醍醐寺と言えば、「醍醐の花見」。
晩年の豊臣秀吉が行った伝説の花見です。
醍醐寺は応仁の乱でほとんどを失ってしまう被害を受けたのですが、豊臣秀吉がスポンサーとなって復興させます。
その時から来るたびに醍醐寺の境内の景観に魅せられていた秀吉は、この地で大々的な花見を催すことを思いつきます。
それが「醍醐の花見」です。
その花見が普通では考えられないほど豪華絢爛!
その花見行列の様子を再現するのが、毎年4月の第2日曜日に行われる
行列は、午後1時に三宝院の唐門を出発し、仁王門をくぐって金堂に向かいます。
金堂前の舞台で行われる舞楽や狂言、殺陣、花見踊りなどを観賞し、唐門に戻る、という、約2時間ほどのイベントになっています。
私は今回、金堂の前で観賞しました。
その様子をお伝えする前に、醍醐の花見についてもう少し触れておきます。
醍醐の花見はこんなに豪華だった!
400年以上経ってもまだ伝説となっている醍醐の花見。
それだけすごいイベントだったんですね。
まず、上醍醐に向けて少し上った「槍山」と呼ばれる場所から西大門のあたりまで、約630mの道の両脇に、近江・河内・大和・山城など諸国から約700本の桜を集めて植えます。
花見の開催日を三月十五日に決めていたので、その日に咲くような桜を植えるように命じていたんですね。
しかも、そのように指示したのは、花見が開催されるわずか1ヶ月前。
無茶ぶりがすごすぎます^^;
そして、招待したのはほぼ女性たち。
秀吉は醍醐の花見のあと、半年ほどで亡くなるのですが、それを予期してなのか、普段お城にこもりがちの女性達に恩返ししようとしたのでしょう。
正室の北政所、側室の淀はもちろん、女房衆など、女性を中心に招待しています。
招待した数1,300人。
女性には全員に3枚ずつ
打掛というと和風ドレスのようなものですが、普通は一生に一度のもの。
それをお色直しも考えて、全員に3枚ずつ用意しているんです!
その時、今の西陣に注文したのですが、その時、西陣から全部なくなったのだそうです。
約35億円ほどの規模のお金が使われたそうです。
そして警護についてですが、関係者以外はこの一帯を立ち入り禁止にします。
醍醐山を中心に、五十四丁四方を警備し、23の番所を設け、幕を張らせています。
それから、槍山に御殿を建て、沿道には8ヶ所の茶屋を設けられ、その間を駕籠で移動できたといいます。
それぞれの茶屋では茶会や歌会が催され、全国から集められた極上のお酒を楽しむことができたのだそうです。
そのようにしながら、下界で行われている宴や花を見下ろして楽しんだんですね。
その時に使用していたであろう金の天目茶碗や、花見で詠んだ和歌短籍、花見に関する道具など、今でもそのまま霊宝館に保存されています。
たった1日のイベントなのですが、色々なものを後世に残しているんです。
無料区間で見るか、有料区間で見るか、あらかじめ選びます
行列の出発は午後1時。
三宝院の唐門から仁王門(西大門)を通り、金堂の前まで行きます。
具体的にはこんな感じです。
行列の通り道は線で描いていますが、唐門から西大門までの青い線は無料エリア。
西大門から先、赤い線からは拝観料(600円)が必要な有料エリアとなっています。
西大門は、行列が中に入ってしまうと、行事が終わるまで出入り禁止になってしまいますので、参道から行列を追いかけることはできません。
なので、無料の参道で行列が通り過ぎるのを見るか、拝観料を支払って金堂前で奉納行事を見るか、選ぶ必要があります。
参道に桜が咲いていれば、花見に向かう秀吉の雰囲気を味わえるのでここでも良かったのですが、今年はすでに葉桜。
なので今回は、金堂前で行われる奉納行事を一緒に見るという選択をしました。
安土桃山時代にタイムスリップ!秀吉と一緒に見る奉納行事
唐門を13時に出発した一行は、13時15分ごろに先頭が金堂前に到着します。
金堂前には、先に山伏たちや雅楽の奏者達が先に到着して、参道沿いに立って花道を作ってしまうので、残念ながら行列は見にくいです。
北政所、淀君、松の丸さん、三の丸さんと、どんどん行っちゃいます><
金堂から離れると見えるのかもしれませんが、そうすると、舞台は後ろから見ることになりますし、座っている太閤殿下も遠くなってしまいます^^;
行列の歩く姿を見るのなら、無料エリアで見た方が良いかもしれません。
金堂に到着すると、指定された席に次々と座っていきます。
始まる前に金堂をお参りした時に確認したのですが、金堂前の椅子には、誰がどこに座るのか名前が書かれていました。
行列の終盤には、義演僧正。
秀吉から帰依を受け、秀吉のバックアップのもとに醍醐寺を復活させたお坊さんです。
そして最後に太閤秀吉殿下。
全員が金堂前に揃いました。
立っているのは、左から北政所、義演僧正、豊臣秀吉、豊臣秀頼、淀君です。
全員が座ったところで、突然武士が秀吉に駆け寄り、何かを受け取りました!
それをお寺の人に渡され読み上げられます。
どうやらこれは、秀吉が花見の席で詠んだ俳句のようです。
あらためて なをかへてみむ 深雪山 うつもるはなも あらはれにけり
これは、山上から見る桜の花が、雪が積もっているように見えるので、山号を「醍醐山」から「深雪山」に改めてみよう、と言っているんですね^^
次の奉納は舞楽で、演目は蘭陵王。
茂山狂言。
東映太秦映画村の俳優さんによる殺陣。
秀吉公に恨みを持つ武士たちが来て、刃を向けます。
そこで立ちあがったのは・・・
まさかの淀君!
「殿を傷つけるものは、この淀が許さぬ!」
大迫力のたちまわりが始まります。
どこからともなく、助っ人が登場。
秀吉公の影なのだそうです。
そして立ちまわりが始まりました!
そして倒す!
ボスも倒しておしまい^^
最後は地元の小学生による、花見踊りで奉納は終了。
今度は秀吉公が先頭になって、三宝院の方へ帰っていきました。
豊太閤花見行列は毎年4月の第2日曜に開催されます。
この時期はほとんど葉桜になって、花見には適していないのですが、この日程にしているのは、あえて満開の時期からずらして、混雑を避けているのだとか。
でも、運がよければまだ桜が残っている時に出会えるかもしれません^^
今回は前々日に結構な雨が降ったので、桜は散らされてしまいました^^;