東大寺は、言わずと知れた奈良の大仏のいらっしゃるお寺です。
奈良時代(天平時代)、聖武天皇の発願で創建されました。
東大寺は修学旅行で行ったという人が多いのですが、大仏が大きいということしか覚えていない人も多いですよね。
そもそも何のために造られたのでしょうか?
今回は東大寺の歴史や見どころ、知っておくと東大寺が楽しくなる豆知識なども紹介します。
奈良の大仏はどういう仏さま?お釈迦さまとの違いは?
仏教の経典に、お釈迦さまの悟りの境地を説いた「華厳経」というものがあります。
東大寺の御本尊である大仏さまは、その「華厳経」の教主とされ、
仏教といえば、お
それは、このような違いがあります。
- 釈迦如来:仏法の心理を説いてくれる仏さま。
- 盧舎那仏:真理そのものを形にした仏さま。
盧遮那仏は、限りない光ですべての世界を照らすといわれています。
一説では、真理そのものである盧舎那仏から釈迦如来がたくさん出てきて、色々なところに心理を教えに行っているという話もあります。
紀元前に人間として生まれたお釈迦さまも、そのうちの一人なんですね。
東大寺と大仏は、国家予算の3倍もかけて造られた!
聖武天皇の時代は、天平文化が華開いた時代です。
東大寺が所有する正倉院には、奈良・平安時代の重要物品が多数納められており、当時シルクロードを通じてやってきた世界中の豪華な物品が多数あるので、文化の交流が活発だったことが想像できます。
その中には、「大仏開眼供養」で使われた品々もたくさん納められています。
開眼供養は、新しい仏様が造られた時に、目を入れて魂を迎えいれるという儀式です。
毎年秋に開催される正倉院展では、必ず大仏開眼供養で使われた品々が多数展示されるのですが、毎年展示されるものがほとんど違っているんです。
毎年見に行けば、開眼供養がかなり盛大に行われたことがわかると思います。
では、それだけ豊かな時代だったのかといえば、必ずしもそうとも言えません。
大仏殿と大仏は、造るにあたって国家予算のおよそ3倍という破格の費用を投じて造られているんです。
聖武天皇はなぜそこまでして造ったのでしょう?
実は聖武天皇が即位して以来、天然痘の大流行や、大地震、かんばつ、凶作、飢饉、政変など、天変地異や自然災害が続いていました。
聖武天皇にしてみれば、踏んだり蹴ったりですね^^;
自分の力ではどうしようもないと感じた聖武天皇は、仏教の力をもって国を治め、安定させようと考えました。
それで造ったのが大仏さまです。
その時代の人々は、明日生きられるかどうかが切実な問題だったと思うのですが、そんな時にかなり思い切ったことをしたわけですね。
このような理由で大仏の建立は国の威信をかけた大事業となったわけですが、東大寺には、何百年も昔に造られたとは思えないさまざまな仕掛けが施されています。
当時の人々が、いかに大仏建立に強い想いを込めていたか、想像できるようです^^
台風に負けない建築技法!国内最大の山門「南大門」
壮大なスケールをほこる、東大寺の南大門。
聖武天皇の命令で造った、寺の大事な山門です。
基壇上25.46mもある、日本一の大きさをほこります。
近くまで行くと、とにかく半端ない大きさです^^
東大寺に来ると、大仏だけでなく建築物やその他の仏像の大きさにも圧倒されるんですよね。
現在建っている門は、聖武天皇の時代に建てた門ではなく、鎌倉時代の門。
実は、奈良時代にあった門は、平安時代に台風で崩壊してしまったんですね^^;
さらには追い打ちをかけるように平家の焼き討ちにより東大寺はほとんどを焼失してしまいます。
その後鎌倉時代に再建されるのですが、ここには中国から取り入れた当時の最先端の技術で、風等に強い
代表的な大仏様の特徴と言えば、
南大門と大仏殿で見ることができます。
前方・上方に一段ずつ繰り出すようにされているのですが、六手まで繰り出しているのはなかなか見れません。
このように繰り出すことで、深い軒を造ることができるのですが、これだけ大きな建物ですからそれだけ深い軒も必要になってくるわけですね。
南大門は、門の下から見上げると、天井がなく、屋根まで吹き抜けになっています。
(写真写りが良くなかったので写真はありません^^;)
柱と柱の間にいくつもの「貫」を横に走らせていて、ガッチリ補強されているのを見ることができます。
柱に使われているヒノキは、全長20メートルという巨大な1本のヒノキ。
これが800年間も建ち続けているのです。
創建当時の姿は見ることはできませんが、時代を超えて最新の技術を導入して建てなおしていることから、篤く信仰され続けていることがわかります。
熱い想いが込められた2体の金剛力士像
そして、南大門といえば、大きな金剛力士像が有名ですね。
「仁王さん」とも呼ばれています。
金剛力士像は東大寺の守護神として造られた像です。
全長約8.4mもあります。
筋肉ムキムキ、力強い目鼻立ち、血管も浮き出して、今にも動き出しそうです^^;
このように仏像に力強さが現れるようになったのは、武士の時代になった鎌倉時代からです。
東大寺再建のスポンサーになったのも源頼朝でしたから、武士としての願いが込められているんですね。
特にこの像の制作にあたっては、ある狙いがありました。
平安時代末期、平家の焼き討ちによって東大寺が焼失したことがあります。
その後源氏が天下を取るわけですが、東大寺を再建するということは、これから時代を動かす立場になる源氏にとってアピールポイントでもあったわけです。
仁王像を造るにあたって選ばれたのは、当時の有名仏師運慶と快慶。
最初は奈良で活躍する優秀な仏師だったのですが、この仁王像を造ってから一躍有名になりました。
その後、慶派の彫刻が日本の主流になっていくのです。
今でも、運慶・快慶の作なら絶対に見る価値あり、と言えるほど仏像界の一流ブランドですね^^
これだけ大きいのに細部は細かい仏像、さぞ時間をかけて作ったのだろうと思いきや、制作日数はなんと69日!
20人くらいの慶派仏師が携わったそうですが、それでもかなりのハイスピードです。
約3000ほどのパーツをプラモデルのように組み立てて作っているので、作業分担することができたのです。
仁王像は、一度作り上げた後も手直しをしています。
下から見上げた時に良い形になるように、迫力が出るように、分厚いまぶたを付けたり、下を睨みつけるような目にしたり、へその向きを下に向けたり、思いを込めて何度もパーツを付け替えたのだそうです。
そうした試行錯誤の結果、出来たのが今の仁王像なんです。
というわけで、仁王像は下から見上げられることを前提に造られているのですが、南大門をくぐる時は、ぜひ真ん中を通ってみてください。
ちょうど真ん中に、向かい合っている仁王像の視線が交差するポイントがあります。
そこはまさに、仁王のパワーが集まるパワースポットなのです。
「大仏殿」として有名な「東大寺金堂」
大仏様が祀られているの「大仏殿」。
正式名は「東大寺 金堂」です。
こちらが東大寺のメインのお堂なのですが、大仏殿に入る前からチェックしておきたい見どころがあります。
大仏殿に向かう参道の注目ポイント
中門から先にある大仏殿への参道。
結構広い参道ですが、ここには一つ歴史的な意味をもったものがあります。
それは、参道に敷かれている「石」です。
一見何気ない参道ですが、よく見ると石の色が違います。
実はこれ、仏教が伝わった歴史を表しているのです。
中央に敷かれている石は、仏教が生まれたインドの石です。
その両脇にある石は、中国、その隣は朝鮮半島。
最後に、斜めに配置されているのが日本の石です。
仏教がインドで生まれ、次々と隣国に伝わり、ついには最終地点である日本にたどり着き、花開いたということ。
そして、その結晶が東大寺の大仏殿なのだということを表現しているのでしょうか?
大仏さまは仏教が語る真理そのものですからね。
そのような壮大なスケールの物語がこの参道に込められているわけです。
巨大さで威厳を保つ大仏殿
そしてこの参道の先にある大仏殿。
こちらも南大門と同じく
歩いている人と比べるとわかるのですが、下に立つとものすごい大きさです。
今でこそ高層ビルなどが普通になって、大仏殿くらいの高い建物も珍しくありませんが、昔は
といって、「雲」は出雲大社、「和」は大和の大仏殿、「京」は京都御所の大極殿のことを指し、その当時の日本の巨大建築ベスト3だったわけです。
当時の人はこの大仏殿の巨大さを目の当たりにして、威厳を感じていたことでしょうね。
神通力で体の悪い部分を治す「びんずる」さん
大仏殿に入る前に、左側に眼をやると、一体の仏像が置かれています。
これは
一般的には「びんずるさん」と呼ばれていますね。
実はびんずるさんは、実在の人物なのだそうです。
神通力を持っていたと言われているんですね。
なので、病人が体の悪い部分と同じところをなでると、そこが治るとされていて、たくさんの人が撫でていきます。
びんずるさんがいらっしゃるのは東大寺に限りません。
が、共通点が一つあります。
それは、趣味壇の上ではなく、そこから離れた場所に一人ぽつんといらっしゃるということです。
大抵の場合はお堂の外にいることが多いのです。
なぜ外にいるのでしょう。
実はびんずるさん、禁止されたお酒を飲んでしまい、酔っぱらって粗相をしてしまったのです。
それでお釈迦さまに破門にされて、外に出されたのだとか。
なので外にいらっしゃるわけですね^^
存在感を出す仕掛けが施された大仏さま
いよいよ大仏です。
圧倒される大きさで息を飲む大きさで、座高約15m、顔の大きさだけで約5m、耳だけとっても約2.5mもあります。
奈良時代、災害や伝染病など不安をかかえる多くの人々の祈りを受け止められるよう、とにかく大きな仏像が造られたんですね。
右手は前に、左手は膝の上にあるのですが、手の形にも深い意味があります。
右手は
中指が少し曲がっているのがミソですね^^
仮にこれを真っすぐにしてしまうと、「ダメ!」という拒否メッセージとしても受け取れます。
しかし、言葉を用いずに指を少しだけ曲げるだけで、安心感を与えるメッセージに変えているわけです。
左手は
仏教的に「願いを叶える」というのは、「苦しみから救いますよ」ということです。
この大仏さま、かなりの存在感がありますが、より存在感を出すために様々な仕掛けが施されています。
まず、顔が大きいということ。
立っても4、5等身ほどの大きさなんです^^;
それを知るとなんともカッコ悪い姿を想像してしまうのですが、座っている姿を見る限り、そんなに違和感があるようには見えませんよね。
なぜそのように造られているのでしょう?
これは、下から見上げることを想定しているからです。
大仏さまはかなりの大きさですから、普通の等身にすると顔が遠くなるので、小さく見えます。
しかし、顔を大きくすることで、遠くからでもより完全な姿が見えるように考え抜かれているんですね。
光背にたくさんついている仏は大仏の分身のようなもので「化仏」というのですが、これも遠近法を利用して、上の方が大きくて、下が小さく作られています。
同じ大きさに見えるのは、そのようなトリックが施されているためです。
トリックが施されているのは、仏像だけではありません。
天井の格子にも施されています。
距離の近い手前の格子、一段高くなった真ん中ら辺の格子、そして大仏の上の格子と続きますが、こちらも遠近法が使われていて、奥に行くほど大きく作られています。
写真ではわかりにくいのですが、何気なく見ていると、遠くにあることを忘れて、どれも同じ大きさに見えるんですよね^^
このような仕掛けが使われているのも、それだけ大仏さまに強い想いが込められているということでしょうね。
本尊級の大きさの脇侍や四天王
大仏殿に安置されているのは大仏だけではありません。
脇侍の虚空蔵菩薩や如意輪観音、四天王の広目天、多聞天もいます。
しかもいずれもデカいんです^^
よそのお寺に行けば本尊級ですね。
まずは大仏さまに向かって左側にいる、虚空蔵菩薩。
「虚空蔵」とは、無限の知恵を持つ、という意味。
特に密教では、とんでもない記憶力を得ることができる「虚空蔵求聞持法」という修法があります。
修法を修するのはとても大変なのですが、ちゃんとお参りすれば、ちょっとくらいは記憶力がアップするかもしれません^^
もちろんこの菩薩さまも大きいのですが、となりの大仏さまと比較すると、その大きさがわかります。
そして反対側にいる如意輪観音。
智恵や財宝、福徳をもたらすという「如意宝珠」という宝の珠で、私たちに望むものを与えてくれるという菩薩です。
普通は手が六臂(腕が6本)のものが多いんですよね。
でもこちらの如意輪観音は手が二つ。
如意宝珠も持っていません。
というか、一見、反対側の虚空蔵菩薩と手の位置が逆になっただけのように見えますし、見分けがつきませんね^^;
でも、ありがたい仏さまなので、きちんと拝んでおきましょう^^
虚空蔵菩薩から後ろに回ると、広目天がいらっしゃいます。
下には相変わらず餓鬼が踏みつけられていますが、この餓鬼は私よりも大きいです^^;
こちらは多聞天。
四天王の残り二人、持国天と増長天は、首だけが残っていました。
元々、大仏の脇侍の虚空蔵菩薩と如意輪観音、そして四天王は鎌倉時代、運慶・快慶が携わって建立されたのですが、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火によって大仏殿は焼失してしまいます。
それから江戸時代になって再び再建されたのですが、残念ながら四天王のうち、持国天、増長天だけ完成しなかったんですね^^;
予算がなかったのでしょうか?理由はわかりません。
大仏の手、大仏殿の鬼瓦、大仏殿の屋根の上にある
隣にいる人と比べたら、いかに大きいかがわかりますね^^
多聞天のそばには、有名な「柱くぐり」があります。
(※ 貞子ではありません^^;)
大仏の鼻の穴と同じ大きさといわれているのですが、このように柱の穴を潜り抜けれるようになっています。
最近は、この穴をくぐるのにすごい行列ができるようになったのですが、この穴をくぐると無病息災の御利益が得られるといいます。
しかし並んでいるほとんどが子連れです。
東大寺によると、その大きさは縦37cm 横30cm 奥行き120cm。
子供でもくぐるのはきつそうなので、大人は小柄な方でない限り無理でしょうね^^;
この柱は大仏殿の鬼門の位置に当たるのですが、この穴は、邪気が通って逃げて行くようにするためなのだとか。
つまり、ここを通ることは邪気払いになるということなのでしょうね。
東大寺 大仏殿の御朱印
東大寺にはたくさんの御朱印があります。
二月堂や戒壇院など、いろいろなお堂がありますが、それぞれに御朱印が数種類あって、大仏殿だけでも4種類ありました。
御朱印をもらうための行列も凄かったので、全部貰うのには時間がかかるので他の並んでいる人に申し訳なく、今回は二つだけ頂きました。
まずは、「大仏殿」の御朱印です。
そして、「盧遮那仏」の御朱印です。
その他には「華厳」がありましたが、あと一つは忘れてしまいました^^;
東大寺は華厳宗の総本山ですし、ちょっと前まで御朱印は「華厳」だけだったようですね。
まだ他の御朱印をもらってない方もまた御朱印を頂きに訪れてみてはいかがでしょうか?^^
東大寺は大仏殿だけじゃない!ディープな見どころもあります
観光で東大寺に行くと、大仏殿だけ見て奈良公園に戻る人も多いと思いますが、大仏殿は東大寺の境内の一部でしかありません。
境内はもっと広いのです。
東大寺の貴重な仏像の数々を展示する「東大寺ミュージアム」や、奈良の町を見渡すことができる絶景スポット「二月堂」、日本初の正式な授戒の場「戒壇堂」、重量約26t、「奈良太郎」の名を持つ大鐘を吊るす「鐘楼」、堂内でステージのように天平彫刻を代表する傑作仏が並ぶ法華堂(三月堂)など、見どころはまだたくさんあります。
大仏殿の参拝後、時間に余裕があるなら参拝してみてください。
また、毎年12月16日、年に一度だけ、開山堂、俊乗堂、法華堂の特別御開帳もあります。
1日しかありませんが、こちらもおすすめです。
12月16日は何の日かというと、東大寺を開山した
ちなみに、東大寺の建立を呼び掛けたのは聖武天皇ですが、良弁は建立するにあたっての最高責任者で、初代別当(東大寺で一番偉い人)となった人物です。
そして良弁僧正の座像が、開山堂に祀られています。
開山堂と良弁僧正座像はいずれも国宝なので、この日にしか見ることはできません。
そして次は、俊乗堂。
こちらには
この人はどういう人かというと、平安末期に起きた、平家一門である平重衡による南都焼討ちから、東大寺を復興させた人物です。
この時、東大寺の境内にあったもののほとんどが灰燼に帰してしまったんですね。
それほどまでの大ダメージから復活させたのが、重源さんです。
俊乗堂には重源さんの像が安置されているのですが、これがものすごくリアルなんです。
まるで今にも動き出しそうなほどです。
俊乗堂は普段は拝観できず、チャンスは7月5日の俊乗忌と、12月16日の良弁忌の年2回のみとなっています。
最後に、法華堂には14体もの天平時代の仏像が曼荼羅のように並びます。
これがなかなかの見ごたえがあるのですが、一体だけ、不空羂索観音の後ろに隠れて見えない像があります。
それが、執金剛神立像です。
見るからにめちゃくちゃ強そうな仏像で、伝説では平将門を討伐したことになっています。
ただし、見るためには不空羂索観音の後ろの通路に回らなければならず、良弁忌の12月16日にあわせて御開帳されます。
というわけで、12月16日に東大寺に訪れる際は、大仏殿よりもこちらを優先した方が良いかもしれないくらいおすすめですよ^^