奈良市高畑町、春日大社の南側にある新薬師寺。
天平文化の華が咲いた聖武天皇の時代、天平十九(747)年に建てられたお寺です。
新薬師寺の見どころといえば、なんといっても日本最古にして最大の十二神将塑像です。
国宝の薬師如来像を囲む十二体のガードマンで、ポーズや持ち物もバラエティに富んでいて、その表現力はまさに天平彫刻の傑作と言えるものです。
ここでは、新薬師寺の歴史や、薬師如来、十二神将についても解説します。
新薬師寺と薬師寺の違いは?
奈良県には「薬師寺」という有名なお寺がありますが、このページで紹介する「新薬師寺」は、「薬師寺」とは違います。
薬師如来を祀っているという点では一緒ですが、全く別のお寺です。
新薬師寺の創建は天平19(747)年、聖武天皇のお后である光明皇后が、聖武天皇の病気平癒を願って建てたお寺。
それに対して薬師寺の創建は天武天皇9(680)年、天武天皇がお后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建てたお寺です。
薬師如来は名前からわかるように、主に病に苦しむ人々を救うとされる仏なので、病気平癒が願いならそのお寺に「薬師寺」と名付けるのは自然な流れですね。
また、「新薬師寺」の「新」は、新しいという意味ではありません。
霊験が「新たか(あらたか)」という意味です。
どちらも見どころのある素晴らしいお寺ですが、お寺のある場所も、見どころの内容も全然違います。
訪れる予定のある方は間違えないように気をつけましょう。
新薬師寺はかつては大寺院だった
新薬師寺は、入り口になっている南門をくぐるとすぐに本堂があります。
結構こじんまりとしたお寺です。
そして、東大寺や興福寺とはちょっと離れていることもあってか、参拝客はちらほらという感じです。
いわゆる穴場という感じですね。
でも、創建当初は南都十大寺の1つに数えられるほどの大寺院だったんです。
一説によると、8万平方メートルもの広大な寺領をもっていたのだとか。
境内への入り口は南大門で、門をくぐると左右に東塔、西塔がありました。
南大門からまっすぐ進むと中心伽藍の金堂があるのですが、金堂の手前には中門があり、回廊で金堂に繋がります。
さらに、百人あまりの僧が修行する僧房、儀式を行うための壇院、お経を保管する経蔵、他にも食堂、奥院、講堂、鐘楼など、伽藍がたくさんあったのです。
そして、春日山の山中にも香山寺というサテライトのお堂までありました。
中心伽藍である金堂は間口九間(柱と柱の間が九つある)という大きな建物で、七仏薬師が祀られていました。
つまり、7体の薬師如来です。
しかも、それぞれの薬師如来の両脇に、日光菩薩・月光菩薩がお供する、薬師三尊形式。
合計で21体もの仏像が並んでいて、それを囲むように十二神将像が置かれていました。
まさにパーフェクトな布陣です。
今ではこんなに揃えているお寺はありませんからね。
しかし、新薬師寺の繁栄は長く続きません。
平安時代の宝亀11(780)年に落雷で西塔を含むいくつかの堂宇が消失、応仁2(962)年の大風では金堂が倒壊してしまいます。
さらにはダメ押しの治承4(1180)年、平重衡による南都焼き討ちがあり、現在の本堂だけが残りました。
鎌倉時代になって、地蔵堂、鐘楼などが建てられましたが、最盛期の勢いは取り戻すことができず、現在の規模になっています。
今の本堂も、かつての金堂ではありません。
食堂とも壇院であったとも言われていますが、確実なことはわかっていません。
でも、これだけ何度も灰燼に帰す状況を何度も潜り抜けて残ってきたのが今の本堂です。
何度か修理・改変はされていますが、創建当初から伝わる唯一の建物なんです。
入母屋造りの本瓦葺、桁行七間、梁間五間の建物で、シンプルな造りですが、天平時代の特徴を示すことから国宝に指定されています。
内部は天井に板を張らずに構造材をそのまま見せる「化粧屋根裏」になっていますので、建物に興味のある方はお堂の中でも上を見上げてみてください。
新薬師寺の見どころ:薬師如来と十二神将
※画像:ポストカードより
本堂の中が一番の見どころなのですが、撮影禁止なので、購入したポストカードで紹介します。
本堂の中には薬師如来と、ガードマンである十二神将がいらっしゃいます。
円形須弥壇の中央にお薬師様が鎮座していて、それを十二神将たちが取り囲んで護衛する布陣になっています。
十二神将と薬師如来のポストカードのセットを購入して、実際の布陣を作ってみました^^
こんな感じで取り囲んでいます。
薬師如来坐像(国宝)はカヤの木からなる木造で像高191メートル。
十二神将立像は塑像(土で作った像)で、像高151~166センチメートル。
実際に見ると、お薬師さまは大きいですし、十二神将たちも趣味壇の上に立っていますので、下から見上げる感じになります。
迫力満点ですので、ぜひ現地に見に行ってみてください。
拝観者はこの周りをぐるっと回りながら拝観することができます。
走ってみれば(走ってはいけませんが)十二神将のメリーゴーランドになりますね^^
(みうらじゅんさんが見仏記でやっていました)
本堂では十二神将のフィギュアが一体3,000円位で販売されていて、とてつもなく欲しかったのですが、12体そろえるのは大変なので、断念しました^^;
それであの布陣を再現してみたいですけどね^^
薬師如来はどんな仏様?
そもそも薬師如来は、どんな仏様でしょうか?
一般的には薬に関する仏様で、あらゆる病気を治す御利益を与えてくれるとされています。
なので、日本に仏教が伝わってから、平安時代に浄土教が阿弥陀如来の信仰を流行らせるまで、薬師如来はトップクラスの人気だったのです。
阿弥陀如来は、人が亡くなったら西方にある楽園「極楽浄土」に連れて行ってくれるということで人気になりました。
つまり、来世の安泰を約束してくれることで人気が出たんですね。
一方で薬師如来も、実は東方に「浄瑠璃浄土」という楽園を持っています。
薬師如来はインドの王子として生まれ、衆生の苦しみを見て、救ってやりたいと出家して苦行したのですが、その時12の大誓願を立てました。
その願いが成就したことで浄瑠璃浄土を持つことができたんです。
浄瑠璃浄土は、極楽浄土に引けをとらないのですが、浄土教が流行ったタイミングやPRの仕方で認知度に違いが出たのでしょうね。
「薬師如来は現世を救ってくれる仏で、来世の安泰を願うなら阿弥陀如来だ!」
という認識が広がったわけです。
本当は薬師如来も、現世だけでなく、来世にもご利益を与えてくれる仏なのです。
十二神将は、薬師如来を守るボディーガード
十二神将は、薬師如来を守る12人の善神です。
薬師如来の眷属なのですが「眷属」というのは、「専属で仕えているもの」と考えてよいでしょう。
薬師如来は苦行中、いろいろな悪魔から修行の妨害を受けていました。
その時戦ったのが十二神将です。
十二神将は、それぞれが七千もの部下を抱える大将で、12人集まるとそれだけで八万四千もの大軍団が動くことになるのです。
ちなみに「十二」という数字は、薬師如来の12の大誓願に由来するという説もありますが、干支とも重なるということでそれぞれの大将に十二支が割り当てられています。
大将名 | 国指定名 | 十二支 |
---|---|---|
いぬ | ||
ひつじ | ||
たつ | ||
ね | ||
うさぎ | ||
いのしし | ||
うし | ||
とら | ||
うま | ||
とり | ||
さる | ||
み |
干支が割り当てられるということは、方位を意味します。
だから薬師如来をぐるっと囲んで、それぞれの方位からの侵入を防いでいるんですね。
新薬師寺の十二神将立像について補足
次は仏像としての十二神将についてです。
この像は
仏像といえば今では木造のものが多いので、とても貴重です。
塑像を造る技術は、天平時代より少し前の7世紀後半に日本に伝わった古いものなので、その時代からあるお寺で、かつ現在まで守ってきたお寺にしかないと言って良いでしょう。
ちなみに新薬師寺は、災害や戦火で何度も消失した歴史があると説明しましたが、仏像は残念ながら戦火を逃れたわけではありません。
実は、現在ある十二神将は別の場所から移されてきたものなんです。
それが、新薬師寺の南東方面にあったとされる「岩淵寺」。
現在は廃寺跡になっているのですが、岩淵寺は鎌倉時代末まで存在したお寺で、荒廃した後に新薬師寺に移されたということがわかっています。
とはいえ、ほとんどが天平塑像の名作であることは紛れもない事実。
国宝にも指定されているのですが、残念ながら一体だけ、国宝指定から外されている像があります。
それが、たつ年の波夷羅大将です。
波夷羅大将は、江戸時代末期の安政元(1854)年、大地震で倒壊してしまったのです。
それから長らく、木造の波夷羅大将が置かれていましたが、昭和6年に塑像で穂作されました。、
そのため国宝指定からは外れています。
パッと見た感じでは、他の像と違いがわからないほどの出来なのですが、惜しいですね^^;
新薬師寺にまつわる逸話
新薬師寺には、知っていると興味深い逸話が関係している建物や仏像がいくつかあります。
日本霊異記にも記載、鬼の爪痕が残っている釣鐘
新薬師寺の南門をくぐってすぐ東側に、鐘楼があります。
鎌倉時代のもので重文指定されているのですが、中の梵鐘は天平時代のもの。
この梵鐘のことが日本霊異記に書かれているのです。
このような話です。
男は、病で寝込んでいる妻と幼い娘に食べ物を与えるために盗みに入ったのです。
しかし男は捕まってしまい、死刑にされてしまいます。
その後、ある噂が立つようになります。
それは、夜になると元興寺の鐘楼に鬼が現れ、人に危害を加えるというものでした。
その鬼は、長者が殺した男の霊だったのです。
長者は鬼を退治してくれるものを募り、ある童子が名乗り出ました。
この童子は雷から授かった子で超人的な力持ちだったとされる、後の道場法師です。
童子と鬼は激しく戦い、なかなか決着がつきませんでしたが、朝日が昇るころ、太陽が苦手な鬼は山に逃げていきます。
童子は鬼を追ったのですが、途中で忽然と姿を消してしまいました。
このようなお話ですが、鬼を見失った場所は、現在も奈良ホテルの近くにある
「鬼を見失った不審な辻」ということですね。
また、話に出てくる梵鐘は元興寺のものとなっていますが、その梵鐘はいつしか新薬師寺に移されたのだそうです。
それが現在も残っている新薬師寺の梵鐘です。
梵鐘には、道場法師と鬼が戦ったときについた鬼の爪痕がたくさん残っているとのこと。
残念ながら鐘楼は鍵がかかっているので普段は登れませんが、除夜の鐘のときはつくこともできるようです^^
ちなみに元興寺には、その時に剥ぎ取った鬼の髪が残されたとされています(時の流れで失ったようで、現在には伝わっていません)。
香薬師堂に祀られている夜泣き地蔵
本堂の西側には、香薬師堂というお堂があります(通常非公開)。
白鳳時代の小さな金銅仏、香薬師如来立像が祀られていました。
この仏像は75cmと小さいため、明治時代に2度も盗難にあっていますが、なんとか戻ってきていました。
しかし、昭和18年に3度目の盗難にあって以来、戻ってきていないんですね。
でも、ここで安置されているのはそれだけではありませんでした。
夜泣き地蔵もその一尊です。
神官が不審に思い、泣き声がする方に向かうと、そこは社殿の中。
恐る恐る覗いてみると、そこにはお地蔵さまがいたのです。
「新薬師寺に帰りたい」
と泣いておられるので、神官はすぐにお地蔵さまを新薬師寺に移したのです。
平景清が残した景清地蔵とおたま地蔵
本堂には薬師如来と十二神将が祀られていますが、実はもう一尊、景清地蔵というお地蔵様が祀られています。
これは、平家の残党である平景清の伝承にちなむお地蔵様なんです。
平景清というと、昔、ナムコが出していた源平討魔伝というゲームに出てくる主人公ですね^^
このゲームでは、壇ノ浦でよみがえった景清が、鎌倉にいる源頼朝を倒しに行くゲームなのですが、景清は実際に、平家滅亡後に頼朝の命を狙っていたことがあるんです。
ある時、東大寺の再建で、頼朝が大仏開眼供養の法会に訪れるという話を聞き、暗殺計画を立て、頼朝が訪れる当日、東大寺の転害門で待ち伏せしていました。
景清は社人に変装していたのですが、不審な動きで見破られて計画は失敗、なんとか春日山に逃げることができたのです。
若草近辺に住んでいた母を訪ねて身を置いたのですが、その後そこで改心し、等身大の地蔵像を作りました。
そしてそれを身代わりとして母のもとに置き、自分は目を突いて死んでしまったのです。
母はその後、毎日この地蔵尊に景清の冥福を祈ったのだそうです。
この地蔵像が新薬師寺の本堂にある景清地蔵尊です。
お地蔵さんというと、普通は錫杖を持っているのですが、このお地蔵さんは弓を持っています。
それは景清を表しているのでしょうね^^
そして話はここで終りません。
実は1983年~1984年に、傷みが激しくなった景清地蔵の修理が行われることになり、その事前調査としてX線で撮影したところ、像内にもう一体、裸形のお地蔵さんが入っていることがわかったのです!
それがおたま地蔵尊です。
中に入っている、と言っても、手のひらサイズの小さな仏が出てくるケースはよくあるのですが、この場合はちょっと異例でした。
なんと、外の像とほぼ同じ大きさの像が入っていたのです。
この像には、タイル状につくられた木片が衣として着せるようにぺたぺたと貼られていて、外の像と一部共有したりしながらうまく組み込まれていたのだとか。
これを2躰にするにあたり、頭部を新しく作ったりなど補作を加えてなんとか分離したのだそうです。
このお地蔵さん、本当にスッポンポンなので、男性のシンボルも丸見えです^^;
でも、安産や健康に霊験あらたかとのことですよ♪
おたま地蔵尊は通常非公開ですが、お寺の人に頼めば開帳してくれます。(案内付きで別料金300円)
新薬師寺の御朱印
新薬師寺は、
- 西国四十九薬師霊場 第6番
- 大和北部八十八ヶ所霊場 第8番
- 大和十三仏霊場
に指定されています。
私はそのうち、ノーマルの御朱印と西国薬師の御朱印を頂きました。
まずはノーマルの御朱印です。
西国四十九薬師霊場の御朱印です。
いずれも本堂内で書いてもらったのですが、字がきれいですね。
新薬師寺の本堂東側には、ステンドグラスがはめ込まれています。
東側は何もないところなので目立たないのですが、それにしてもなぜこんなところに?と思ったのですが、こういうことでした。
「東方瑠璃光の光をお浴びください」
つまり、薬師如来ははるか東にある瑠璃光浄土の教主なので、そこから射し込む光は瑠璃光の光。
それを浴びようというわけです。
個人的には、国宝の建物にこんなことして大丈夫なのだろうか?とは思いますが、してしまったものは仕方ありません(≧▽≦)
光を浴びたい方は朝から行った方が良いですね^^;