滋賀県長浜市高月町に、東物部という地区があります。
お隣は西物部地区なのですが、このあたりは古代の豪族、
そのような集落に
ここには、行基菩薩が彫ったという霊験あらたかな十一面千手観世音菩薩がいらっしゃいます。
長く秘仏とされてきた観音様ですが、毎年8月の第一日曜日に行われる「観音の里 たかつきふるさとまつり」の主旨に共感して、観音まつりの日のみ公開されるようになりました。
光明寺の始まりは神亀元年(724年)のこと。
行基菩薩が諸国教化に出られた折り、この地を衆生有縁の地としてお選びになり、伽藍を建て、本尊 十一面千手観世音菩薩を彫りこんで安置されたことが始まりです。
その後、伝教大師 最澄が諸国を周ってきた折り、このお寺を比叡山の末寺と定めます。
それから七堂伽藍が整備されたんですね。
しかし、幾多の戦乱に巻き込まれ、今ではお堂一つのみ。
幸いにも御本尊様は無事だったのでこのお堂で祀られているわけです。
その観音様がこちら。
体躯表現が綺麗ですね^^
頭の上に十一の化仏、左右と真ん中の手は合わせて42本あります。
この観音様には、あるエピソードが伝わっています。
昔々ある時、盗賊がこの観音様を盗もうとしました。
お堂に忍び込んで観音様を抱え、村の入り口まで運んだところ、観音様が急に重たくなったのです。
盗賊はやむなく観音様を置いて逃げ去りました。
その夜、若く美しい僧侶が村人の夢枕に立ち、観音様が盗まれたことを告げるのです。
村人がその言葉にしたがって外を見ると、東の方より光明がさしているのが見えました。
その場所に急いで駆け付けてみると、そのたもとに御本尊がおられたのです。
その後、観音様は、霊験あらたかな村の宝として大切に祀られてきました。
お堂の隣には、「十所神社」と書かれた神社があります。
ここには、最澄が祀ったという「鎮護十所権現」が祀られています。
名だたる十ヶ所の神様を集めているのですが、そのメンバーは、日吉・熊野・八幡・白山・横山・建部・世代の各社、出雲大社・金峰大社・日吉十禅師となっています。
最澄は、観音様への信仰が篤く、湖北一帯だけでも衰退したお寺をかなり復興しているのですが、ここに鎮護する神様を祀ることで更なる観音信仰の発展を願ったのでしょうね。
ご朱印
光明寺のご朱印です。
光明寺から国道8号線に向かうと、東物部浄園という墓地があるのですが、そこには
幹回りが4mと3.5mという大きなケヤキです。
湖北地方では、このようなケヤキの大木は信仰の対象となっているんですね。
「高月」という地名も「槻」(ケヤキの古名)に由来します。
元々はこの古名を使っていたのですが、平安時代の歌人がこの地を訪れた時に、月見の名所として和歌を詠んだので、「月」という字が使われるようになったそうです。
そのようなケヤキの中から、大きさ、古さ、美観、風格、来歴、地域との結びつきなど総合的に考慮した「槻の木十選」にこの野神さんも入っています。
光明寺に行かれる際は、こちらも見てみてください^^