徳島県鳴門市にある大麻比古神社は、「おわさはん」と親しまれている徳島一の大社です。
阿波国の一の宮で、阿波国と淡路国の総産土神でもあります。
古くから方除け、厄除け、交通安全の神として信仰されています。
大麻比古神社は、古来より船舶航行の目印となっていた大麻山の麓に本宮が鎮座し、大麻山の頂上には奥宮が鎮座しているのですが、その神域はなんと4万坪!
そのほとんどが大麻山県立自然公園となっています。
四国には「お遍路さん」でお馴染み、四国八十八ヶ所霊場が点在していますが、大麻比古神社の近くには、第一番札所の霊山寺、第二番札所の極楽寺があります。
神仏習合時代(明治維新以前)には、一番札所の霊山寺は大麻比古神社の別当寺(神社に付属して置かれたお寺)とされていました。
よく、神社とお寺の区別がつかないという方がおられます。 でも、それはおかしなことではありません。 歴史を紐解けば、区別がつかないのも当然の流れなんですよね^^ そのカギを握るのが「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」です。 …
ここには交通安全の神が祀られていることもあり、四国遍路出発前に旅の無事を願ってご神徳を頂きに来られるお遍路さんも多いそうです。
なのでこの地はまさに、四国遍路の出発点なのです。
大麻比古神社は霊山寺の門前から横道に入り、車で2~3分ほどの場所にあるのですが、車の通りの多い霊山寺門前からちょっと入るだけで、ほとんど自然の音しか聞こえないのどかな空間になっています。
大麻比古神社に祀られている神様
大麻比古神社には、
- 大麻比古大神
- 猿田彦大神
の二柱の神様が祀られています。
大麻比古大神は、
天太玉命は、天照大御神の岩戸隠れの時、サカキの木に玉・鏡・麻をかけて大玉串をつくり、天照大神を招くという働きをした神様で、殖産の神とされています。
この地に天太玉命を祀ったのは、阿波の国を開拓した古代氏族「
天太玉命の子孫です。
忌部氏は麻や
そして、守護神として大先祖である天太玉命を郷土の守り神として祀るようになったのです。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に地上の道案内役をかってでた、天狗のお姿の神様。
かつて、大麻山に住んでおられたそうで、後世になって大麻比古神社と合わせて祀られるようになったのだそうです。
猿田彦大神は道開きの神様であり、道の先頭に立って災いを退けてくれる神様です。
交通安全のご神徳も、この神様が授けてくれます。
大麻比古神社の社名は、この二柱の神のご神徳を称えて奉ったお名前なのだそうです。
大麻山麓に佇む厳かな境内
霊山寺の山門と門前一番街の間の道を数分歩くと、大麻比古神社の大鳥居が見えてきます。
ここからは両側に石燈籠が続く参道。
1kmほどありますが、車の場合はこの参道を通り抜け、石鳥居をくぐったところにある駐車場まで行くことができます。
石燈籠の参道を抜けると、祓川橋が見えてきます。
奥に見える山は大麻山です。
参拝する前に、この川でみそぎ、祓いが行われていたことから、その名前がついています。
祓川橋を渡ると、石鳥居が現れます。
この石鳥居をくぐると神域に入ります。
御本殿もすぐそこです。
石段を登る前に、かわいらしい獅子と狛犬がいます。
口を開けているのが獅子で、口を閉じて角のあるのが狛犬なのですが、狛犬に角がありません。
どちらも獅子なのでしょうか?わかりません^^
参道を進むと、大麻比古神社のシンボルともいえるご神木の大楠が見えてきます。
樹齢はおよそ千年。
幹回りが8メートルほどあって、枝葉で参道を覆ってしまうほど立派でどっしりとしたご神木です。
このご神木、よく見るとゾウのようにも見えます^^
鼻の曲線が良いですね^^
ご神木の裏側に回ると、お食い初めに使う「歯固め石」の納め所になっていました。
ご神木のようにすくすく立派に育つようにお願いすることができるわけですね。
ご神木を過ぎると、締め柱の先に拝殿が見えます。
拝殿前にいらっしゃる獅子と狛犬。
かなり古くから鎮座していそうな、素朴な獅子・狛犬です。
「よく来たな♪」と言わんばかりの目をしています。
そしてこちらの狛犬には角がありました^^
拝殿前には
自分でお祓いしてからお参りすることができるんですね。
ちなみに神社で神主さんに御祈祷をお願いすると、
しかし大麻比古神社では、神様の名前にちなんで、麻のみで作られています。
古より伝わる大麻の原型なのだそうです。
御本殿の裏側には、摂末社が並びます。
裏側に回り込む途中で見ることができる御本殿。
厳かな雰囲気で佇んでいました。
そして裏側には、伊勢神宮 外宮の神、豊受大神を祀る「豊受社」、山を司る守り神、大山祇神を祀る「山神社」、そして御祭神不詳の「中宮社」があります。
シンプルな社殿になっています。
中宮社は御祭神不詳のまま祀られていますが、ここの社殿は、かつて伊勢神宮が使用していた御用材で、式年遷宮した後に使われなくなった「
つまり、伊勢神宮のお下がり木材ですね。
この木材は、これだけで御利益があります。
ぜひお参りしておきたいのですが、注意点が一つ。
中宮社のさい銭箱には木槌が置かれています。
実は、中宮社に祀られている神様は、少し耳が遠いという民間伝承があるのです。
なので、参拝する前にお賽銭箱の淵を木槌で叩き、御挨拶に来たことを神様に伝えるのだそうです。
周りに何の説明書きもないので、知らないとスルーしちゃいそうですね^^;
ドイツとの友情の架け橋 メガネ橋とドイツ橋
中宮社の先には、再び鳥居が現れます。
鳥居の先は円山公園となり、末社の丸山神社、丸山稲荷神社がありますが、途中で神社にある建物とはちょっと雰囲気が異なった、ドイツ橋とメガネ橋があります。
この二つの橋は、ドイツ人が鳴門市民へのお礼として作った橋なのです。
第一次世界大戦の最中の大正三年、日本は当時同盟国だったイギリスの要請で、ドイツに宣戦布告し、当時ドイツ領だった中国のチンタオを攻撃したのです。
その時敗れたドイツ兵は、捕虜として日本各地の収容所に連れてこられたのが、そのうちの一つ、鳴門市にあった収容所には953人のドイツ兵が連れてこられました。
「捕虜」というと、不当な扱いを受けたり、過酷な労働をさせられるイメージがありますよね。
しかし、所長であった松江豊寿所長は人権を尊重する人だったので、捕虜に労働の義務はなく、それどころか自分のお店を運営したり、合唱団を結成したり、スポーツクラブ、劇場など自主的に建てるこができ、快適な収容所生活を楽しむことができたのです。
鳴門の人たちは、当初突然連れてこられた異国の人たちをどう扱ってよいのか戸惑いましたが、「ドイツさん」と呼んで、次第に親しくするようになりました。
ドイツの人たちは、鳴門の人の優しさに応え、牧畜やお菓子作り、製パン、建築、スポーツなど、母国の様々な技術を伝えたそうです。
中でも有名なのが楽団。
定期的にコンサートが開かれていたのですが、ベートーヴェンの「交響曲第九番」は国内で初めて演奏されたことから、鳴門市は「第九のふるさと」ともいわれています。
世界大戦が終結するまでの3年間、ドイツ兵たちはここで過ごしたのですが、戦争が終わると帰国することになります。
その時、鳴門市民との友情の証として、ドイツの優れた土木技術を活かして10の橋が造られ、そのうちの2つが境内の丸山公園内にあります。
それが、メガネ橋とドイツ橋です。
ドイツ人たちは、一日も早く祖国に帰れるよう、神社にも参拝していたようです。
まず、メガネ橋の方に向かうと、ここには「心願の鏡池」とよばれる整備された池庭があります。
そこにかかっているミニチュアのような小さな石橋がメガネ橋です。
メガネ橋は高さ約1メートル、長さは約3.5メートルで、もちろん渡る事もできます。
次はドイツ橋。
こちらは小谷に架かった、実用的な橋です。
この橋を渡って、丸山神社、丸山稲荷神社に行くことができます。
片道90分!奥宮 峰神社への道
大麻山の頂上には、奥宮である峰神社があって、歩いて登ることができます。
登り口は、拝殿の横から始まります。
ただし、大麻山は標高538メートルの神体山。
鳴門市の最高峰の山で、地元の人には「
しかし、峰神社まで片道2km、90分の道のりとなります。
気軽に登るにはちょっときついですね^^;
しかも「まむしにご注意ください」の看板もありました><
どんな道が続くのか興味はありますが、なにより往復で3時間は用意しておかないといけないので、今回は直接参拝は見送りました。
その場合は、メガネ橋の架かる鏡池のそばにある、奥宮遥拝所で参拝しておきます。
奥宮まで行けない方は、ここでお参りをします。
交通安全を祈願したいお遍路さんも、ここでお参りしておくとよいですね^^
大麻比古神社の御朱印
大麻比古神社の御朱印です。
ここにはオリジナルの御朱印帳があります。
大麻比古神社の神紋が表紙になっています。