平成27年は、高野山が開創して1200年という記念すべき年。
4月2日から5月21日にかけて、毎日何らかの法要やイベントが行われています。
下の写真は、高野山の壇上伽藍で行われていた、宝塚の名刹 中山寺の法要です。
法要の列は、金剛峯寺から壇上伽藍の金堂に向かうところ。
宝塚歌劇団の方々もいっしょに参列、歌や舞踊を奉納していました^^
このように高野山では、高野山内にある寺院だけでなく、全国の弘法大師のゆかりのある寺院も法要をしにやってきます。
他にも、この期間は普段見れない仏様の特別御開帳や宝物の特別公開もあります。
この機会にしか売っていないグッズなどもありますし、楽しみながら高野山のことを知るチャンスですね^^
今回は、奥の院と並ぶ高野山の二大聖地の一つ、壇上伽藍を紹介します。
奥の院は、弘法大師 空海が眠る場所で、弘法大師信仰の中心地。
それに対して壇上伽藍は、空海が構想した曼荼羅の世界を表現した場所で、真言密教の道場としての中心地です。
壇上伽藍では、根本大塔や金堂など、密教思想に基づいて諸堂が軒を連ねます。
172年ぶりに再建!現代の慶派仏師作の四天王も祀られている壇上伽藍の中門
下の写真は、今回の1200周年に合わせて再建された、壇上伽藍の正面玄関中門です。
今までに壇上伽藍を訪れたことのある方は、金堂前に礎石がいくつか並んでいるのを見たことがあると思います。
「中門跡」と呼ばれていた場所です。
中門は847年に建立されたとされていますが、今まで何度も山火事などの災禍に見舞われ、天保14(1843)年の火災以来、失われたまんまだったんですね。
それが今回の開創1200周年に合わせて、172年ぶりに再建されました!
4月2日に落慶の法要が行われたばかりなので、出来立てほやほやです^^
高野山の総門である大門と負けず劣らず、五間二階建ての大きな楼門。
用材は、西塔の後ろにある森林で育まれた、樹齢300年以上の木材が使われています。
貴重な高野檜皮が約1500本分も使われているんです。
大変立派ですね^^
中門は今でこそこんなに立派ですが、高野山開創期にあった中門は、鳥居のような形をしていました。
そのことから、壇上伽藍の結界の役目もあったと考えられています。
なので、中門に安置されている四天王はいままでずっと信仰の対象だったのですが、実際にはそこには何も残っていない状態だったので、今回の再建は高野山の僧や地元の人たちまでも待ちに待った再建なのだそうですよ^^
現在の中門は、鎌倉時代の建築様式をもとに設計したもの。
その頃にはすでにこんなに立派なものになっていたんですね^^
門の意匠は時代によって異なりますが、今回の再建では、最初に五間形式の門が建てられた鎌倉時代に近づけるように設計したのだそうです。
そんな門が復活する年に合わせて訪れることができたのは感慨深いですね^^
中門には四天王が安置されています。
下の写真のように、表側と裏側で背を向けあって安置されています。
正面には、持国天と多聞天の二天王。
いずれも文政3年(1820年)の再建時に作られたものです。
この二天は天保14(1843)年の火災の時にはなんとか救い出されたのですが、西塔に仮安置されたり、根本大塔に移されたりして、居場所がない状態だったんですね^^;
それが今回やっと本来の居場所に帰られたのです!
そして門の裏側には、増長天、広目天がいらっしゃいます。
増長天、広目天は、長らく失われていた状態だったのですが、このたび、「慶派」の流れを受け継ぐ平成の大仏師、松本明慶さんが制作して復活しました!
「慶派」というのは、東大寺の金剛力士像などを手掛けた鎌倉時代の伝説の仏師、運慶や快慶の流れを受け継ぐ仏師一派です。
動きのある表現を巧みに使い、数々の国宝や重要文化財を生みだした一派ですが、現代まで受け継がれているとは知りませんでした^^
そしてこれからはこの4体が揃って壇上伽藍を見守るわけですね。
新しく制作された2体には、四天王の役割を現代風に現わした、今までにない象徴が施されています。
まずは、増長天の胸にとまっているトンボ。
トンボは前にしか飛びませんが、ここでトンボを使ったのは、決して退かないという強い意思を表しているのだとか。
そして、広目天の胸には、セミがとまっています。
「広目天」という名前は、「広い」、「目」と書きますが、これは「広く見渡す」ということです。
セミの声は、どこまでも遠くに響き渡りますからそれを「すべて見ている」という意味で表現したのだそうです。
意味がわからないと「何でセミやトンボが?」と思ってしまいますが、意味を知ると面白いですね^^
あと、足元にいる邪気も面白いです^^
普通は、四天王に踏まれて苦しそうな表情をしているのですが、ここの邪鬼は歌舞伎の決めポーズみたいですね^^
柵越し見えにくいですが、角度によって表情が違うので、参拝したら色々な角度で見てみてください。
壇上伽藍に訪れる方は、金剛峯寺の方から東塔方面の蛇腹道を通って来られるパターンが多いと思いますが、ぜひ正門から訪れてみてほしいです^^
正門から入って、時計回りに回るのが正式な参拝ルートのようですよ♪
壇上伽藍 金堂 絶対秘仏の御本尊初公開!!
中門をくぐった先には、金堂があります。
高野山一山の総本堂となるお堂で、高野山の行事の大半がここで行われるという重要な場所です。
安置されている御本尊は薬師如来。
今まで絶対秘仏として、決して見ることのできなかった仏様です。
明治時代に、文化財調査という名目で何度も開扉を要求されそうなのですが、すべて断ったのだとか。
それほどの秘仏なのですが、今回の1200年記念に合わせてなんと史上初の公開となるのです!
金堂には、御本尊の薬師如来の他にも秘仏がいらっしゃいます。
元々7体いらっしゃったのですが、実は金堂は、今までに6回も火災に見舞われていて、昭和1年(1926年)の火災では、創建当時から安置されていた秘仏も燃えてしまったのだとか。
誰も見たことがないので、どのようなお姿だったのかもわかりません。
勿体ないですね^^;
現在の御本尊は、江戸末期から昭和初期にかけて活躍した仏師、高村光雲によるものです。
早速見せてもらったのですが、金堂の中までは入れず、外側の廊下から遠目で眺めるというもの。
だいぶ遠いですし、中は暗めですので、肉眼では細かいところは見えにくいですね^^;
同様に御開帳中の金剛峯寺の秘仏も同じように遠いので、高野山で御開帳中の秘仏を見たい方は、双眼鏡や単眼鏡を持っていくことをお勧めします。
壇上伽藍のシンボル、立体曼荼羅の世界が広がる根本大塔
金堂の北東には、壇上伽藍のシンボルになっている大きな多宝塔、根本大塔があります。
どこから見ても絵になりますし、どこからでも見えるほどの大きさ、それだけ重要な建物なのです。
空海が、修行の中心地として最初に着工したのがこの根本大塔で、日本初の多宝塔になっています。
ただし、空海の存命中には完成せず、弟子の代になってやっと完成したんです。
そんな根本大塔も、今までに落雷などで何度も焼失・再建を繰り返していて、現在のものは昭和12年(1937年)に再建されたものです。
どこから見ても絵になる塔です^^
下は西側の御影堂からみた根本大塔。
金堂の横からちらっと覗く根本大塔。
国宝 不動堂から見る根本大塔もきれいです^^
塔の内部には、密教の曼荼羅世界が現わされています。
曼荼羅の世界は、大日如来を中心に展開する広大無辺な世界なのですが、それを可視化したものが胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅です。
胎蔵界には胎蔵界の、金剛界には金剛界の仏様がいらっしゃいます。
胎蔵界は悟りの世界を、金剛界は智慧の世界を表していて、二つ合わせて両界曼荼羅といいます。
密教の修法の時には、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の掛け軸を二幅用意して使います。
つまり、二つ合わせて一つの道具なんですね。
根本大塔の中は撮影禁止なので写真はありませんが、「高野山巡礼の旅」というDVDのCMでほんの少し垣間見ることができます^^
中央に御本尊の大日如来がおられて、見えにくいですが大日如来の四方には四体の如来がいらっしゃいます。
ここまでは仏像として安置されていますが、周りには16本の柱があって、そこには金剛界の十六菩薩が描かれています。
このようにして立体曼陀羅を作っているんです。
これは胎蔵界、金剛界、どちらの曼荼羅でしょうか?
実はここでは、真ん中の本尊が胎蔵界の大日如来、四方の仏は金剛界の四仏なんです。
金剛界の四仏は、
- 北方:
不空成就 如来 - 東方:
阿閦 如来 - 南方:
宝生 如来 - 西方:
阿弥陀 如来
です。
見た目では何界の仏かはわからないですし、むしろ全部同じに見えてしまうのですが、そういう風になっているんですね。
それぞれ意味があるのですが、長くなるので今回は割愛します^^;
では、なぜこんな風に胎蔵界と金剛界を混ぜてしまうのでしょう?
それは、
「金胎不二」というのは、金剛界と胎蔵界は一見別の世界観のように思えても、本質的には一つのものなのだよ、という意味。
なので二つの世界が一つで現わされているわけです。
実際に目の当たりにすると、仏像や柱に描かれた菩薩の大きさに圧倒されてしまいますが、そこには深遠な教えがあるということですね^^
四隅の壁面には、真言宗を伝えた代々の祖師、真言八祖の絵が描かれています。
- 第一祖:
龍猛 - 第二祖:
龍智 - 第三祖:
金剛智 - 第四祖:
不空 - 第五祖:
善無畏 - 第六祖:
一行 - 第七祖:
恵果 - 第八祖:
空海
これは、真言密教の正統の系列で、第一祖から脈々と受け継がれてきたんです。
空海は唐に渡って密教を学んでいるのですが、師匠の恵果とのやり取りは弘法大師の伝記を読めば必ず書かれていますね^^
この真言八祖像も立体曼陀羅の一部なので、根本大塔の中に入れば、私たちは曼陀羅世界の中に足を踏み入れたことになります。
絶好のパワースッポットですね^^
伝説の三鈷の松
根本大塔の横には、三鈷の松という松があります。
ここには空海の伝説が伝わっています。
唐での勉学を終えた空海が日本に帰る時、日本で密教の修行をするのにふさわしい場所はどこかを占うことにしました。
そして、唐の明州の浜から、密教の法具である
日本に帰国した空海は、投げた三鈷杵を探して歩いていました。
高野山麓を歩いていたところ、白と黒の犬二頭を連れた漁師に出会いました。
※画像:高野山教報 第1566号より
その漁師が、三鈷杵の落ちた場所を知っているというのです。
そこで案内してもらったところ、高野山上に連れていかれました。
三鈷杵は確かにそこにあった松に引っかかっていたのです。
実はこの漁師、この一帯の地主神である
空海は丹生都比売大神から御神領である高野山を借り受け、ここに堂塔を建てることができたのです。
このような、空海が神々のお力を借りて高野山を開創したという話があるのですが、この時に三鈷杵が引っかかっていた松が、三鈷の松なんです。
下の動画は、南海電車のCM動画なのですが、上の話を垣間見ることができます^^
この時に投げた三鈷杵は、
現在は、高野山の霊宝館で厳重に保管されていて、普段は公開されていないのですが、開創法会期間は特別公開されています!
これは滅多なことでは公開しないそうですし、あべのハルカス美術館で行われていた「高野山の名宝」展でも出展されませんでした。
本物を見るのは今がチャンスですね^^
高野山創建に関わる神様を祀る、御社と山王院
壇上伽藍の西側には、空気がきれいで気持ちの良い空間が広がります。
ここにあるのは、
御社には、空海が高野山に道場を開くにあたって初めに祀った社。
高野山の創建に関わる地主神なのですが、それが先ほど紹介した丹生明神と高野明神ですね^^
山王院はその神様を拝むための拝殿という役割になっています。
こちらは御社。
鳥居の奥には3殿あって、正面に向かって右から丹生明神、高野明神(狩場明神)、十二王子・百二十供神が祀られています。
山王院は、地主の神である丹生明神・狩場明神を山王として礼拝する場所という意味です。
毎年旧暦の5月1日~2日には、空海自作の浪切不動像を置いて祈りを捧げます。
またこのお堂は年に一度、高野山の修行僧が、学道の最終試験が行われる場所にもなっています。
一人前の僧侶になろうとしている修行僧に見守ってもらうのでしょうね^^
根本大塔と一対をなす「西塔」
御社の北側、壇上伽藍の西北には、西塔という大きな多宝塔があります。
これは、空海が根本大塔とともに構想したもので、言わば根本大塔と一対をなす多宝塔です。
この塔の周りは高い木々に囲まれているのですが、それがまた良い雰囲気を出しているんですよね^^
中には、開創当時からのものと伝わっている金剛界の大日如来像を中心に胎蔵界の四如来を四方に配しています。
残念ながら、こちらは一般非公開となっています><
なので、人通りはほとんどないのですが、御社から西塔あたりは空気がきれいなので、ゆっくり散策したい方はこのあたりを散歩してみるのもおすすめです^^
御朱印
壇上伽藍では、金堂と根本大塔の二つの御朱印をいただくことができます。
御朱印を受けられる場所は、金堂横にある御供所です。
まずは金堂の薬師如来。
続いて根本大塔の大日如来。
バックが紙ではなくて杉材になっているのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」の10周年記念御朱印帳を使っているからです。
普通の御朱印帳なら普通にもらえますのでご安心を^^;
壇上伽藍は聖地と言われていますが、そんなに厳かな雰囲気というよりも、ものすごく居心地の良い空間です。
高野山は広いので、観光にきたらせかせかと次へ急ぎそうになりますが、ここに来たらここだけでゆっくり1日を過ごしたくなります^^
それくらい良いところですので、ぜひ時間をたっぷり使って訪れてみてほしいところですね。
ちなみに金堂のところで述べたのですが、私はいつも遠い距離に安置されている仏像を拝観するために下の単眼鏡を持ち歩いています。
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対象が暗いところにあると見えにくいですが、多少の光が入っていて、ちょっと遠いくらいなら十分見れます。
博物館などで細かいところを見たい時にも役に立ちます。
ポケットサイズですし持ち歩きに便利ですよ^^