滋賀県近江八幡市の琵琶湖畔にある長命寺は、西国三十三所観音霊場の第三十一番札所で、その名の通り延命長寿の御利益があるお寺です。
長命寺があるあたりはかつて琵琶湖の中の島だったそうで、かつては船で訪れた場所です。
戦後になって、東方にあった琵琶湖の内湖、大中之湖が戦後に開拓されて、近江八幡から陸続きになりました。
なので現在は車で行くことができます。
今回、西国三十三所巡礼が草創1300年を迎えるにあたって、長命寺では10月中のみ本堂内陣特別拝観が行われています。
本堂内陣の公開はなんと7年ぶり。
安土桃山時代に描かれた長命寺曼荼羅や、仏像約30体を拝観することができます。
それに合わせて訪れてみました。
長命寺の歴史
長命寺は
武内宿禰は、初期の大和朝廷に仕えた大臣で、なんと300歳以上も生き、6代の天皇に仕えたといいます。
『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇 景行天皇の頃、武内宿禰はこの地を開き、柳の大木に「寿命長遠所願成就」と刻んで祈ったのだそうです。
それが長命寺の原点なんですね。
そして後の第33代推古天皇の時代に、聖徳太子がその古木を見つけ、刻まれた寿命長遠の文字を見ていると、そこに白髪の老翁が現れ、
「この霊木で仏像を刻み、その像を安置する伽藍を建立せよ」
というので、この柳の霊木で十一面千手観音を刻み、一寸八分の聖観音を体内に納め、七堂伽藍を建立したのがこのお寺のはじまりです。
その際に、武内宿禰の長寿霊験にちなんで、長命寺と名付けられたのだそうです。
長命寺は、聖徳太子以来、歴代天皇の信仰の厚いお寺で、天智天皇はこのお寺を勅願所と定められたり、後深草上皇は蒙古襲来の時にここで敵国調伏の祈願をされています。
そして、近江国の守護であった佐々木氏の庇護のもとに発展した後、足利義満は将軍代々の祈願所にし、この地を支配した戦国武将たちも、武運を祈る寺としたので、それによって栄えた経緯があります。
参道は808段のきつい石段
境内は標高332メートルの長命寺山の中腹に位置し、808段のきつい石段を上ります。
駐車場は湖岸に10台ほどありますが、実は山上にも10台ほどの駐車場があって、そこからだと境内まで100段ほどでいけちゃいます^^
長命寺は自分の足で一歩一歩登りつめてこそ有難さを感じることができ、それが御利益にも繋がると言われているのですが、そういう話もあってか、巡礼者はもちろん、観光客も湖岸から上る人が多いのだそうです。
逆に地元の人は山上の駐車場から上るそうですね^^
私も湖岸から上ろうと思ったのですが、訪れた日は湖岸の駐車場はいっぱい。
逆に山上の駐車場が空いていたので、今回はそこから上りました^^
下から続く参道を見下ろすと、こんな感じ。
石段は少し急ですから、下から上ってくるのは大変でしょうね^^;
上ってくる人はみんな息を切らしながら上っていました。
この門が見えたらもうすぐそこ。
後ろには本堂の屋根が見えます。
階段を上り切ったら立派な本堂と三重塔がお出迎えです。
ここで振り返ってみると、ちょっとだけ絶景^^
向こうに琵琶湖が見えるのですが、高い木にせっかくの景色が阻まれております。
この木の勢いがもう少し抑えられていれば湾の向こうに近江富士が見えるので、ちょっと残念ですね。
でも、境内にはちゃんと景色を眺められる場所もありますからご安心ください^^
長命寺のランドマーク 三重塔
三重塔は、天正十七年(1589年)から慶長二年(1597年)にかけて再建されたものです。
比較的遺構の少ない貴重な桃山時代の塔として重要文化財に指定されています。
型通りに作られたもので、特別な特色は持っていないそうなのですが、それでもなかなかきれいな塔です。
初層には胎蔵界大日如来像(桃山時代)と四天王像(鎌倉時代)を安置しているのですが、内部は普段公開されていません。
初代の塔は元応二年(1320年)に建てられたのですが、永正十三年(1516年)に兵火で焼失しています。
その兵火というのは、年号を見ればわかることですが、近江でありがちな「織田信長の焼き討ち」ではありません。
長命寺は信長とはうまく付き合うことができていて、領地を安堵されているんです。
10世紀頃からこのあたりは延暦寺の寺領で、長命寺は特に延暦寺西塔とつながりが強かったのですが、意外ですね^^
では何の兵火だったのかというと、近江国守護の佐々木氏と、その重臣で佐々木氏の支流であった伊庭氏の争いなんです。
伊庭氏は湖北の浅井氏の援助のもとに兵をあげて戦ったんです。
長命寺はその時の争乱で灰塵に帰してしまったんですね。
長命寺の創立は聖徳太子によるものとなっていることを先ほど紹介しましたが、実はこの創立説は鎌倉時代初期に太子信仰が盛り上がった時に出てきたものなのだそうです。
実際はいつできたのか、伝える史料は見つかってないそうなんですよね。
そういう史料を含む多くの貴重な寺宝が失われたことが想像できますが、もったいない限りですね^^;
長命寺曼荼羅や約30体の仏像が見れる!本堂内陣特別拝観
三重塔の横にある大きな建物が長命寺の本堂。
三重塔と並ぶと絵になりますね^^
こちらに西国三十三所の札所に指定されている観音様がいらっしゃるわけです。
普段は外陣から参拝するのですが、今回は特別拝観の期間だったので、内陣に入ることができました。
特別拝観料は500円です。
しかもボランティアのガイドさん付き。
しかし残念ながら御本尊の観音様は秘仏で公開されていません。
2009年に61年ぶりに開扉されたほどなかなかお目にかかれないんですね。
御本尊だけ厨子に固く閉ざされ、その厨子の前に身代わりとなるお前立の千手観音さんが立っていらっしゃるのです。
厨子の中にいる観音様もお前立と似たようなお姿をしているのだろうと思いきや、実は三尊の観音様がいらっしゃるのだそうです。
厨子内の中央には千手観音立像、向かって右側には十一面観音立像、左側には聖観音立像であるとのこと。
この三尊が合体したお姿がお前立の観音様なのかもしれませんね^^
長命寺は西国三十三所巡礼の第三十一番札所ですが、3体の観音様はそれぞれが霊験あらたかなので、本来なら三十一番、三十二番、三十三番となっても良いところなのですが、現状はこの三尊一体で第三十一番に指定されているのだそうです。
その辺はちょっと変わっていますね。
古来から三尊一体であった説もあれば、時代とともに信仰のあり方や仏像の好みが変化したことから主導が入れ替わったという説もありますが、実際のところはわかっていません。
内陣の奥の方には全盛期に長命寺の子院であったお寺から運ばれてきた仏像が約30体ほど並んでいました。
現在、参道の石段の途中に4つの宿坊がありますが、最盛期には19もあったのだそうです。
そしてもう一つ、長命寺曼荼羅なるものもありました!
こちらは、拝観の時にいただいた絵ハガキをスキャンしたものです。
寺の境内や景観を描いた、いわゆる「参詣曼荼羅」と呼ばれるもので、長命寺について説明するためのものです。
参詣曼荼羅は春日大社や熊野三山、日吉大社などのものが有名ですが、長命寺にも存在していたのは知りませんでした^^
これを使って山伏などの行者が全国各地で布教活動を行っていたんですね。
このような参詣曼荼羅は、その当時存在していた建物や景観、信仰の実態が描かれているので、それを見ながら現在と比べたり、昔の様子を想像するのが面白いんですよね^^
例えば、曼荼羅の右端に滝がありますが、かつては実際に滝が存在していて、参詣前にここで身を清めてから観音詣でをしていたのだそうです。
今ではそこまでして祈りを捧げる人は滅多にいませんから、昔の人はそれだけ深い信仰を持っていたことが想像できます。
実際、三重塔の横に滝があったであろう場所に行けそうな山道があって、行ってみたいと思ったのですが、現在は残念ながら枯れていて、どの辺が滝だったのかはわかりにくくなっているのだそうです。
そのような説明もボランティアの方がして下さって、楽しく勉強になりながら拝観することができました^^
大山のぶ代も参拝?重要文化財の鐘楼
長命寺の境内は狭いので、本堂の周りに堂宇が密集しているのですが、ちょっとだけ高台になっているところにあるのが鐘楼です。
この鐘楼は重要文化財に指定されているのですが、なんと自由に中に入ることができます。
そして、お賽銭を入れて梵鐘つくことができるようです。
ちなみにこちらの梵鐘は、近江八幡市指定文化財になっています。
そしてちょっと面白いのがこのお札。
ドラえもんの声で有名な大山のぶ代さんのお札でしょうか?^^
自分の名前を印字して貼られています。
有名な寺院に行くとこういうお札がよく貼られていますが、割と最近まで貼る習慣があったのでしょうか?
今やったら、たぶん怒られると思います(≧▽≦)
そして、鐘楼から出たら、見忘れてはならないのが、高台になっている鐘楼側から見る本堂方面の景色。
長命寺の境内を見渡すことができるのですが、大きな本堂と三重塔が映えていて見事な景色ですね^^
武内宿禰も祈願した?古代の磐座信仰のあとが残る巨石群
長命寺に来たら、見るのを忘れてはならないのは、堂宇の裏にある巨石群です。
本堂の回廊を回って裏に回ると、このような巨石があります。
この岩は「六所権現影向石」と呼ばれています。
大きな岩に大きな岩が重なるという、すごい迫力のある風景です。
その昔、武内宿禰はこの岩の上に座って祈りを捧げ、長寿を得たのだそうです。
同じく本堂裏には、武内宿禰の足跡なるものもありました。
境内には護法権現社といって、武内宿禰をお寺の守り神として祀る場所があるのですが、その社の上には
説明版によると、「修多羅」というのは仏教用語で「天地開闢 天下大平 子孫繁栄」を意味するそうで、それが当山開闢長寿大臣の武内宿禰大将軍の御神体としているのだそうです。
その他、後でも紹介sますが、境内の一番奥にある太郎坊権現社の付近にも巨石がゴロゴロしていて、山岳信仰・磐座信仰の場として崇められていたと考えられます。
琵琶湖の絶景が見れる!一山鎮護の霊神、太郎坊大権現社
鐘楼から30mほど奥に行くと、太郎坊権現社と呼ばれる子祠があります。
階段の上に本殿があって、下には拝殿があるのですが、本殿のまわりには巨大な岩石がごろごろしています。
いかにも巨石信仰からくる古代祭祀の磐座という感じですね。
太郎坊大権現社はかつて、天狗社と呼ばれていました。
長命寺縁起によると、後奈良天皇の時代に長命寺に太郎坊(当初は普門坊)というお坊さんがいたそうです。
普門坊は修業で超人的な力を身につけ、空を飛んだり天気を操ったりすることができたのだそうです。
普門坊は京都の愛宕山に移り住んだことがあるのですが、そこで長命寺を懐かしく思い、近くにあった大岩を投げ飛ばし、長命寺の境内に突きささったという逸話が残されています。
その岩が、上の写真の拝殿の横にある「飛来石」です。
そんな普門坊は、仏法繁昌伽藍鎮護のために大天狗となったので、長命寺では祠を建て、一山鎮護の霊神「太郎坊大権現」と仰いだのだそうです。
拝殿の前は琵琶湖を望む絶景が広がっています。
長命寺があるあたりは湾になっていますので、向こう側に見えるのは近江八幡市内です。
そして、写真では分かりにくいのですが、近江富士と呼ばれる三上山が見えます。
おそらくここからの景色が一番の絶景でしょうね。
長命寺の御朱印
長命寺にはたくさんの御朱印があります。
- 西国三十三所 第三十一番
- 聖徳太子霊跡 第三十五番
- 近江西国霊場第 第二十一番札所
- 近江七福神(毘沙門天)
- 神仏霊場巡拝の道143番(滋賀11番)
そのうち、西国三十三所の御朱印だけいただいています。
西国三十三所観音霊場の御朱印です。
御詠歌の御朱印です。
「
と書かれています。
本堂の納経所のそばに、この近辺のイベントのリーフレットが置かれているのですが、その中に竹生島にわたる船の割引券がありました。
運賃は航路によっていろいろですが、2000円~3500円はしますので、それが20%割引になるのは大きいですね^^