琵琶湖に流れる川で最も長い野洲川の流域にある岩根山。
その中腹に近江の古刹、善水寺があります。
滋賀県湖南市の、国宝を有する天台宗寺院「湖南三山」の一つに数えられています。

善水寺の本堂(国宝)には、平安時代(正暦年間の頃)の比叡山根本中堂の諸尊を模掘した仏像がずらっと並んでいます。
延暦寺は織田信長の焼き討ちにあってしまいましたから、当時の根本中堂の様子をうかがい知ることができるお寺なんですね^^

そんな善水寺ですが、中央におられる御本尊の薬師如来は秘仏で、普段は厨子の中に納められていて拝観することはできません。
厨子の前に御本尊の写真が置かれていて、その写真でしかお姿を伺うことができないんですね。

でも、平成27年4月19日(月)~6月14日(日)は特別御開帳期間となっています。

前回の御開帳は平成13年で、実に14年ぶり。
しかも平成13年の時は52年ぶりの御開帳だったそうですから、善水寺での御開帳はなかなかレアケースとなっています^^

JR西日本の「歴史たび」のパンフレットもかっこいいです!

善水寺 歴史たび

というわけで、この時期に合わせて訪れてみました。

善水寺の伝説:池の中から現れた薬師仏

善水寺は山の中腹にありますが、岩根山は標高405mとそんなに高い山ではないので構える必要はありません^^;
竜王町側から行けば、整った道から駐車場まで行くことができます。

逆に、国道1号線側から行くと急な山道を登ることになります。
車で行けばスグなのですが、山道が苦手な方は竜王町側から行くのがオススメです。

駐車場も乗用車50台、大型バスが4台停められる広さなので安心です。

駐車場に車を停めるとそこに拝観受付があり、すぐに境内に入ることができます。

善水寺 入り口

境内は山の中ということもあり、自然の音しか聞こえなくてゆったりとした雰囲気を感じます^^
特に新緑の季節は緑の香りもして気持ちいいです♪

入ってすぐ、本堂にたどりつきます。

善水寺 本堂

本堂の前には百伝池(ももつてのいけ)という池があります。

こちらは本堂側から見た百伝池。

百伝池

中島には百伝弁才天が祀られています。

この池には薬師如来に関する伝説があります。

平安時代初期の延暦年間、天台宗の祖「最澄」が比叡山に堂舎を建てるための用材を探してこのあたりにやってきました。
材木を切り出し、川に集積し、筏を組んで、あとは野洲川から流して運ぶだけ、というところまでは順調だったのですが、このところの日照り続きで川の水量が少なく、流せなかったのです。

そこで最澄は請雨の祈祷をしようと場所を探していたところ、岩根山の中腹から一筋の光が放たれていたので、その場所にやってきました。
その場所というのが百伝池です。

池には

「是好良薬 今留在此」

と、法華経如来寿量品の一節が記された一葉の梶の葉が浮かんでいます。

不思議に思っていると、なんと一寸八分の閻浮檀金の薬師仏が現れたのです。

そこでこの薬師仏を本尊として7日間の祈祷を行ったところ、満願の日に一昼夜、大雨が降ったのです。

そして筏を組んだ木材は、川を下って琵琶湖の対岸の坂本に運ばれたのだそうです。

この、最澄が祈祷を行った場所は現在の本堂の真北にある医王山の頂といわれています。
そこには一つの壺が埋められており、どんなに日照りが続いてもこの壺の中には常に水があるのだそうです。
その壺は医王山の壺と呼ばれています。

山から光が放たれていて、そこに仏様がいた、という伝説は近江地方ではよくありますね^^
湖東三山の百済寺西明寺にも、エピソードは違いますがそのような伝説が伝わっています。

善水寺の伝説:霊験あらたか!天皇の病気も平癒させた善水寺の水

百伝池の東側、元三大師堂の横には、百伝池の地下から汲み上げられた「善水」があります。

善水

善水寺の名前の由来にもなった水で、このようなエピソードがあります。

ある時、平安京を築いた桓武天皇が病に倒れました。
その際、最澄がこの池の水を使って天皇の病気平癒を祈祷し、その霊水を天皇に献上したのです。

すると、天皇の病気はたちまち平癒されました。

天皇はこの、霊験あらたかな善い水のお寺「善水寺」という寺号を与えました。

善水寺は元々「和銅寺」という名前のお寺で、奈良時代中期の和銅年間(708~715)に元明天皇勅命の鎮護国家の道場として建てられたお寺でした。
それが最澄の働きによって天台寺院の「善水寺」となっていくわけですね。

先ほど紹介した「善水」は、飲むことができます。
やわらかくて美味しい水でした^^

そして本堂の前では、御本尊の御開帳中だけなのかもしれませんが、無料でペットボトルが提供されていました。

百伝の水

こういう場合、ペットボトルを有料にしているところも見かけるのですが、良心的ですね♪
これで水を汲むことができました^^

百伝の水

このペットボトルは圧着式。
横にハンマーが置かれていました。

百伝の水

この水は、お寺で申込みをすれば、御本尊の前に捧げて加持祈祷してもらうこともできます。
加持祈祷をしてもらう、ということは、桓武天皇が頂いた水と同じ水を頂けるということ^^
病気平癒に御利益がありそうですね♪

濃密な仏の姿を宿す国宝の本堂

善水寺 本堂

檜皮葺屋根の曲線が美しい、国宝の本堂。

高台になっている行者堂の方から見下ろすように眺めても綺麗です^^

善水寺 本堂

そして本堂では、御本尊の薬師瑠璃光如来の御開帳が行われていました。

善水寺 御開帳

今回の御開帳は、

  • 善水寺開創1300年慶讃
  • 慈覚大師1150年御遠忌報恩
  • 国宝善水寺本堂桧屋根葺替勧募

と、色々な理由があってのことのようです。
それにしてもなかなか御開帳されない秘仏なので、この機会に訪問できたことに感謝ですね^^

そして、御開帳するお寺でよく見かける「結縁手綱」もありました。

善水寺 結縁手綱

ご本尊と繋がっていますので、これを手に取って祈り、御縁を結ぶことができます。

本堂内部は仏像を納める内陣と、参拝者が礼拝をする外陣のほか、両脇には脇陣、背後に後堂があります。
それらに約30体の仏像が安置されています。

堂内は撮影禁止ですので、善水寺で頂いたリーフレットに、内陣を俯瞰した写真が載っていたので、お借りしました^^


※画像 善水寺 御開帳のリーフレットより

外陣の両脇には、かつて仁王門でにらみをきかせていた金剛力士像が立ち、内陣の前列にはガードマンとなる十二神将、そして御本尊の両脇に梵天、帝釈天、四天王が並びます。
これでもかというくらいSPを置いている感じです^^
本物を間近で見ると、圧巻です。

善水寺には平安時代に造られた仏像が多く、正暦年間の頃の比叡山延暦寺根本中堂の諸像を模刻造像したものといわれています。
そして、当時天台宗としての特徴的な配陣形式を残しています。

その配陣形式というのは、御本尊を中心とし、その周りに梵天、帝釈天、四天王の合計6体の善神を置くというものです。
この6体をひと組として梵釈四王(ぼんしゃくしおう)と呼ばれています。

かつてはこの梵釈四王が、各お堂の御本尊の周りを囲んでいたわけです。
比叡山として、天台宗としての基本的なお祀りの仕方なのですが、この形式が見られる例は、今となっては少ないんです。

そして比叡山・根本中堂では、更にあと3体、僧形文殊菩薩、不動明王、兜跋毘沙門天がありました。

平安時代に作られた不動明王は滋賀県内最古のもの、獅子にまたがっていない僧侶姿の文殊菩薩も珍しいですね。
兜跋毘沙門天は、滋賀県内ではよく見かけますが、ほぼ平安期に限られて造られた特殊な形です。

こちらは後堂に安置されているのですが、御本尊、梵釈四王と合わせてこの10体が一具像となっています。

ここまで揃えているところはありませんから、平安期の根本中堂の様子を伝える全国唯一の例です。
比叡山内にもありませんから貴重です。

御本尊の薬師如来は、平安時代の大仏師「定朝」の父「康尚」の作であるという指摘があります。
明治39年に修復を受け、その際に体内から文書が見つかり、平安時代中期となる993年(正暦4年)という年号が記されていたのだそうです。

また、御本尊の体内からは大量のもみが見つかっています。
そしてその一部を植えると、しっかり稲が実ったのだそうです。

1000年以上前の稲が薬師如来の体内で芽吹きの時を待っていたのかと思うと、生命のロマンを感じますね^^

今回の御開帳では更に、普段は非公開の仏像が2体公開されていました。
一体は金銅釈迦誕生仏。天平時代の作です。
もう一体は、信濃善光寺本尊御分身の銅像阿弥陀如来(鎌倉時代 元久三年)です。

こちらは御開帳が終わったあとも、6月30日まで公開しているそうです。

善水寺の御朱印

善水寺には御朱印がいくつかあります。

  • 西国薬師四十九霊場 薬師如来
  • 不動明王
  • 元三大師
  • 阿弥陀如来
  • 聖観音

です。

まずは御本尊、薬師如来。
西国薬師四十九霊場専用の御朱印です。

西国薬師 善水寺

御開帳バージョンも頂きました。

善水寺 御開帳 御朱印

本堂に祀られている不動明王の御朱印です。

善水寺 不動明王 御朱印

元三大師堂に祀られている元三大師の御朱印です。

善水寺 元三大師 御朱印

本堂で祀られている阿弥陀如来(善光寺式阿弥陀如来)の御朱印です。

善水寺 阿弥陀如来 御朱印

観音堂で祀られている聖観音の御朱印です。

善水寺 聖観音 御朱印

御朱印は全て、拝観受付で頂けます。
入山するときに預けて、参拝している間に書いていただくシステムになっています。


善水寺の境内から外に出て、駐車場から歩いて下山するところに岩根の里と呼ばれる場所があります。
「僧坊めぐり」と書かれている看板が目印です。

十二坊 僧坊めぐり

そこはかつて、百名を超す僧侶が生活をしていた十二の僧坊があったといわれています。
なので岩根山は別名十二坊とも呼ばれているんです。
地元の方は、「岩根山」というよりも「十二坊」と呼ぶのが一般的のようです。

十二坊は東尾・中尾・西尾の3つの地域に分かれていて、最盛期には26の僧坊があったそうです。

しかし織田信長の焼き討ちにあい、本堂などは戦火から逃れましたが、僧坊は焼け落ちてしまったんですね。

僧坊跡地には、僧坊跡であったことを示す立て札が立っているのみですが、このあたりには観音堂や不動明王の磨崖仏などもあります。
そんなに広い範囲ではないので、興味のある方は歩いて行ってみると良いですね。

御朱印で頂く聖観音はこちらの観音堂の観音様ですので、御朱印を頂くなら参拝しておきましょう。
丈六(坐像で2.5mほど)のちょっと大きな観音様です^^