粟田神社は、平安時代に京都の出入口の1つとされていた
なので、古来から旅の安全を祈願する人が多く、旅立ち守護・厄除け・病よけの神として崇敬を集めてきました。
主祭神は、
- スサノオノミコト
- オオナムチノミコト
です。
そんな粟田神社には、粟田祭という面白い祭りがあります。
出御祭が行われる前の粟田神社に行ってみたところ、神社前はこんなことになっていました!
上の写真のものは、夜渡り神事で使われる
これが灯りをともしながら氏子町内を巡行するんです!
これは2012年の大燈呂ですが、こんな感じです。
結構な大きさなので、知らずに通りがかった人はビックリしていました^^
この行事は古くから行われていたのですが、つい最近まで中断されていました。
それが京都造形大学の協力のもと、平成20年に190年ぶりに復活したんです。
以降は年々意匠をこらして巧みな大燈呂が制作されています。
粟田祭の由来
粟田祭は、10月の体育の日近辺で行われる祭りで、千年の歴史をもちます。
応仁の乱や延暦寺の意向などで祇園祭が中断されたことのある室町時代には、粟田祭を祇園祭の代わりとしたこともあるほどです。
粟田祭の発端は、長保3年(1001年)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社(現・八坂神社)に現れてお告げを告げたことに始まります。
その神童によると、
「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」
とのこと。
実際に7日後にお告げ通りに瑞光が現れたのです。
その場所が粟田神社だったわけです。
なので粟田祭は、八坂神社や祇園祭とも関わりのある祭になっています。
- 体育の日の前々日:出御祭
- 体育の日前日:夜渡り神事
- 体育の日:神幸祭
- 10月15日:例大祭
という日程で行われます。
2014年の夜渡り神事は、10基の大燈呂が練り歩きます。
今年用意された大燈呂は10基なのだそうで、粟田神社前や参道にはそれがところ狭しと並んでいました。
鳥居前にあった強そうなキャラは
インドの祇園精舎の守護神ですが、疫病や災厄をもたらす行疫神でもあります。
祇園祭はこの神を鎮めるための鎮祭で、祭りを行うことで疫病が流行らないように願っているんですね。
また、牛頭天王は、粟田神社の主祭神、「スサノオノミコト」の別名。
スサノオノミコトにはヤマタノオロチを退治した伝説があり、そのためこのような勇ましい体になっています。
下から見上げると大迫力^^
そして牛頭天皇の写真、後ろの方をよく見ると、鳥居から覗くようにしているものがいます。
不気味ですね^^;
置かれていたのはもう1柱の主祭神
日本書紀に出てくる神様です。
国津神のトップであり、出雲大社の主祭神として有名ですね。
実は、粟田祭の発端となるお告げを述べた神童は、実は大己貴だったのだとか。
大己貴の後ろ姿は蛇の形になっています。
このように蛇の形になっているのは、古来から大己貴は蛇神とされていたことからきているようです。
ギリシャ神話のメデューサみたいですね^^
こちらは、目が合っても石にはなりませんでした(≧▽≦)
牛頭天皇と鳥居を挟んで置かれていたのは、
この辺りは昔から多くの刀匠(刀鍛冶)が住んでいた地域。
平安末期の名刀匠で、祇園祭の長刀鉾についている長刀を手掛けた伝説の刀鍛冶、三条小鍛冶宗近もこの辺りに住んでいたようです。
合槌稲荷は、三条小鍛冶宗近が一条院の勅命の剣を打つ際、相槌を打ったお稲荷さんと云われています。
良い刀というのは一人では作れないそうで、一人が槌を打つ合間にもう一人が槌を打つ、そういう作業になります。
「相槌を打つ」という語源はここから来ているのですが、それをやったパートナーが合槌稲荷さんなんです。
粟田神社から参道をでて三条通りを渡り、さらに路地を直進したところに>合槌稲荷神社があります。
栗田神社でここのお祭りもやるので、粟田神社が管理しているんでしょうね。
そして、合槌稲荷に向かい合っていたのがこの一つ目小僧。
一つ目小僧は、産鉄業と繋がりがあると言い伝えられています。
たたら製鉄に従事し、長期間肌を火に晒したことによる肌の爛れや、片目片足をなくした人の姿のことを一つ目小僧と呼んだのが由来なのだとか。
先ほども紹介しましたが、粟田地域は鉄を扱う刀鍛冶職人が住んでいた地域です。
また、キセル職人さんも住んでいたそうで、キセルを持った姿になっています。
鳥居から参道を下るように歩くと、このようなキャラが現れました。
人をあざ笑うかのようなこの奇妙な顔。
妖怪の「つるべ落とし」かと思ったのですが、実はこれは明智光秀と狛犬なのだそうです。
狛犬は、悪い者が入って来ないように見張りをする守護獣。
それが、怨霊となった明智光秀を押さえているんです。
実は、粟田神社の近く、梅宮町(三条通白川橋下ル東側)の和菓子屋・餅寅さんの横にある路地を奥に行ったところには、明智光秀の首塚があるんです。
光秀がさらし首にされたのも、粟田口の刑場ですから、その怨霊がこの辺りにいるということに。。
それを押さえこむ狛犬の役割は大きいですね^^
そして神社から三条通りに出るように参道を下ると、また鳥居から覗く者がいます。
こちらは見てわかる通り
鞍馬の山奥で源義経に剣術の稽古をつけたという伝説が有名ですね^^
その鳥天狗ですが伝説によると、人間を餌として喰らうのだとか。
この姿は、人間を狙っている時の状況を表現しているとのことです。
実は粟田神社は、源義経ともゆかりがあって、義経が奥州に向かう途中、摂社の出世恵比須社に参拝して「源氏再興」を祈願したのだそうです。
出世恵比須社は、元は三条蹴上の夷谷付近に祀られていたのですが、土砂崩れがあって現在は粟田神社本殿の裏手に摂社として祀られています。
そしてこちらがその出世えびす。
三条通りにありました。
大海原で鯛を掲げる様子を表しています。
出世恵比須社では、伝教大師作、日本最古の木像のえびす像が祀られています。
えびす様は、家運隆盛、商売繁盛の神様。
毎年1月9日~11日の「十日えびす」の期間だけ御開帳されます。
お次は
スサノオノミコトが退治した、八の顔を持つ大蛇です。
刺さっている剣は、三種の神器の1つ、
別名、
粟田祭初日の夕方に行われる石見神楽では、ヤマタノオロチを倒すスサノオノミコトの活躍を描いた神楽が奉納されます。
次は青龍。
中国から伝わった「四神相応」という信仰があります。
四神相応について詳しくは八坂神社のところに書きましたが、京の都は「四神相応の地」ということで場所が決まった都なんです。
そして、粟田神社の位置する「東」を守っているのがこの青龍です。
最後の大燈呂は、羊。
最後のキャラにしては物足りない感じはしますね^^;
でも、羊は来年の干支で、群れをなして生きる羊は、家族の安泰やいつまでも平和に暮らすことを意味しています。
2015年が安泰であるように願いが込められているそうですよ♪
以上が2014年の大燈呂ですが、毎年作るのでどんな形で登場するのかは毎年違います。
都合の合う方はぜひ来年見に行ってみて下さい^^