奈良県天理市にある
創建は第10代崇神天皇7年。
大神神社同様、日本最古の神社の一つとされていて物部氏が祭祀し、大和朝廷の武器庫でもありました。
主祭神には
布都御魂大神 ・・・神剣「布都御魂 に宿られる御霊威布留御魂大神 ・・・十種の神宝、天璽十種瑞宝 に宿られる御霊威布都斯魂大神 ・・・三種の神器の一つ、天十握剣に宿られる御霊威
3柱が鎮座していています。
布都御魂は、元々
初代天皇である神武天皇が熊野でピンチの時、高天原から武甕雷神が投げて助けたといわれる神剣です。
人の神ではなく、剣の神が祀られているのが珍しいですね。
石上神宮は、もともと広大な敷地を持っていて、平安時代の白河天皇をはじめ、歴代天皇からの崇敬が厚く、かなりの影響力を持っていました。
日本書紀では「神宮」というと伊勢神宮と石上神宮の2つしかなかったと言われるほどです。
しかし、興福寺との抗争や織田信長の神領没収などで現在の大きさになっています。
石上神宮では国宝も所有していて、
七枝刀 ・・・「しちしとう」とも読む。神功皇后の時代に百済から献上されたと考えられている剣(基本的に非公開)。- 拝殿・・・第72代白河天皇が鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を寄進。
- 摂社
出雲建雄神社拝殿 ・・・鳥羽天皇の代に創建された大寺院「内山永久寺」の遺構。
があります。
境内散策
格式高い佇まいのある、石上神宮の入口、大鳥居。
鳥居の額束には「布都御魂大神」と書かれています。
立派な額束ですね^^
大鳥居をくぐって進むと、社務所のある広い境内があります。
ここには鶏が放し飼いされています。
最初は社務所前に一匹だけいて、模様が珍しかったので写真を撮ったのですが、周りを見渡すと何匹もいるんですね^^
どうやら鶏はここでは眷属のようです。
石上神宮と鶏との関わりは特に見当たらないのですが、これは40年ほど前に奉納されたものなんだとか。
そもそも鶏は記紀神話で神聖視されているものなので、眷属として扱っているのかもしれません。
そしてなぜか、北野天満宮で見られる牛の像もあります。
1体しかありませんでしたが、眷属なのかどうかはわかりません^^;
広場から北に向かうと、早速、重要文化財の楼門が見えてきました。
立派な楼門ですが、これは鎌倉時代末期に作られた楼門で、元々は上層に鐘を吊るしていました。
しかし、明治の神仏分離令で取り外され、売却されてしまったんです。
高い所から見るとこんな感じです。
立派ですね。
鐘楼が吊るされているところも見てみたかったです^^;
この楼門をくぐると、国宝の拝殿があります。
この拝殿は、歴代天皇の中でも特に信仰の厚かった第72代白河天皇(平安時代後期)が、鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を寄進したものです。
拝殿としては現存する最古のものとされています。
そしてこの裏には本殿がありますが、実は本殿は、明治になってから初めて建てられたものです。
もともと石上神宮では本殿がなかったんですね。
石上神宮には、「禁足地」という場所があって、そこには御神体である神剣
そして明治時代に調査して多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「布都御魂」が出てきて、伝承が正しいことが証明されたんですね。
その後本殿を設け、そこに「布都御魂」が祀られるようになったんだそうです。
入った楼門から出て向かい側には階段があり、底を登ると摂社、
下は出雲建雄神社です。
ここには三種の神器、草薙剣のの荒魂である出雲建雄神が祀られていて、主祭神である布都斯魂大神の御子神とも考えられています。
天武天皇の代にここに鎮座したそうです。
出雲建雄神社の拝殿は国宝に指定されています。
立ち入り禁止になっているので、結局お参りは拝殿からではなく本殿で直接行います^^;
この拝殿は、もともとここにあったものではなく、かつて存在した大寺院、内山永久寺の鎮守社、住吉社の拝殿として使われていたものです。
内山永久寺は、平安時代後期の鳥羽天皇の代に創建されたお寺ですが、明治9年の神仏分離で廃寺したんです。
そして住吉社は放火で焼失、残った拝殿がここに移築されました。
なのでこの拝殿は、直接的に石上神宮に関係あるものではありませんが、内山永久寺の建物の遺構として存在する唯一のものなので国宝に指定されています。
本殿前では、国宝の七枝刀を模したお守りや、禁足地から出土した勾玉のお守りなど、ユニークなお守りも販売されていました^^
七枝刀のお守りは、起死回生を願いたい方に御利益があるそうです。
御朱印
石上神宮の御朱印です。
私が訪れた時、閉門ギリギリの時間で参拝者は比較的少なめでした。
でも、参拝者一人一人がしっかりお辞儀をして参拝していたり、祈りを込めていたりしていました。
今でも地元の人にかなり崇敬されているんでしょうね^^