福井県境に近い椿坂峠から琵琶湖に流れる余呉川沿いに、大森山という小山があります。
春になると山全体が桜に覆われるこの山の高台に、普門寺というお寺があります。
このお寺は、伝教大師 最澄が諸国を巡礼中に建てたお寺で、自ら仏像を彫って安置されたのだそうです。
その後、応永二十年(1413年)、大友皇子の末裔三位重則卿が京洛を出てこの地に滞留されたときに、御本尊に帰依して「普門寺」と名付けたそうです。
しかし、元亀、天正の兵乱で堂宇のほとんどを焼失、伝教大師作とされた観音様も損失してしまいました。
その後、お堂が再建されましたが、かつての面影がなくなった観音様。
しかしながら霊験はますますあらたかで、そのうわさは遠い京の都まで聞こえたそうです。
文政九年(1826)の秋には、仁和寺御室御所より尊信を受け、天皇家の紋である菊花御紋章付きの高張提灯一対を受け賜りました。
その後、観音様の尊像の一部を損じたので、本尊の御影も彫刻し、伝教大師御自作の尊像はその中に納められて安置されています。
余呉川のすぐ横にある普門寺の入り口にたどり着くと、参道はゆるやかな坂になっていました。
その横には杖が置かれており「自由にお使い下さい」と書かれています。
「そんなにきつい道のりなのか?」
と思いながらも登ってみたら、1分もかからないうちにお堂が見えてきました^^;
こちらが、お堂です。
菊の御紋つきの提灯が掛けられています。
こんな小さなお堂、と言ったら失礼かもしれませんが、村で守っているお堂に菊の御紋がつくのは珍しいですね^^
中には聖観音と薬師如来が並んで安置されています。
以前は観音堂と薬師堂が並んで立っていたそうですが、現在は一つの堂に安置されています。
しかし本来の御本尊はおそらく観音様でしょうね。
西野薬師堂のように、十一面観音と薬師如来のツートップ御本尊の例もありますが、こちらの「普門寺」というお寺の名前は、観音様の根本経典「妙法蓮華経 観世音菩薩
観音信仰を中心として建てられたようですから、御本尊は聖観音であると考えられます。
でも、いずれも現世利益をつかさどる仏様ですから、ありがたくお参りしておきます^^
こちらが薬師如来。
そしてこちらが霊験あらたかという聖観音。
47cmの小さな観音様で、左手に蓮華をとり、右手をかざした比叡山の横川観音堂形式の像です。
衣の部分には鮮やかな切金文様が施されています。
均整のとれた美しい姿のこの像は、江戸時代後期~明治時代の作。
最澄が彫ったという観音様は、胎内仏として安置されて、今でも集落の暮らしを見守っています。
こちらは観音堂から見下ろした風景。
ヤンマーの大森工場でした^^
ご朱印
普門寺のご朱印です。