滋賀県大津市、京阪電車「
同じく大津市にある天台真盛宗総本山、西教寺の末寺の1つです。
観光寺ではないので、観光客が来るお寺ではないのですが、湖国十一面観音霊場の2番札所になっています。
ここに安置されている十一面観音立像は国の重要文化財に指定されていて、井上靖の「星と祭」に登場するほど立派な観音様です。
ただし普段は非公開で、拝観には事前予約が必要なのですが、
- 5月・6月・10月の毎週土曜日
- 正月三ヶ日
- 5月の連休
の時には予約不要で拝観できます。
というわけで、10月に入って第一週の土曜日に行くチャンスがあったので行ってみました!
崇福寺伝来の十一面観音立像
盛安寺の十一面観音は、盛安寺の境内から道を隔てた南側の飛び地にある収蔵庫に安置されています。
下の写真は、穴太駅方面からお寺に向かうところですが、左側が盛安寺の境内、右側の白い建物が収蔵庫です。
収蔵庫の横まで来ると、扉が開いているのが見えました。
正面に回ってみると、見張り番をしている人は誰もおらず、扉は開いたまま。
撮影禁止の紙も貼られていません。
一応、寺務所の方に行って尋ねたのですが、おばあさんが出てきて、
「もう開けていますので、どうぞご自由に拝観してください」
とのこと。
どうやら拝観料も要らず、そのまま拝観しても良いみたいです。
重要文化財なのになかなか不用心ですね^^;
収蔵庫の中はこんな感じ。
正面にいらっしゃるのが十一面観音様です。
かつて大津京の時代に建てられたという四大寺院の1つ、
崇福寺は13世紀末に廃絶してしまいましたが、平安時代には東大寺や興福寺と並んで十大寺に数えられていたそうですから、この像が立派なのもわかりますね。
像容は、普通は腕は二臂(腕が2本)なのですが、この観音様は四臂、そして地蔵菩薩が持っている
平安時代の作で、十一面観音から千手観音への発展の過渡期の表現ではないか、とされています。
作家の井上靖さんの小説「星と祭」では、
「観音さまの微笑をふくんでいる顔を仰いでいると、自然にこちらも微笑せずにはいられなくなる、そんな感じである」
と表現されています。
一見するとそんなに微笑んでいるようには見えないのですが、じっと眺めているとそんな感じもするような気がしました。
十一面観音の脇侍のように阿弥陀如来立像と聖観音立像が置かれていますが、聖観音の方が微笑んでいるような感じがしましたけどね^^;
収蔵庫にはその他、地蔵菩薩と閻魔大王が安置されていました。
地蔵菩薩は地獄に落ちた衆生を救う菩薩なので、地獄タッグの二尊ということですね^^
十一面観音が錫杖を持っているのも、もしかしたら何か地獄にまつわる言い伝えがあったのかもしれませんね。
石工集団・穴太衆の里
盛安寺のある地域は「坂本」といって、延暦寺の門前町として栄えたのですが、ここでは今でも神社やお寺、古い民家に石積みが見られます。
これは、穴太積みといって、比叡山の土木営繕的な御用を勤めていた穴太衆の技術によるものです。
穴太積みは、織田信長の安土城に使われたことで有名になりました。
穴太積みの特徴は、石を加工せず自然石を大小うまく組み合わせて巧みに積むいうことです。
それでいて奥行きがあって堅固で、見た目にも美しく仕上げられるところがすごいですね。
盛安寺の最寄りの駅は穴太駅ですが、この地はまさにその一族が居住していた地域。
穴太衆の里なんです。
盛安寺の石垣はそれがきれいに残っている例になっています。
門前が一番きれいですね。
穴太衆は、安土城をはじめ、各地の城郭建築に携わったそうです。
盛安寺の御朱印
盛安寺には、
- 湖国十一面観音霊場 第二番
- びわ湖百八霊場 湖西第七番
の御朱印があります。
私は湖国十一面観音霊場のものだけ頂いています。
中央に書かれている「崇福大悲殿」は、かつての大寺院、崇福寺の観音様という意味を表します。
御朱印は書き置きのもので、後で自分で貼るタイプのものでした。
盛安寺には車で行ったのですが、この辺りは道が細く、車同士すれ違うことができないところが多く、駐車場の案内看板も出ていません。
ネットで紹介している人もいないのでわかりにくいのですが、本堂の前に境内の西側(穴太駅方面)に隣接したところに空き地のような場所があって、他にも車が停まっていたのでそこに停めました。
ただ、車で行くのはちょっと面倒だったので、電車で訪れた方が良いかもしれません。