西教寺は比叡山の麓の町、滋賀県大津市坂本にあります。
坂本は明智光秀ゆかりの地として有名ですよね。
比叡山焼き討ちで坂本の町は壊滅的なダメージを受けましたが、その時焼き討ちの中心部隊を率いていたのが明智光秀。
その後、この地に坂本城を築いて、坂本の町を復興させたのも明智光秀です。
西教寺も焼き討ちで大きな被害にあいましたが、明智光秀により復興されました。
そんな西教寺は、400ヶ寺以上の末寺を有する天台宗の一派、天台真盛宗の総本山。
聖徳太子が高句麗の恩師の僧の為に創建したとして伝えられていて、歴史に名だたる高僧が何人も関わっている、歴史的にも重要なお寺なんです。
全国の末寺の数や境内の広さから考えるとかなりの大寺なのですが、知名度が低いせいか観光客はちらほら^^;
でも、秋の紅葉はキレイですし、比叡山に向かって山沿いに境内が広がるので、高めの位置から琵琶湖を眺められる絶景スポットもある穴場のお寺です。
西教寺ってどんなお寺?
真盛上人坐像(パンフレットより)
西教寺がどういうお寺か?を知るには、
戦国時代に西教寺を再興した高僧で、西教寺の宗派「天台真盛宗」とも真盛上人からきています。
真盛小人を一言でいうと、念仏の功徳で民衆を救った高僧です。
比叡山で厳しい修行を行い、天台の学問を究めたエリート僧なのですが、母の死をきっかけに、エリートコースをつき進むよりも民衆の元まで降りて念仏による救いを説くようになります。
その教えは、ひたすら念仏を唱えることで救いを得ることができる、というもので、公家や武家、庶民にまで広く説きました。
文明18年(1486年)に西教寺に入寺、堂塔と教法を再興して、不断念仏(ひたすら念仏を唱えること)の道場としたのです。
真盛上人は説法の名手として評判が高く、慕う人も多かったので、そのような人が西教寺に集まってきて、天台真盛宗が誕生しました。
そんな真盛上人の教えを反映して、西教寺の本堂のご本尊は丈六の立派な阿弥陀如来となっています。
「天台宗」というと私は「密教」を連想しますし、仏像も大日如来や明王系が多いイメージなのですが、西教寺は真盛上人の教えもあって、阿弥陀如来を祀って念仏を唱える「浄土教」のようなお寺になっています。
西教寺にある明智光秀の墓
明智光秀は、西教寺の復興に尽力を尽くしました。
西教寺の総門は坂本城の移築門だと言われています。
そこまでして復興したのは、織田信長の命令とはいえ、焼き討ちをしなければならなかったことに対する後悔の念があったのかもしれませんね。
最終的には明智家の菩提寺にまでなっています。
明智光秀の墓があるのは本堂の前。
解説版には、「明智光秀とその一族の墓」と書かれていて、明智光秀だけでなく、その妻
明智光秀は、比叡山焼き討ち後に織田信長に近江国の滋賀郡を与えられ、坂本城を築いて城主となったので、この辺りの地域の復興させることができたんですね。
とりわけ西教寺には信長に内緒で檀家になるほど復興に力を入れていたようです。
一族の墓のそばには、このような可愛らしいお地蔵さんも^^
西教寺は「猿」がマスコットのお寺
西教寺には、お堂の上などに猿の像をちらほら見かけます。
しかも全部同じものではなく、それぞれ違うんですね。
他にもたくさんいます。
比叡山には元々猿がたくさんいたことから、坂本の一帯の神社仏閣では、猿は神様の使いとされていて、麓にある比叡山の鎮守社、日吉大社では、
「まさる」という呼び方は、「魔」が「去る」、又は「勝る」というところに通じることからつけられたものなのだそうです。
それに対して西教寺では、
上の説明看板は、西教寺の駐車場にあったものですが、この念仏の
画像:ちょこっと関西歴史たびのパンフレット(2014年秋10月~12月)より
「縁がござる」「福がござる」と親しまれ、「客ござる」と昔から親しまれていて、良縁から商売繁盛までご利益が得られるのだそうです。
近寄って撫でることもできる「撫で仏」ですので、白かった手の色はすっかりはげ落ちてしまったのだそうですが、本堂を参拝したらぜひ撫でておきましょう♪
ちなみになぜこのような姿なのか?というと、ある逸話があるからです。
それは、坂本で一揆が起こった時の話です。
一揆の首謀者が真盛上人だという噂が広がり、怒った比叡山の僧兵たちが西教寺に攻め入ります。
しかし、お寺には人影はなく、本堂から鉦の音だけが聞こえるのです。
僧兵たちが本堂に駆け込むと、そこで見たのは手が白い猿が真盛上人の代わりに鉦を叩く姿。
「不断念仏の教えは猿にまで徹底されているのか・・・」
と神の使いである猿までが上人の教えを守っていることに観心した僧兵たちはその場を立ち去ったのです。
これはあくまで逸話なのですが、住職さんの話によると、この話は真盛上人の教えや功徳が動物にまで及んでいるということを示す話だということ。
そこで神の使いである猿とかけあわせて作ったんでしょうね^^
西教寺 境内みどころ散策
西教寺の入口の門をくぐってすぐの参道。
整えられて綺麗な参道ですね。
山に緩やかに登っていく感じで本堂まで伸びています。
両脇には僧坊がならびます。
紅葉の季節には綺麗になるのが想像できます。
まっすぐの参道を登ると、左手の方には宗祖大師殿がありますが、そこの正面の門は琵琶湖の方に向かっています。
なので、内側から外を望むとレイクビューが見えます。
私が訪れた時は天気が曇りだったので、あまり良く撮れませんでしたが、天気が良ければ綺麗なこと間違いなしですね^^
門の扉にある寺紋も巧みな彫刻でできています。
上の鳩は、上から見たところになっています。
新しい発想ですね^^
参道の所々には石垣がありますが、これは
坂本周辺は穴太衆という石工集団の里でもあって、加工しない自然石を上手に組み合わせて美しい石積みを作るんです。
まるで加工したような感じになっているのがすごいですね^^
本堂の裏には、桃山様式の客殿(重文)があります。
廊下には阿弥陀如来と二十五菩薩の石像が並んでいたりします。
こういう建物の中に石像が立っているのは珍しいですね^^
なかなか見事な庭園もいくつかあります。
他にも、狩野永徳筆の襖絵など見どころのある文化財がありますよ。
西教寺 文化財特別公開
2014年10月から12月まで、いずれも大津市内にある天台宗総本山 三山(比叡山延暦寺・園城寺(三井寺)・西教寺)が文化財の特別公開を行っています。
JR西日本が四季ごとに開催する「ちょこっと関西歴史たび」のパンフレットにも西教寺が載っていました。
先ほど紹介したレイクビューが表紙となっています。
こんな風に見える時に撮影したいですね^^;
パンフレットの通り、西教寺では
- 本堂御厨子(4基あるうち左側の2基)
- 収蔵庫
が公開されていました。
残念ながらいずれも写真では紹介できませんが、本堂御厨子は十年ぶりの公開で、聖徳太子坐像、元三大師坐像が公開されています。
(今後の開扉予定はないそうです。)
聖徳太子坐像は鮮やかな色彩がそのまま残っている秘仏。
元三大師坐像は、高僧の像のほかに、鬼の姿となった元三大師の像もありました。
小さな像ですが、とても珍しいです。
これが見れたことが一番の収穫でした♪
収蔵庫は初公開で、ボランティアの方の説明付。
藤原時代の聖観音立像(重文)、明智光秀が寄進したという坂本城陣鐘(重文)、鎌倉時代の様式を持つ石灯籠(重文)の3点が公開されていました。
研究者の方によると、石灯籠は鎌倉時代の様式が良く残っているもので、こういうものはなかなかないのだそうです。
文化財の特別公開は12月7日(日)までです。
拝観料は通常400円ですが、特別公開時は収蔵庫500円、本堂御厨子100円で合わせて1,000円になります。
西教寺の御朱印
西教寺の御朱印です。
「不断念仏」と書かれています。
その他、
- びわ湖百八霊場 湖西11番
- 神仏霊場滋賀16番
の札所にも指定されているので、その御朱印もあります。
西教寺は宗教上では猿を神聖視していますが、実際の猿には、墓を荒らされたりする被害にあっていて困っているようです。
現在のところはお供えを持ち帰ってもらったり、ゴミを残していかないなどの呼びかけで対処していますが、墓地以外にも色々と荒らされるようです。
現実はなかなか厳しいですね^^;
西教寺でもし猿に出会うことがあっても、エサなどを与えないように気をつけましょう。