おかめさんの物語や、12月の大根焚きで有名な瑞応山 大報恩寺(別名:千本釈迦堂)。
真言宗智山派のお寺です。
寺名は、別名の"千本釈迦堂"の方が有名です^^
1227年の創建ですが、本堂は応仁の乱での唯一戦火を免れたお堂で創建当時のまま、洛中(京都市街地)では最古の建造物なんだそうです。
厄除けや火災除けのパワーが強そうですね^^
そして、失敗は必ず成功となり、七転びは八起きし、念願成就、開運厄除、良縁安産、立身出世、当選、就職、入学、集金すべて成就する寺として知られています。
また、
- 新西国霊場 第十六番札所
- 京都十三佛霊場 第八番札所
- ぼけ封じ観音霊場 第二番札所
- 十楽観音霊場 第二番札所
と、数々の霊場の札所にもなっていますので、御朱印も札所ごとに用意されています。
大報恩寺は、地図で見ると住宅街の中にありますが、北野天満宮の東門から出て、やきもちの天神堂からまっすぐ行く道を歩いていくとあります。
入口から山門をくぐって、本堂前にあるのが、「阿亀桜(おかめざくら)」と言われている立派な枝垂桜!
写真を撮った時はまだ2月だったので残念ながら桜は全く咲いていませんが、例年では3月の下旬頃に咲くそうです。
きれいな姿をしているのが想像できますね^^
そしてこちらが応仁の乱の戦火を逃れた本堂。
本堂にはご本尊の釈迦如来が祀られています。
(秘仏なので直接拝観はできません)
また、柱には応仁の乱の傷跡も残っています。
霊宝殿には、足利義満ゆかりの美術工芸品が多数展示されています。
本堂と霊宝殿はセットで拝観料500円で見学できますよ^^
本堂左横にはぼけ封じ観音像があります。
千本釈迦堂は、ぼけ封じ観音霊場の二番札所でもありますからね^^
本堂右横には七福神の布袋さんの像、そしておかめさんの像があります。
その他境内には「北野経王堂願成就寺」と「不動明王堂」があります。
これはもともと北野天満宮の門前にあった、大きなお寺だったのが、千本釈迦堂に移されてたものです。
足利義満が明徳の乱で倒れた山名氏清をはじめ、兵士を敵味方関係なく冥福を祈るために建てたお寺です。
敵も供養したのは、その猛将ぶりを称えたからですね^^
当時はその大きさは三十三間堂の二倍半もあったそうで、供養を行う「北野経会」は、江戸時代に入るまでは京の中でも最大の行事だったそうです。
しかし、その後荒廃が進んでお堂は解体縮小され、小さくなりました。
さらには明治初年の神仏分離で破却、千本釈迦堂の境内に保管されることになって現在に至ります。
不動明王は、山名氏清の念持仏だそうです。
見落としがちですが、社務所の向かい側には大師堂もあります。
おかめさん物語
阿亀桜の東側には「おかめ塚」とおかめさんの像があります。
そもそもなぜおかめさんの像がここに建てられているのか?というと、こんな悲しいエピソードがあります。
昔、おかめさんという方がいて、おかめの旦那さんである長井飛騨守高次は大工の棟梁でした。
高次は本堂の造営を行っていましたが、代わりのない大事な柱の寸法を誤ってしまい、1本を短く切ってしまいました。
高次が困っているので、妻のおかめは
「枡組を用いたらどうですか?」
とアドバイスをしました。
この発想のおかげで、無事、大堂の骨組みが出来上がったのです。
めでたいはずですが、おかめは
「女の提案で大任を果たしたことが世間に知れては夫が恥をかく。いっそわが身は夫の名声に捧げましょう」
と、上棟式の前に自殺してしまいました。
高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったそうです。
その後、おかめ塚は大工さんの信仰の対象となり、今日も上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られます。
現在京都で使われているおかめの面の上棟御幣は、おかめの徳により、家宅の火災除け、家内安全と繁栄を祈って始められたものです。
おかめ信仰が浸透してますね^^
社務所では、おかめさんに関するおまもりや絵馬、お面、キーホルダーなどが売られています♪
御朱印
千本釈迦堂の御朱印はいくつか種類がありますが、特に霊場巡りで参拝したわけではないので、そのまま御朱印をお願いすると、新西国霊場の朱印を書いていただきました。
もし霊場巡り専用のものを頂きたいのなら、あらかじめお願いした方がいいかもしれません^^