奈良国立博物館で開催されている「国宝 信貴山縁起絵巻 -朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝-」を見に行きました。
そんな信貴山には、聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れたという伝説が残っていて、日本で初めて毘沙門天が現れた山として毘沙門天信仰が盛んなんですね。
訪れたことのある方はすぐわかると思うのですが、朝護孫子寺といえば、張り子のトラが有名です。
大きな張り子のトラが境内に置かれているんですよね。
毘沙門天王が現れたのが寅年、寅日、寅刻だったので、トラは毘沙門天の使いとされているんですね。
信貴山に登ると、大きな虎がおかれているのですが、博物館の入り口にも張り子のトラが置かれていました。
信貴山縁起絵巻って?
信貴山縁起絵巻は、朝護孫子寺に伝わる、平安時代の末期に描かれた絵巻です。
「源氏物語絵巻(徳川美術館・五島美術館蔵)」、「伴大納言絵巻(出光美術館)」とともに、日本三大絵巻の一つにも数えられています。
そんなすごい絵巻なのですが、このたび、文化庁がこの絵巻の復元模写を作ることに成功しました。
今回の展覧会は、そのお披露目の機会に、本品である国宝 縁起絵巻の全編をすべて広げて見せることになったのだそうです。
縁起絵巻は全3巻、
- 第一巻 山崎長者巻
- 第二巻 縁起加持巻
- 第三巻 尼公巻
となっていて、全部合わせてその長さは35m。
その全てあますことなく、全期間中拝観できるのです!
そしてすごいのは、全部開いて見せるために、絵巻のサイズに合った専用ケースを今回の展覧会のためだけに作ったのだそうです!
なので、ガラス越しではありますが、非常に近くで見られるんです。
そのそもこの国宝 縁起絵巻は、奈良国立博物館に寄託されているのですが、文化財として保護しなければいけないので、これだけ広げるのはよほど特別な機会にしかないそうです。
今後もなかなかないかもしれないとのことなので、これは見ておかなければなりません^^
こちらは、展覧会が始まる前に配られていたリーフレットです。
そして開催後のリーフレット。
中身の説明が充実してきています。
「奇跡、鉢が飛ぶ!?」
「奇跡、病を治す!?」
「奇跡、仏の声!?」
というそそられるキャッチコピー。
どんな絵巻なのか知りたくなります^^
この縁起絵巻は、信貴山を開いた命蓮上人が、不思議な法力で物語を展開していきます。
命蓮上人は、実際に信貴山で修業をしていた実在の人物。
信濃の国の出身ですが、若いころに僧侶になることを志し、以来信貴山で修業をして過ごしたんですね。
そこで密教の修業をして、毘沙門天から強力な宝力を授かったとされています。
第一巻 山崎長者巻
「山崎長者巻」は、ある長者の家に起こった大騒動を描きます。
画像は絵巻の一部です。
画像:リーフレットより
命蓮上人は普段から空の鉢を飛ばして、自らは信貴山にいながら托鉢を行っていました。
ある時、それをわずらわしく思った長者は、命蓮の鉢を米蔵に隠したのです。
すると不思議なことに、鉢が米蔵ごと米俵を運んで行ってしまいました。
長者やその従事の者は、てんやわんやで鉢と蔵を追いかけるのですが、鉢が到着した先は信貴山に住む命蓮上人のところでした。
長者が米と蔵を返してくれるに頼んだのですが、命蓮上人は、
「米と蔵は自分でやってきたのだ。しかし、米はそんなにいらないからお返ししましょう。」
といって、鉢に米俵を一俵乗せるよう、長者に指示します。
すると鉢は他の米俵を引き連れて長者の家に戻っていきました。
ここで登場する鉢は空鉢護法と呼ばれるのですが、ドローンもびっくりなマジカルパワーですね^^
この絵巻の中で一番のインパクト場面です。
それがいきなり描かれます。
それにしても、鉢や米俵を自在にあやつる命蓮上人の法力のすごさはわかるのですが、托鉢に応じなかったら蔵ごと持って行ってしまう・・・
しかも、最後は米は返すものの、蔵は返しません。
声高には言えませんが、まるでヤクザみたいですね(≧▽≦)
それはともかく、昔の人はその取り立て方よりも、法力のすごさに注目したのでしょう。
そして、第一巻の見どころは、やっぱり俵が飛んでいくところでした。
リーフレットを見るとその様子を垣間見ることができると思うのですが、たくさんの俵が奥行きを出しながら飛んでいく様子が上手に表現されていますね。
最初は地上からちょっと高い視点、そして場面が進むと山よりも高いところを飛んでいくという、時系列でアニメのように描かれているんです。
とても平安時代に描かれたとは思えません。
昔の人はこの絵巻を見て、息をのんだでしょうね^^
人物もたくさん描かれているのですが、非常に多彩な表現で描かれています。
驚く人、笑う人、空飛ぶ蔵に群がる人々、靴の紐を結んでいたり、手鼻をかんでいたり、風の強さにはためく衣服など、現代の漫画にも通じるものがありました。
第一巻の絵巻のそばには、命蓮の時代から寺に伝わるという「金銅鉢」が展示されていました。
口径25.1cm、最大径28.5cm、高さ15.1cmの、銅板を打ち出して成形した鉢だったのですが、結構な重厚感がありました。
これが命蓮の飛ばした鉢だとしたら、と想像すると、かなりすごいです。
第二巻 縁起加持巻
第二巻の「縁起加持巻」は、毘沙門天の眷属、
画像は絵巻の一部です。
画像:リーフレットより
ものすごい法力をもった命蓮の存在は、都の人にも知られるようになっていました。
そんな時、宮廷で醍醐天皇が重い病にかかったのです。
治療の祈祷を命蓮に頼むため、宮廷から勅使が出されます。
向かう先は信貴山。
祈祷をお願いされた命蓮は、都へ行かず、信貴山にいながらにして病を治すと宣言します。
その命蓮の言葉は宮廷に伝えられました。
そして、帝の病を治したら、命蓮の使いがやってくる手はずになっていました。
そこへ姿を現したのが護法童子。
命蓮がはるばる信貴山からよこした使いの童子です。
帝の寿命をつかさどる宝輪は勢いよく回り、病魔は退治されました。
帝の病が癒えたので勅使がお礼をしたいと命蓮に言ったのですが、命蓮はこの山で静かに暮らすだけでよいと答えました。
剣鎧童子は、第一巻の「空鉢護法」に続き剣鎧護法と呼ばれ、たくさんの剣を鎧のように身にまとっています。
そして筋斗雲のようなものに乗って飛んでいき、足元の宝輪を操って天皇の病を治すのです。
画像:ポストカードより
陰陽道の安倍晴明があやつる式神みたいですね^^
それだけ命蓮の法力や、そのもととなる毘沙門天の霊験がこんなにすごいのだということを物語っています。
第三巻 尼公巻
第三巻の「尼公巻」は、命蓮上人のお姉さん
画像:リーフレットより
命蓮は若かりし頃、僧侶の資格を得るために故郷の信濃を後にしました。
しかし、家を出たきり、帰ってくることはありませんでした。
そこで姉の尼公は、弟の行方を追って旅に出、大和の国にたどり着きました。
しかし、里の人々に訪ねても、誰も命蓮を知知りません。
疲れ果てた尼公は、東大寺の大仏のもとにたどり着きました。
弟になんとか会わせてほしいと、祈る尼公。
すると、大仏様からお告げがありました。
お告げによると、紫の雲が棚引く山に住んでいるのだとか。
その山こそ信貴山だったのです。
尼ぎみと命蓮は信貴山で感動の再会を果たし、信貴山で仲良く暮らしたのでした。
第三巻では、尼公の旅物語が描かれているのですが、第一、第二巻とは表現が違って、次々に場面が流れていきます。
町の人に訪ねて歩くのですが、こちらも第一巻に引き続き、人物や動物の描写が巧みに表現されています。
鉢をもって食べ物を欲しがる子供や、胸がはたけたまま家事をする女性など、リアルな庶民の暮らしが描かれているのですが、平安時代は貴族中心の世の中。
そんな時代の庶民の暮らしが描かれるのは珍しいですよね。
そして、庶民と一緒に犬や猫も暮らしていたようです。
その中に描かれている猫は、絵として描かれた猫で、日本最古の猫なのだそうです^^
表現方法で注目なのは、尼公が奈良の大仏の前にいるシーン。
よく見ると、人が座っていたり、すがるような感じで本気祈りをしていたり、はたまた寝そべっていたり、これから旅だとうとしているのですが、これはすべて尼公。
一つの絵の場面で、尼公が行った行動が同時に描かれているんです。
この場面だけで、尼公が何度も何度も大仏に祈りをささげ、導きを求めたことがわかります。
そして大仏の導きで信貴山にたどり着き、命蓮と仲良く過ごすのですが、背後には山崎長者から取り上げた蔵の屋根が再び描かれていました(≧▽≦)やはり返さなかったんですね。
他にも見ごたえのある絵巻が見られます
今回の展覧会のメインは信貴山縁起絵巻なので、そちらに注目が集まっていますが、他にも見ごたえのある絵巻を見ることができました。
例えば、毘沙門天の活躍を描いた
実は、この展覧会に来る前に、この本を読んでいたんです。
粉河寺縁起絵巻を中心に、信貴山縁起絵巻、掃墨物語絵を取り上げて、細部の表現にまで注目しつつ、何のためにこの絵巻が作られたのか、なぜそのような表現で描かれているのか?など、様々な文献資料をもとに当時の時代背景を考察しながら結論へ導く、という本です。
これらの絵巻はお寺の縁起を描いた絵巻なのですが、全く思いもしなかった結論へ導くんですよね^^
詳細は書きませんが、この本を読んだ後に実際の絵巻を見ると、確かにそんな感じもするんです。
別のストーリーが見えるようでした。
絵巻は追及するとなかなか面白いですね。
国宝 信貴山縁起絵巻は、5月22日まで。