善通寺

香川県善通寺市にある善通寺は、弘法大師 空海誕生の地。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして信仰されています。

また、四国八十八ヶ所霊場 第七十五番札所であり、真言宗善通寺派の総本山です。

創建当初の善通寺は東寺の末寺として建てられました。
その後、本寺が東寺から随心院、大覚寺、また随心院と転々として、1947年(昭和22年)には単称の真言宗として独立、それから昇格して真言宗十八本山の一つ「善通寺派」になったのは1972年(昭和47年)と、割と最近のことです。

境内は、伽藍と称される東院誕生院と称される西院の二つに分かれています。

善通寺 案内図

お大師さまが建立した初期の善通寺は「伽藍」のみで、「誕生院」はお大師さま出身の佐伯家の邸宅があった場所で、後の世に誕生院となりました。
善通寺は、その両院合わせて総面積約45,000平方メートルという広大な広さを有します。

佐伯家の菩提を弔うために建立した 伽藍「東院」

「伽藍」と称される「東院」は、お大師さまが建てられた、もともとの善通寺です。

創建は弘仁4年(813)、唐から帰国したお大師さまが先祖の菩提を弔うために建立したのが始まりです。
讃岐の豪族であったお大師さまの父、佐伯善通から土地の寄進を受け、唐の青龍寺のの伽藍の雰囲気をそのまま再現したものです。

現在重要な堂宇は、金堂、五重塔、常行堂(釈迦堂)くらいですが、創建当初の善通寺は現在の2倍以上の広さを有し、15の大きなお堂が並んでいたと考えられています。

「善通寺」という寺号は、父の名前「善通(よしみち)」からとっています。

山号は「「五岳山」というのですが、これは、寺の西側にある香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳がそびえることから、五岳山と名付けられています。

下の写真は、東院の入り口、南大門。

善通寺

五重塔と入り口の門がバッチリ収まった美しい景色です^^
南大門には、「五岳山」の扁額が掲げられています。

善通寺 南大門

南大門の上の四隅には、四天王が配置されています。

善通寺 四天王 善通寺 四天王

善通寺 四天王 善通寺 四天王

ちょっと高いので見えにくいですね^^;
じっくり見たい方は、双眼鏡や単眼鏡を用意した方が良いかもしれません。

南大門をくぐり、参道の先に見えるのは金堂です。

善通寺 金堂前

が、金堂に行く前に、左右を見たら見逃せない見どころがあるんですよね^^;

まず、参道左側にある五重塔(重文)。

善通寺 五重塔

善通寺 五重塔

三間四方、高さは43メートル。
国内3番目の高さを誇ります。

初層には、金剛界四仏(阿しゅく、宝生、阿弥陀、不空成就)、五重目には大日如来が安置されています。

当初のものは永禄の兵火で焼かれ、台風や火災で何度か倒壊したり焼失したりしていて、現在の塔は4代目で、弘化2年(1845)に再建が始められ、明治35年(1902)に完成したものです。
完成まで3人の棟梁が関わり、実に60年近くもかかっていますが、それは途中、明治維新によって再建が中断されたからです。

京都の東寺は55メートルなので、それよりも10メートル低いのですが、一重一重に割と高さがあるように感じられる塔です。
善通寺のシンボルですね^^

どこから見ても絵になります。

善通寺 五重塔

そして参道左側にある大楠。

善通寺 大楠

善通寺 大楠

樹齢千年を超える大楠です。
東院には、五社明神の横にも同じく樹齢千年を超える大楠があります。

この2本の大楠は、兵火や火災にも耐えていますし、もしかしたらお大師さまも幼少の頃、この木で遊んでいたかもしれません^^

そして善通寺の本堂となる金堂(重文)。

善通寺 金堂

裳階(もこし)というひさしが特徴的な、禅宗様を用いた建物です。

創建当初の金堂は、永禄元年(1558)、三好実休の兵火で焼失してしまったので、現在の金堂は元禄十二年(1699)に再建されたものです。

創建当初の御本尊は弘法大師御自作の薬師如来で、永禄の兵火で破損してしまいましたが、なんとか焼け残りを拾うことができたそうです。

現在の御本尊は、仏師・北川運長によって造られた、像高約3mの丈六薬師如来。
お大師さま作の旧御本尊は、破損した部分を集めてこの丈六仏の胎内仏として祀られています。

そしてこちらは善通寺領の氏神である五社明神の横にある大楠。

五社明神 大楠

遠くから撮影しなければ全体が入らないほど大きいです。

五社明神 大楠

こちらも樹齢千年を超える大楠なのですが、最近は樹の勢いに衰えがみられるそうです。
原因は、周囲の地盤が固くなり、根の力が弱っているためだとか。

なので2011年から4年計画で土壌改良を行っているそうです。
もうそろそろ終わる頃だと思いますが、また元気に勢いをつけてほしいですね。

東院の境内は運動場のように広いですが、その周りには五百羅漢がぐるりと囲んでいます。

善通寺 五百羅漢

この五百羅漢、よく見るとみんなユニークな格好をしていますし、表情も一体一体違います^^

善通寺 五百羅漢

善通寺 五百羅漢

全部見ようとすると時間はかかりますが、じっくり見ると面白いですよ^^

お大師さま御誕生の聖地 誕生院「西院」

「誕生院」と称される「西院」は、もともとはお大師さまの一族、佐伯家の邸宅があった場所です。
創建時も父の佐伯善通、母の玉寄御前も、佐伯家の方々ははここでお住まいでしたので、当初はここは善通寺ではなかったのです。

その後、一族は京都に移り住むことになりました。

鎌倉時代になって、弘法大師信仰が盛んになると、佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立されました。
その時は善通寺とは別のお寺で、明治に入ってから善通寺と統合されたのです。

西院の正門、仁王門。

善通寺 仁王門

善通寺 仁王門

門前にかかる橋は廿日橋(はつかばし)
かつては毎月20日にしか通行できなかったのだとか。

左右にいる仁王さんはスタイリッシュでかっこいい感じです^^

善通寺 仁王像 善通寺 仁王像

仁王門の内側には大きな草履があります。

仁王門 草履

仁王門から御影堂に続く回廊には、お大師さまご誕生からご入定(亡くなること)までの物語がかけられています。

善通寺 回廊

全部で20枚ほどありました。
一部だけ抜粋すると、まずはご誕生のシーン。

善通寺 回廊 ご誕生

満濃池を改修するシーン。

善通寺 回廊 まんのう池

ご入定のシーン。

善通寺 回廊 ご入定

その回廊を真っすぐ進むと、西院の中心地、御影堂があります。
回廊からは写真がとりにくいので、別角度からの写真です。

善通寺 御影堂

善通寺 御影堂

現在の御影堂は佐伯家の邸宅跡に建っています。

御影堂には礼堂、中殿、供養殿、奥殿があり、お大師さまは奥殿で誕生したと言われています。
奥殿には、お大師さま自筆の自画像、瞬目大師(めひきだいし)が御本尊として安置されています。

この自画像は、お大師さまが塔へ留学するとき、別れを嘆く母君のために描いたもの。
この自画像にはエピソードがあります。

お大師さまは、池に写る自分の姿を描こうとしたのですが、夕暮れ時でよく見えませんでした。
ところが、裏山から光が差してきたので、その光に照らされて描くことができたのです。

振り返ってみると、香色山の上に釈迦如来が姿を現していました。
そこでお大師さまは、自画像の方に釈迦如来の姿を描き加えたのです。

その池が、御影堂の斜め向かいにある、御影の池。

善通寺 御影池

元々は邸宅の庭にあった池でしたが、現在は整備され、お大師さまと御両親の像が祀られる池になっています。

お大師さまはお姿をお描きになる際、池を覆っていた松の木に登って描いたのだそうです。
その松は既に枯れてしまいましたが、現在は池の向かいに「御影の松」と呼ばれて保存されています。

善通寺 御影の松

そのようにして描かれた瞬目大師は、なぜそのような名前になっているのでしょう?

実は、鎌倉時代に土御門天皇がこの絵を御拝観されたときに、目を瞬きされたのだとか。
そこから、生身の大師であるとして、「瞬目大師」という名前を下賜されたのだそうです。

瞬目大師は残念ながら奥殿に秘蔵されているので、普段拝観することはできません。
50年に一度、弘法大師御遠忌のみ御開帳されるそうです。

前回の御開帳は2006年。
1984年以来となる22年ぶりの御開帳です。

前回の御開帳は、50年ごとの御開帳ではなく、善通寺創建千二百年祭の特別御開帳のようです。
なので次の正式御開帳は、2034年ですね。
先が長いです^^;

御影堂の地下には、約100メートルの戒壇めぐりがあります。

善通寺 戒壇めぐり

戒壇めぐりの受付も御影堂の入り口にあり、「戒壇めぐり」と「宝物館拝観」がセットになっています。

この戒壇めぐり、悪行のある者は出られないのだそうです。
私は悪行は働いていませんが、ちょっと怖い感じはしますね^^;

「地下へ降りたら左手を壁につけて、壁づたいにお進みください」

と説明を受けて地下に降りると、目の前は真っ暗!
何の光りもないので、目を見開いても何も見えませんでした。

頼りとなるのは左手の壁を触っている感覚だけです。
まるで修験道の修行のようですね。

単に真っすぐ進むだけでなく、左へ、右へと方向も変わります。
手を離したら、どこに向かっているのかわからなくなりそうでした。

前に進む時、お大師さまの宝号、

「南無大師遍照金剛」

を唱えながら進むと、今まで積み重ねてきた罪が消え、お大師さまとご縁を結ぶことができるのだそうで、何度も唱えながらゆっくり進むと、途中で突然明かりが灯り、現代の技術で復元したというお大師さまの声が聞こえてきました。

「ようこそお詣りくださいました。」

と、低いトーンで落ち着いた優しい声。
明かりがついた部屋は、曼荼羅のような種字や梵字が蓮華の中に描かれていました。
そしてこの部屋は奥殿真下、つまり、お大師さまが生まれた場所のすぐ真下となる聖地なのです!

暗闇で自分を見つめなおし、心を浄化した後にお大師さまと縁を結ぶ。
これはお大師さまを慕ってこのお寺に来たのなら、絶対巡っておきたいですね^^

地下から上がると、戒壇めぐりの入り口の反対側、宝物館の近くに出てきます。

善通寺 宝物館

スタスタと向かう前に、一つ見逃せないものがあります。
産湯井です。

善通寺 産湯井

お大師さまご誕生の際に用いられた産湯の井戸です。
中を覗くと、井戸がありました。

善通寺 産湯井

この中に入る事はできませんが、横には水がチョロチョロ出ていました。

善通寺 産湯井

これは産湯井と同じ水でしょうね^^
残念ながら飲むことはできないそうです。

柄杓が置かれていたので、手と口をゆすいでおきました^^

お次は宝物館ですが、こちらは当然ながら撮影禁止。

童子っぽい形相の仏像が多い印象でしたが、ここでの注目は「一字一仏法華経(いちじいちぶつほけきょう) 序品」(国宝)です。

善通寺市デジタルミュージアムのサイトで画像がありますので、そちらをご覧ください。⇒善通寺市デジタルミュージアム 一字一仏法華経序品

これは、お大師さま書を書き、母の玉依御前がその行間に仏像を1体ずつ描いたものです。

もうひとつの善通寺所蔵の国宝で、お大師さまが唐の師匠である恵果阿闍梨から授かり、持ち帰ったと伝えられている金銅錫杖頭(こんどうしゃくじょうとう)は、パネルによる紹介のみで、本物は見れませんでした。

善通寺市デジタルミュージアム 金銅錫杖頭

これはどうやら通常は原則非公開で、毎年6月13・14日の2日間、弘法大師御誕生会に合わせて特別公開されるようです。
なかなかハードルが高いですね^^;

善通寺の御朱印

四国八十八ヶ所霊場 第七十五番札所の御朱印です。

四国八十八所霊場 善通寺 御朱印

こちらは西院にある納経所で頂きました。

真言宗十八本山の御朱印です。

真言宗十八本山 御朱印

こちらは御影堂で頂きました。


誕生院の西側には、善通寺の駐車場があります。
その向こう側には、善通寺の山号「五岳山」の一つになっている香色山があります。

香色山

ここには、ミニ四国八十八所参拝ができる、1周1600m、約45分のハイキングコースになっています。
寛政10年(1798年)からあるようですが、今は地元の人が健康づくりのために歩くコースになっているようですね。

希望者には集印帳を配布し、コースを歩いた人は駐車場の前にある五智院で1日1回印を押すことができるようです。

また、四国八十八ヶ所霊場のうち、香川県の善通寺市と丸亀市にある第71番札所~77番札所を巡拝するプチ遍路七ヶ所まいりというものもあります。

四国遍路 七ヶ所まいり

こちらは、寛政12年(1800)に書かれた「四国八十八番寺社名勝」に登場する、歴史あるプチ遍路です^^

「足よはき人は此印七り七ヶ所めぐれば四国巡拝にじゅんず」

と書かれているんです。
この巡拝は、八十八箇所全てを巡る事が困難な者が弘法大師ゆかりの地だけでもと巡礼した事が始まりだといわれているそうです。

公式サイトにそのように書かれていました。⇒七ヶ所まいり公式HP

七ヶ所まいり専用の色紙も善通寺の売店などで販売されていますよ^^