四国八十八か所の札所に指定されている
琴弾山は標高約70mの小さな山ですので、中腹といっても、山麓のようなものかもしれません^^
山頂には、山の名前の由来となる琴弾八幡宮がありますし、観音寺市の観光スポット「寛永通宝」の銭形砂絵が見られる展望台もあります。
神恵院や観音寺は、琴弾八幡宮の存在があったからこそ建てられていますので、非常に関係が深いです。
一緒に参拝しておくと良いですね^^
琴弾山の名前の由来になった神様の伝説と琴弾八幡宮
「琴弾山」という山の名前。
なんだか美しいですね^^
その名前は琴弾八幡宮や神恵院、観音寺の縁起と関係しています。
琴弾八幡宮を建立したのは、法相宗の日証上人。
日証上人がこの山で修行中に、雲と共に山麓の浜に現れる船を発見しました。
その船からは琴の音色が聞こえてきます。
日照上人が船に近づくと老翁が姿を現し、自分は宇佐の八幡神であり、当地にとどまりたいと告げ、一夜で海を林に変える霊験を見せました。
これに応えて日照上人は、里人たちに船を山上に引き上げさせ、神殿を築き、船と琴を神宝として祀ったといいます。
これが琴弾八幡宮の始まりです。
その縁起から「琴弾」という名前を使っているんですね^^
山の頂上までは、ふもとの鳥居から始まる381段の階段を上ります。
この階段がキツイという方は、車で行くこともできます!
琴弾公園内ドライブウェイ(無料)から寛永通宝を見ることができる山頂展望台に行くことができるのですが、そこからすぐのところに琴弾八幡宮への入り口があります。
こちらが本殿。
神社の社殿、というよりもお寺の要素が強いですね。
本殿の高さからは観音寺市の街並みを一望できます。
ここからドライブウェイ側に出て、神恵院と観音寺の境内に入ることもできますよ^^
琴弾八幡宮の階段を上って参拝、その後に銭形砂絵を見て、神恵院・観音寺へ行くルートでまわるお遍路さんも多いようです。
琴弾八幡宮を管理するお寺として建立された神恵院と観音寺
神恵院と観音寺は、琴弾八幡宮が作られた時と同じ時期に、日証上人によって建てられています。
なのでいずれも縁起は一緒なんですね。
神恵院はもともと、琴弾八幡宮の神宮寺(神社を管理するお寺)として神社内に建てられたお寺です。
なので江戸時代まで68番札所は琴弾八幡宮でした。
それが明治時代の神仏分離令で、神と仏は明確に分けなければいけなくなり、神恵院は観音寺の境内に移されました。
なので神恵院と観音寺は、一つの境内を二つのお寺で共有する形となっています。
大雑把ですが、参拝に主要な部分をメインに抜粋して境内図を書きました^^
一つの境内に、68番、69番の本堂と大師堂が混在していますね。
同じ境内なので、住職さん一人で二つのお寺を管理しています。
納経所も両札所共通なので、同時に2つの札所を参拝することができるわけです。
お遍路さんにとっては一気にお参りが進むのでありがたいかもしれませんね^^
神恵院と観音寺の入り口となる仁王門には、二つのお寺の名前が書かれています。
一方で観音寺は、法相宗の道場として建立されました。
最初は「神宮寺宝光院」という名前でしたが、後に弘法大師が七代目の住職となり、法相宗の本山である奈良の興福寺にならって中金堂、東金堂、西金堂の様式をとる七堂伽藍を整備しています。
その際、中金堂に聖観世音菩薩像を彫造して安置したそうです。
そこから現在の市の名前にも使われている「観音寺」という名前がついたのです。
「七宝山」という山号は、建立の際に、仏塔に瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋めて地鎮したことが由来になっています。
68番札所 神恵院を参拝
こちらの建物、境内にこんな近代的な建物があるのは不思議な感じですね。
なんと神恵院本堂と書かれています。
まさかのコンクリート打ちっぱなしにちょっと驚き^^
中は階段になっていて、上にあがる道は薄暗くなっていました。
そこを上ってみると、
こちらが本当の本堂でした^^
本堂は見た感じ割と新しいお堂ですが、こちらは2002年の山崩れによる伽藍改修で建てられたものです。
実は明治以降の神恵院本堂は、境内の高台にある薬師堂の場所でした。
それが山崩れを復旧するにあたって、境内の入り口から向かって左側にまとめられたのだそうです。
本堂には、琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来の仏像が祀られていました。
その時は何も思わなかったのですが、後で調べていると、神恵院は弘法大師によって描かれた阿弥陀如来の掛け軸が本尊になっているとのこと。
そして四国霊場で掛け軸を本尊とする札所は神恵院だけであるということだったんです。
本来の本尊は秘仏で、こちらはお前立(秘仏の本尊の代理として願いを聞く仏)でしょうか?
その辺はわかりません^^;
大師堂は、近代的な本堂と納経所の間にあります。
近代的な建物の右にも大師堂がありますが、こちらは69番札所 観音寺の大師堂ですので、お間違いなく^^;
大師堂をお参りしたら、次は観音寺です。
69番札所 観音寺を参拝
観音寺は、日証上人が所属する法相宗の道場として建立しましたが、その後弘法大師が7代目住職を務め、その時に伽藍が整備されています。
その時、東・西・中の3つも金堂を持つ大寺院だったんですね。
現在の薬師堂が西金堂、本堂が中金堂にあたります。
東金堂は弥勒菩薩を祀った弥勒堂とのことでしたが、どこにあるのかわかりませんでした^^;
こちらは69番札所 観音寺の本堂。
神恵院の本堂が近代的なのに対して、こちらは室町時代の本堂の部材を使って江戸時代に建立された歴史ある建物。
国の重要文化財に指定されています。
本堂の横にある階段の上には薬師堂があります。
そしてこちらが69番札所 観音寺の大師堂。
ここまで参拝したら納経所で2か所分の御朱印がいただけます^^
閻魔大王が安置される十王堂
私が訪れたのは8月16日。
実はこの日は、年に一度の観音寺の縁日にあたる日でした♪
偶然なのですが、ラッキーですね^^
そしてこの日は十王堂では、8月16日に、地獄の主である閻魔大王に先祖の成仏を願う、塔婆供養が行われます。
「お観さんの塔婆供養」とも呼ばれて地元でも親しまれているようです。
そしてこの日は、江戸時代の中頃に描かれたという地獄絵も公開されるとのこと。
残念ながら塔婆供養には間に合いませんでしたが、地獄絵は69番の大師堂に飾られていました。
こちらは地蔵菩薩が地獄に落ちた衆生を救うシーン。
こちらは閻魔大王が裁くシーン。
地獄絵というのは、文字が読めない人に地獄の恐ろしさをわかりやすく伝えるために描かれたものです。
ただ恐ろしいということだけでなく、信仰を確かにしていれば、上のお地蔵様のように仏が助けに来て極楽へ導いてくれる、というところまで教えます。
そうすることで、信仰の重要性を伝えることができるわけですね。
そしてこちらは十王堂。
中には閻魔様をはじめ、閻魔様と一緒に裁く十王もいらっしゃいます。
三途の川で衣服をはぎ取る
これだけ揃っているということは、ここは十王信仰が盛んだったのでしょうね。
ちなみに閻魔大王の像は、見る人の心の持ち方によって顔つきが変わるといいます。
人によっては怖い顔に見えることもあるし、逆に優しい顔に見えることもあります。
同じ人でも日によって違うかもしれません。
もし怖い顔に見えるなら、何かやましいことがあるときなのかもしれませんね^^
御朱印
神恵院の御朱印です。
そしてこちらは観音寺の御朱印です。