薬師如来
現実に立ち向かっていけるように薬を与えて励ます、現世利益の如来。
手に薬壺を持つものが多く、脇侍に日光菩薩、月光菩薩をおく。
また、眷属には十二神将がいる。
薬師如来 十二の大願
薬師如来が修行中である菩薩時代にたてた誓い。
この誓いが成就して如来になったことが薬師瑠璃光如来本願功徳経に記されており、薬師如来にはこの12の功徳があるとされている。
- 光明普照:全ての人々に光を照らし、正しく生きるための教えを伝えたい
- 随意成弁:全ての人々に、善い行いができるよう健全な体と心を授けたい
- 施無尽仏:全ての人々が欲するものを満たし、不足なく得られるようにしたい
- 安立大乗:全ての人々が、偏見や思いこみで間違った苦しみを持たぬよう、物事を正しく見られるようにしたい
- 具戒清浄:全ての人々が戒律(天地のことわり)をもてるよう、正しい道を歩かせたい
- 諸根具足:全ての人々の、物、心、身体、貧困による苦をなくし、正しい道に導きたい
- 除病安楽:全ての人々の病苦を除き、心身ともに安楽にしたい
- 転女得仏:女性であるが故の不利な点を除き、差別なく正しい道に導きたい
- 安立正見:全ての人々を、悟りを妨げる悪しき環境から解放し、正しい道に導きたい
- 苦悩解脱:全ての人々が、権力による苦悩や災難に苦しめられぬよう救いたい
- 飲食安楽:飢えのために諸々の悪事に手をそめぬよう、苦悩を除き、正しい道に導きたい
- 美衣満足:全ての人々が住むところ、着るものに困らぬよう、必要なものを与えたい
十二の大願を成就するために、十二神将が眷属として仕えている。
夜叉
四天王のひとりで、北を守る多聞天の眷属。
悪人を食べてしまうことから、恐ろしい鬼神とされている。
八尺瓊勾玉
三種の神器の一つ。
天照大神の
八咫鏡と共に榊の木に懸けられた。
現在は皇居吹上御殿の剣璽の間に、草薙剣の
八咫鏡
三種の神器の一つ。
天照大神の
八尺瓊勾玉と共に榊の木に懸けられ、岩戸を開けた時にこの鏡で天照大神の姿を映し、興味を持たせて外に引き出すことで世を再び明るくさせた。
現在は伊勢神宮の内宮に奉置されており、宮中の賢所にも
山崎闇斎
江戸前期の朱子学者で神道家。
吉川神道の吉川惟足の影響で、神道研究を本格的に研究をはじめ、従来の神道と儒学を統合した垂加神道を開いた。
しかし、それまでの神儒一致説と異なり、自らの立場は神儒兼学と位置付け、儒学と神道の習合を退けた。
大和葛城宝山記
修験道の立場から書かれた神道書。
鎌倉時代後期に、真言宗系の僧侶によって書かれたとされている。
後の神道五部書等に大きな影響を与えた。
天御中主尊は伊勢の外宮に祀られていると記されており、これが外宮先祭(内宮より外宮の祭祀を行う)の理由で、外宮が実質優越する根拠として、度会神道を補強する書とされた。
有職故実
古来の先例に基づき、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などを研究する学問。
鎌倉時代に盛んに研究された。
悠紀
「
かつては大嘗祭の際、悠紀国(新穀・酒料を献上する第一の国郡とそのときの祭場)と
唯識
法相宗の根本的な事物の見方で、悟りを心理学的に探究した考え方。
現象や存在は認識によって成り立っており、我々の認識は心の構造によって生じている、と考える。
つまり、今目の前に広がっている世界は、その人個人のイメージに過ぎない、ということ。
潜在意識にある心的活動の根源として、
維摩居士
「維摩」は、釈迦の弟子になった人物。
「居士」は、出家をせずに在家のまま修行をする在家信者のこと。
維摩は在家にもかかわらず智慧があり、釈迦の弟子たちも問答では敵わず、智慧が豊富な文殊菩薩とも高度な問答を繰り広げたとされる。
与願印
衆生の願いに応じ、施しを与えるという意味の印相。
施無畏印と対をなす。
欲界
凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つにわけた三界の一番下の世界。
食欲・淫欲・睡眠欲など本能的な欲望にとらわれたものが住む世界で、さらには人間界をはじめとする六道に分かれている。
吉川惟足
江戸時代前期の神道家で、吉川神道の創始者。
当時の吉田家の実力者、
その後、吉田家の当主が幼かったため、返し伝授を条件に、吉田神道の道統を継承した。
1682年(天和2年)には幕府神道方に任じられ、以後吉川家の子孫が神道方を世襲した。
吉川神道
江戸時代初期、
吉田神道をベースとし、朱子学的な解釈を加えて再構築した説になっている。
吉田神道では神儒仏三教一致説を唱えているが、吉川神道では神儒一致説の傾向に改め、教学面を強化した。
林羅山同様に、神道を治世の学問として把握し、三種の神器に備わる徳を重視した。
また、五行説の「土金」を用いて、「土は万物の母、金は万物の父」と説いた。
さらに「土金」を万物生成の根本と考え「土がしまって金となる」ことから、これを「つちしまる」と読み、「
吉田兼倶
室町時代中期から戦国時代にかけての神道家で、吉田神道(唯一神道)の創始者。
神本仏迹説や根本枝葉果実説を主張した。
家系は卜部家の系統で、吉田神社の祠官を務める家に生まれ、兼倶の代に吉田家を興した。
卜部氏は従来の木卜のほか、「日本書紀」などの古典の研究をする家職で、兼倶は神道説の中心となる「日本書紀」神代巻と「中臣祓」などの講義や伝授を盛んに行い、公家・武家・僧侶に多くの信奉者をもっていた。
文明16年(1484年)、足利善政の正室、日野富子の援助を受けて、吉田山上に、全国の神々を祀る「太元宮」を建立。
その主神を
吉田神道
室町末期、吉田神社の神官吉田兼倶が完成させた神道説。
両部神道や各神社に伝来する社伝神道に対し、「日本書紀」で神事の宗源をつかさどる物とされた
吉田神道では、両部神道や山王神道が唱える本地垂迹説に対し、反本地垂迹説を唱えた。
また、神道が「根」、儒教が「枝」、仏教が「果実」という根本枝葉果実説を継承しながら、中世の神道説を集大成した。
その教義は、「神道大意」「唯一神道名法要集」に記されている。
寄木造
藤原時代から盛んになった、仏像を造る時の技法の1つ。
頭、胴体、腕を別々の木で造り、それを寄せ集めて1つの仏像を造る。
これによって小さな木材から巨大な仏像が可能になった。
寄棟造
寺の主要な建物に使われた屋根の形のことで、四つの屋根面から造られたもの。
奈良時代の建物に多い。
黄泉国
死後に行く、
「よもつくに」ともいう。