琵琶湖の畔、瀬田川沿いにある石山寺は、西国三十三所巡礼の第十三番札所の名刹で奈良時代から観音の聖地とされています。
平安時代には「石山詣」と言われるくらい人気があり、紫式部がここの本堂の一室で、世界最古の長編小説「源氏物語」の構想を練ったことでも有名なお寺です。
宗派は東寺真言宗、山号は石光山、御本尊は如意輪観音菩薩。
天平19年(747年)、聖武天皇の勅願で良弁僧正が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀り、開基されました。
境内の敷地は広大で、奥まで行くと車の音が聞こえなくなるほどの自然に囲まれます。
梅園、牡丹園、無憂園などもあって、四季折々の花が咲いています。
近江八景の1つに選ばれている、中秋の名月の時も多くの人で賑わいます。
境内散策
記事トップに掲載した写真は、重要文化財に指定されている東大門。
石山寺の入口です。
左右には大きな仁王像が立っています。
現在の門は鎌倉時代初期に作られ、桃山時代に大規模な修理が施されたものらしいです。
仁王像は、鎌倉時代の仏師、運慶とその長男、湛慶の作。
滋賀は応仁の乱の影響もなかったんですね^^
門をくぐると参道がありますが、両端は桜の木が植えられています。
写真は桜が終わりかけの頃のものです。
満開の頃はキレイそうですね^^
参道を歩いた先に入山の料金所(1人500円)があって、支払を済ませた先、参道脇に"くぐり岩"があります。
このあたりの岩は全部大理石なんだそうです。
下は池になっていて、鯉も泳いでいます。
池を渡って空洞になっている部分をくぐることができ、撮影している人が多いスポットです^^
でも、くぐったからといって、特別何かご利益があるわけではないようです^^;
それでもくぐりたくなる気持ちはわかりますね^^
すぐ横には、くぐり岩の前にある池と繋がっている手水舎があります。
下に鯉が泳いでいるので、口をゆすいで下にこぼすのは何だか申し訳ない気分です^^;
参道の奥まで行くと、"密造院"という場所があります。
ここは明治時代の詩人で小説家の島崎藤村ゆかりの家らしいです。
石山寺の元茶所なのですが、島崎藤村はここを借りて自炊生活をしていたことがあるそうです。
参道の途中、本堂に向かう急な階段があるのですが、そこを上るといくつかのお堂があります。
まずは階段を上って右側にある観音堂、毘沙門堂の2つのお堂。
階段側は観音堂です。
中には西国三十三所全ての観音像が安置されています。
平安時代には宮廷の女官が石山詣に訪れた際、この観音堂に一晩篭って読経をしながら過ごすことが流行ったそうです。
紫式部もそのようにしながら源氏物語の構想を練ったんですね^^
そしてそのお隣にあるのが毘沙門堂です。
中には重要文化財の
その向かいには蓮如堂があります。
蓮如上人の遺品を安置するお堂です。
中を覗くと、正面には蓮如上人の掛け軸が飾られています。
元々は境内にある三十八所権現社本殿を拝むための拝殿として江戸時代(1602年)に建てられたそうですが、明治以降には蓮如上人の遺品を安置したり御影を祀るようになりました。
そのことから蓮如堂と呼ばれるようになったようです。
蓮如上人と言えば、浄土真宗の中興の祖ですが、石山寺は真言宗東寺派。
宗派を超えてなぜ蓮如上人が祀られているのか?というと、上人の母堂が石山観音の化身だと言われているそうですね。
そのためかもしれません。
三十八所権現の拝殿として作られたことや、蓮如上人の御影を祀るお堂ということからわかるように、このお堂は神事にも仏事にも使われていた珍しいお堂ですね。
その三十八所権現社は、本堂へ続く道を挟んで蓮如堂の向かい側にあります。
蓮如堂から見上げるような形で建っていて、鳥居とその奥に本殿が見えますね^^
ちなみに本殿の所まで上って、本殿側から蓮如堂をを見下ろすとこんな感じです。
これだけ高いところにあるわけですね。
三十八所権現社も蓮如堂と同じく1602年に設立された、比較的新しい殿で、石山寺の鎮守社として建てられたものです。
平成20年に蓮如堂と合わせて国の重要文化財に指定されました。
蓮如堂、毘沙門堂のある広場に戻って、階段を上った正面には、お寺にあるのは珍しい天然記念物、
硅灰石は石山寺の「石山」の起りとなったもので、こんなに大きなものは珍しいんだそうです。
国の天然記念物に指定されるほどですからね^^
上に見える建物は、後で紹介する多宝塔です。
硅灰石の横には、弘法大師の御影を祀る御影堂があります。
御影堂の向かいには、
この宝篋印塔の周りに敷き詰められている石畳は、その下に四国八十八ヶ所の土が埋められているそうです。
なのでこれを廻ると八十八ヶ所を巡る同じ功徳が得られるそうです^^
蓮如堂の横からさらに階段を上ると、やっと本堂にたどり着きます。
石山寺の本堂は大きい上に大きな木々に囲まれていて、なかなか全体を写真に収めることができません^^;
本堂内は御本尊の如意輪観音菩薩、そして不動明王が祀られていました。
そして入口付近には
賓頭盧尊者はインドのバラモン出身の高僧で、神通力に優れていたそうです。
病人が患っている箇所と同じ部分を撫でると治ると言われているそうです。
確かこれは、東大寺にも同じものがあったと思います^^
本堂の入口には御守りの授与所があって、紫式部の絵馬や、厄落としの絵馬もありました。
"厄"と書かれた絵馬ですが、パズルのように文字だけが外せるようになっていて、絵馬をかける時にそれを外すことで厄を落とすというユニークなものです^^
かけられた絵馬の中には厄を落とし忘れた方もいらっしゃいました^^;
そして本堂の横側には、紫式部が源氏物語の執筆に使っていたと言われている「源氏の間」があります。
そこには紫式部の人形と、ビデオ説明の映像が流れていました。
ちょっと人形が怖いですけどね^^;
本堂からさらに山を登るように進み、三十八権現社の先を行った所に、
その下には"腰掛石"があります。
この石に座ると、安産すると言われているそうです^^
その近くには、源頼朝の寄進とも鎌倉後期のものとも言われている綺麗な形の鐘楼があります。
そこからさらに階段を上ると、先ほど硅灰石の後ろに見えた、多宝塔があります。
二重の塔ですが、どこから見ても絵になるほどキレイなんですよね♪
訪れた日はあいにくの曇り空でしたが、それでも綺麗でした^^
石山寺のオリジナル御朱印帳の表紙にも使われている、石山寺のシンボルとも言えるものなんですね。
長くなったので、多宝塔の所から後編に続きます。