泉涌寺の山内の一番奥、別院の雲龍院。
南北朝時代の北朝第4代天皇、後光厳天皇の勅願で作られたお寺(1372年)で、真言宗泉涌寺派の別格本山とされています。
御本尊は本堂龍華殿に安置されている薬師三尊像で、西国薬師霊場四十番札所です。
天皇の勅願で作られたことや、後水尾天皇以降の歴代の陵が後山にあることから皇室とのゆかりが深く、泉涌寺の塔頭の中でも別格本山という高い寺格を持っています。
後光厳天皇の皇子の後円融院はここに如法写経の儀を興そうと龍華院をご建立されたこともあり、その頃から写経の歴史が続いていて、現在も写経の道場として有名です。
また、「走り大黒天」や「悟りの窓」、「迷いの窓」など、見どころたくさんのお寺です^^
2009年のJR東海のCMで泉涌寺が使われていましたが、最後の月の窓は、雲龍院の悟りの窓でした^^
秋のライトアップも見どころのお寺なんです。
境内散策
門から入ると石畳の道がまっすぐに伸びています。
すごくきれいな感じです^^
左側には、羅刹の難を救うと言われている、衆宝観音の石像があります。
さらに奥に進み、つきあたりを右に曲がると拝観受付があります。
拝観料金は400円でした。
受付を済ませ、すぐに案内されたのは書院の方にある「れんげの間」。
最初は障子をあけて庭を鑑賞していたのですが、
「よろしかったら障子を閉じてみて下さい」
とのこと。
障子をあけた状態でも外の庭が素晴らしいのですが、あえて閉めてみて、所定の位置に座ると、また違ったものが見えます。
おすすめされているのが、上の写真の角度です^^
(報道ステーションのお天気お姉さん、青山愛さんオススメの見方と書かれていました^^)
真ん中からみるのではなく、ちょっと左側によってから眺めると、四つの四角窓からそれぞれ違った絵を見ることができます。
左から「椿」、「燈籠」、「楓」、「松」です。
写真では白飛びしててわかりにくいですが、実際にれんげの間で見てみたら、「なるほど!」と思と思います。
御本尊の薬師如来三尊像が安置されている、龍華殿。
国の重要文化財です。
上に掲げられている額は、江戸時代の光子内親王筆のものなんだそうです。
龍華殿側から見た霊明殿です。
ここには雲龍院建立に関わった後光厳天皇と、写経の場を作った後円融天皇の坐像、そして九曜星ごとの本尊である九曜星本尊(くようせいほんぞん)の像もあります。
霊明殿は普通に参拝することもできますが、写経体験を申し込むと、この部屋で写経をすることができます。
後水尾天皇によって寄進された机が今でも使われていて、写経体験でももちろんこの机を使うんですね。
雲龍院は現存する日本最古の写経道場なんだそうですよ^^
霊明殿の前には灯篭があります。
この燈籠は徳川幕府15代将軍、徳川慶喜が寄進したもので、下には砂で皇室の十六菊紋がきれいに書かれています。
雲龍院の台所には、台所の神様でもある大黒天の像があります。
(撮影禁止だったので写真はパンフレットより)
しかも雲龍院の大黒天はちょっと変わっていて、「走り大黒天」というもの。
大きな袋を背負ってわらじ履き、片足を一歩踏み出したようなお姿です。
そして台所からさらに奥の部屋に行くと、有名な「悟りの間」があります。
悟りの間には、四角い窓と丸い窓があります。
四角い窓は「迷いの窓」です。
この窓は、人生における苦しみを象徴し「生老病死四苦八苦」を表しているといわれています。
「生老病死」は、避けることのできない4つの苦しみ、「生まれること」、「歳をとること」、「病気をすること」、「死ぬこと」ですね。
この四苦の他にあと4つの苦があって、
丸い窓は「悟りの窓」です。
正確に円を描いているこの窓は、禅における悟りの境地を表しているそうです。
円には色々な意味がありますよね^^
宇宙であったり、縁起であったり、無心の意味だったり。
そのようなものを表しているんでしょうね^^
窓の外の景色もきれいです♪
御朱印
雲龍院の御朱印です。
この他、泉涌寺七福神の大黒天の御朱印と、西国薬師霊場の御朱印があります。
ちなみに御朱印と一緒にはさんでくれた紙には、「大黒天 数え歌」というものが書かれていました。
メロディーはあるのでしょうか?気になります^^;
今回は写真が白飛びしていて、良い写真をアップできず、ざっとした紹介になってしまいました^^;
また再訪して取りなおして、きちんとアップしたいと思います。
寺院内も見どころいっぱいですし、働いているスタッフさんも行き違う度に笑顔で挨拶してくれて良い所でした^^
※泉涌寺の駐車場は20台ほど無料で停められますが「駐車スペースが少ないため御参拝は公共交通機関がおすすめです」と書かれていました。