多くの名僧を世に送り出した日本仏教の聖地、比叡山延暦寺。
国を鎮護する人材を育成するために、伝教大師 最澄によって開かれた天台宗の総本山です。
下の写真は、比叡山山頂付近から琵琶湖を眺めた風景。
標高848mあるそうですが、下を眺めると結構高い場所ですね^^
麓の大津市内と比べると、気温は5℃くらい違うそうで、夏は涼しく、冬は寒い場所です。
延暦寺は「比叡山」という1つの山の中にある「延暦寺」という1つのお寺、というイメージがある方もいるかもしれませんが、ちょっとだけ違います。
大比叡岳や釈迦ヶ岳など5峯の総称が比叡山で、広さは約500ヘクタール。
その中に約150もの堂塔があって、その総称が比叡山延暦寺です。
山全体が延暦寺なのでとてつもなく広いんです^^;
大きく3つのエリアに分けられています。
東塔 西塔 横川
この3エリアで、「比叡山三塔」と呼ばれています。
更にそれぞれのエリアから歩いてしかいけない地域もあって、「三塔十六谷」とも呼ばれています。
山内をくまなく歩こうとすると距離がありますので、車や山内を走っているシャトルバスで移動するのが一般的。
代表的なところだけなら、それぞれ2時間ずつ時間を取れば余裕を持って回れる感じです。
(東塔で国宝殿に入るなら1時間プラス)
移動時間も考えると、ほぼ一日がかりですね^^
その三塔の中でも中心となっているのが東塔です。
その中でも中心となる堂宇が「根本中堂」ですが、平成28年度から60年ぶりの大改修を行うそうで、工事が着工したら10年ほどはかかるそうです。
東塔には国宝殿もありますし、私はじっくり見て写真を撮りながら回るタイプなので、朝から行っても東塔だけでいっぱいいっぱい、と予想したので、今回は東塔だけ参拝しました。
東塔へのルートは?
東塔へのアクセスはいくつかあります。
代表的なものは、
【京都府側から】
- 京都八瀬ルート:ケーブル八瀬駅より叡山ケーブル&叡山ロープウェイを利用
- 京都駅⇔比叡山ルート:JR京都駅・京阪三条駅・京阪出町柳駅より路線バスを利用
- 比叡山ドライブウェイを利用(車の場合)
【滋賀県側から】
- びわ湖・坂本ルート:坂本ケーブルを利用
- 比叡山ドライブウェイを利用(車の場合)
- 京阪坂本駅から東塔への表参道「本坂」を歩いて移動(約2時間)
などがあります。
時間や料金については、車で行く場合と電車・バスで行く場合に分けてまとめましたので参考にしてみてください。
比叡山延暦寺に車で行くには、比叡山ドライブウェイを利用することになります。しかし、使い方を間違えると高くなってしまう場合も・・・今回は、ドライブウェイの料金体系やおすすめの利用法を紹介します。
比叡山延暦寺は、京都・滋賀両方から行くことができ、ロープウェイ、バス、自動車など交通手段も多数。さらに割引サービスもいくつかあります。値段はいくらなのか、どの割引サービスがどの行き方に適しているのか、比較してみました。(消費税UPに伴う料金改定に対応しました!)
延暦寺で育った仏教界のスーパースター達
仏教には色々な宗派があります。
それぞれの宗派でメインとなる教えや修行法が違っていて、念仏であったり、禅であったり、密教、戒律など、スタイルが多様なのですが、比叡山はそれらを包括して教える総合大学のような位置にあります。
比叡山にバスや車で来る場合の入口、「延暦寺バスセンター」側から東塔に入ると、比叡山出身のスーパー僧侶達の紹介パネルが解説付きで並んでいます。
写真左は、西塔出身の武蔵坊弁慶。
源義経に仕えた怪力自慢の荒法師ですね。
引っ張っている鐘は、同じ天台宗でありながら分かれてしまった三井寺の名鐘です。
比叡山は山門派、麓にある三井寺は寺門派として争いが絶えなかったのですが、三井寺焼き打ちの際に弁慶は三井寺の鐘を一人で引き摺って山を登ったのだとか。
その鐘は現在三井寺に戻っています。
写真右は江戸時代に活躍した慈眼大師天海大僧正。
徳川家康のブレーンとして活躍、三代将軍 家光まで仕えたことで有名です。
天海は、織田信長による焼き討ち後の比叡山を本格再興させています。
更に関東天台宗の総本山として寛永寺を築き、天台宗の発展に貢献しています。
他の宗派の開祖となった祖師たちもたくさん。
浄土宗の開祖、法然上人。
日蓮宗の開祖、日蓮上人。
曹洞宗の開祖、道元禅師。
時宗の開祖、一遍上人。
他にも、臨済宗開祖の栄西禅師、浄土真宗開祖の親鸞聖人、融通念仏宗開祖の良忍上人、天台真盛宗の真盛上人、市の聖 空也上人などのパネルがありました。
このように比叡山から色々な宗派が生まれているのは、最澄が天台教学の中心においた、法華一乗という法華経の説く思想が関係しています。
最澄が天台宗を開く前、既存の仏教では悟りを開くための方法は3つあるとしていました。
これを三乗というのですが、「三乗」の「乗」は、欲望や迷い悩み多い世界を
修行方法を乗り物に例えているんですね。
その3つの修行法は、
声聞 :仏の教えを聞いて真理を学び、悟ろうとする方法縁覚 :仏の教えに頼らずに独学で真理を見出し、悟ろうとする方法菩薩 :多くの人々を救い、悟りに導くことを修行とする方法
とされています。
天台宗では、声聞乗、縁覚乗は自己中心で自分しか乗れない船(小乗)であるのに対して、菩薩乗は自己の修行はもちろん、他人も救い、乗せることができる船(大乗)としています。
なので菩薩乗こそが最高の教えとしているんですね。
ただし、声聞、縁覚を認めないわけではありません。
三乗のあり方を認めながらも、声聞、縁覚はあくまで過程であって、最終的には菩薩乗に導かれを通して悟りに至る、というわけです。
これが一乗の思想です。
だからこそ比叡山悟りを得るための手段である色々な方法を融合して実践する総合仏教大学になり、そこから専門性を持った宗派が生まれているというわけです。
延暦寺バスセンターから入ってすぐの所には大講堂があります。
大講堂は、比叡山の学問研鑽の根本道場で、現在も経典の問答や主要な論議法要などが行われています。
例えば、法華十講などは重要な論議法要とされていて、法華経の要点について問答を行います。
これらは僧侶の試験にもなっているんです。
本尊は胎蔵界大日如来、脇侍に十一面観音菩薩と弥勒菩薩がいるのですが、それより目立つのは歴代の天台座主のや比叡山の名僧、比叡山出身の諸宗派の開祖たちの肖像画がずらっと並んでいます。
そして右陣、左陣には中でも有名な高僧の像が居並びます。
比叡山の僧たちは、歴代OBに見守られながら学問に磨きをかけるんですね^^
そしてこちらは比叡山延暦寺の原点、根本中堂。
とても全景は写せないほど大きなお堂です。
中には最澄が自ら彫ったという秘仏、薬師如来像が安置されており、その前に1200年前から絶えず燃やし続けているという不滅の法灯が3基並んでいます。
僧侶が絶えず菜種油を注ぎ、絶やさないようにしているのですが、油を注ぐ時間は特に決まっていないのだとか。
忘れずに見ることも修行の1つなんでしょうね^^
実はここから生まれた四字熟語が「油断大敵」という言葉。
気を抜くと火が消えてしまう(やられてしまう)というのはまさにこのことなんです。
ではなぜ絶やさずに燃やし続けるのか?
それは、最澄の一隅を照らすという精神を守り続けているからです。
最澄は、
「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」
という言葉を残しています。
「
その場所でベストを尽くすことが「照らす」ということですが、自分が光ればその隣にいる人が光り、またその隣が・・という風にして光が大きくなり、街全体が光り、世の中が明るくなります。
そうなれば素晴らしい世界になる、という考え方ですね。
その象徴となっているのが「不滅の法灯」なんです。
根本中堂の正面には、登るのが大変な急な階段があります。
登る分は良いのですが、逆に降りるとなると怖そうです^^;
ここを登るとあるのが文殊楼です。
2階建の重層門で、2階には文殊菩薩が安置されています。
智慧を司る菩薩様なので、受験生に人気です^^
学業成就・合格祈願の絵馬が奉納されています。
実はこの文殊楼、東塔の正門なんです。
今でこそ比叡山ドライブウェイやロープウェイで登ることができますが、麓の坂本から登ることができる表参道「本坂」から徒歩で登ってくると、ここにたどり着きます。
門をくぐると根本中堂が見えるわけですが、先ほど紹介した急な石段の最上段は、根本中堂の屋根の高さと同じになるように設計されているのだそうです。
なので正式な参拝は、文殊楼をくぐって参拝するんです。
文殊菩薩といえば、中国の五台山が聖地なのですが、そこは、最澄没後に天台教学の基礎を固めた慈覚大師 円仁ゆかりの山でもあります。
円仁が唐に渡った際、五台山では引声念仏を学んだのです。
この文殊楼は、五台山の菩薩頂にある堂塔を模したものなのだそうです。
文殊楼の2階には、はしごのような急な階段で登ることができます。
ただ、降りる時も急な階段なので、降りるのが怖い人も多いようです。
しかも、登る階段と下りる階段は別で、一方通行となりますので、なかなか降りられない人がいると2階で降りるための行列ができます。
土日など人が多い時は降りる行列でいっぱいになりがちですね^^;
途中で引き返せないので、ご注意ください。
お次は大黒堂。
大黒天は、最澄がはじめて比叡山に登った時に出現した神です。
最澄が籠山修行中に大黒天が現れ、修行僧が困らないように比叡山の財政を守ることを約束したのだとか。
比叡山には大黒堂をはじめ、大黒天のバリエーションは豊富です。
袋を背負った姿、鎧を着た戦闘系の姿、そして大黒堂にある弁財天と毘沙門天の顔も持つ三面大黒天の姿です。
このようにバリエーションがあるのも珍しいですが、実は比叡山は日本の大黒天信仰発祥の地。
それだけ古いわけですから、時代によって信仰の姿が変形していってるんでしょうね。
最澄の修行中に現れた大黒天は、比叡山の麓にある日吉大社の神様、山王権現であるということが、天台宗の伝承を伝える「渓嵐拾葉集」に書かれています。
山王権現と言えば、最澄は奈良の三輪神社から三輪明神を日吉大社に勧請していますが、三輪明神は大国主命と同一神です。
大国主命は大黒天と習合していますから、そういう繋がりになったんでしょうね^^
ちなみに大黒堂の三面大黒天は、「三面出世大黒」とも呼ばれ、豊臣秀吉が護持仏にして太閤にまで出世したと言われています。
大黒堂から法華総持院に向かう途中にあるのが戒壇院です。
戒壇院は、最澄が晩年、僧の地位をかけて建立に尽力を尽くした建物です。
南都仏教の反対に合い、結局は生前に叶わず、入寂して1週間後に設立の許可が下りたという結果になっています。
そこまでして設立したかった戒壇院とはどういうものでしょうか?
「戒壇」というのは、国家の認定を受けた正式な僧侶になるための戒を授ける重要な場所なのですが、最澄の時代には戒を授けることのできるお寺は、奈良の東大寺、栃木の下野薬師寺、福岡の筑紫観世音寺に限られていました。
いずれも南都仏教の勢力下なので、比叡山での戒壇設立に反対するわけですね^^;
この三か寺の戒壇が「天下三戒壇」と呼ばれていたのですが、いずれも小乗具足戒(出家者が遵守すべきとされる厳しい戒。罰則もある)でした。
最澄が設立を目指したのは、大乗菩薩戒です。
菩薩戒を授けられる戒壇を設ければ、国家公認で菩薩行を行う僧侶を排出することができることから、戒壇院の建立に尽力を尽くしたんですね。
戒壇院は現在、固く閉じられていて、すき間から少しだけ覗けるのですが中は真っ暗。
締めきっているせいか、少しカビ臭いニオイがしました^^;
今でも年に一度だけ受戒の時に開けられるのだそうです。
戒壇院から坂を登ったところには法華総持院があります。
最初に阿弥陀堂があり、裏に寂光堂、左手には東塔、そしてその先に潅頂堂があります。
この一画を総称して法華総持院と呼ばれています。
法華総持院の「法華」は法華経(顕教)、「総持」は密教を意味します。
一緒に並べることで、顕教と密教が一致することを主張しているようです。
右側にある阿弥陀堂と寂光堂は滅罪回向の道場で、阿弥陀如来を本尊として毎日念仏が唱えられています。
左側にある東塔と潅頂堂は密教の道場です。
東塔には胎蔵界五仏が祀られ、奥の潅頂堂では伝法潅頂や結縁潅頂などの儀式が行われます。
御朱印
東塔ではいくつかの御朱印が用意されています。
- 西国四十九薬師霊場 第四十九番
- 東海四十九薬師霊場 特別札所
- 神仏霊場会 第百五十番
- 新西国観音霊場 第十八番
- 西国三十三カ所観音霊場 番街札所
- 近江西国観音霊場 第六番
- 大日如来(大講堂)
- 文殊菩薩(文殊楼)
- 大黒天(大黒堂)
- 寂光殿(阿弥陀堂)
- 五智如来(東塔)
- 大悲殿(万拝堂)
があります。
塔堂が多い上に札所もあるので、頂ける御朱印の数は多いですね。
現在頂いているものだけ紹介します。
まずは西国四十九薬師霊場 第四十九番の御朱印です。
根本中堂に祀られている最澄自彫の秘仏、薬師如来の御朱印ですね。
根本中堂の外にある朱印所で頂きました。
根本中堂の御朱印です。
こちらも根本中堂の外にある朱印所で頂きました。
根本中堂は結構人がたくさん来るので、あらかじめ御朱印帳を預けておいて、その間に参拝するシステムになっています。
次は文殊菩薩の御朱印です。
文殊楼の前にある朱印所で頂きました。
大黒天の御朱印です。
大黒堂で頂きました。
大日如来の御朱印です。
大講堂で頂きました。
比叡山の塔堂内に安置されている仏像は、ほとんどが遠めに置かれているので、あまり仏像を見に行く感じではありませんね^^;
仏像を見たい方は、延暦寺バスセンターから入口に入ってすぐのところにある国宝殿に行くことをおすすめします。
比叡山の優れた仏像はこちらで拝観することができますよ^^