日本神話によると、日本列島ならびに日本の神々は、1組の夫婦神によって生み出されたといいます。
その夫婦神が男神の
兵庫県淡路市多賀にある
日本人の総氏神、伊勢神宮の天照大御神は古くから崇敬されていますが、その天照大御神もイザナギから生まれた神様なんです。
日本神話によると、イザナギは国生みを終えた後、その御子神である伊勢神宮の御祭神、に国家統治の大業を譲り、多賀の地で余生を過ごされたと記されています。
その「多賀」という地名なのですが、神話が書かれている「古事記」と「日本書紀」で、場所が異なっています。
古事記では「
つまり、近江の多賀(現在の滋賀県多賀町)で、隠棲されたということで、そこには
一方で日本書紀では、「
ここでは、夫婦神が最初にお産みになった島である淡路島で隠棲されたことになっているんですね。
そして伊弉諾神宮は、日本書紀に書かれる
その後、イザナギの御陵(お墓)となったのですが、それが伊弉諾神宮の創祀の起源であり、日本最古の社といわれています。
そんな伊弉諾神宮ですが、淡路国の一の宮であり、「日本第一番の宮」ということで、地元の人からは「いっくさん」と称されて崇められています。
また、たくさんの島々、たくさんの神々を生んだ、ということから、縁結び・夫婦円満・子授け・子育てのパワースポットとしても人気を集めています。
私が訪れた時は、大型連休中でもあったためか、臨時の駐車場が用意されるほど観光客がいっぱい来ていました。
病気平癒を願う放生の神池
伊弉諾神宮はかつては現在のような神社の形ではなく、イザナギの御陵地でした。
そしてその頃周囲には濛が巡らされたといいます。
その名残をとどめているのが神池です。
神池は、大鳥居から表参道をまっすぐ行ったところにあります。
こちらが表参道。
鳥居をくぐった瞬間、新鮮な空気が充満しているというか、気持ち良い感じにつつまれます。
ここにはものすごいパワーがあるのでしょうか?そんな予感がしました^^
二の鳥居をくぐった先にある石橋。
この下にあるのが神池です。
現在の神池は、かつてあった濛の状態ではなく、明治時代に整備された姿です。
神池には水神が祀られています。
古くはこの池で、鳥や魚を放して生命の永続を祈る「放生神事」が行われていました。
今でも、放生の習慣が残っているそうです。
その際、病気平癒のための命乞には「鯉」を放ち、そのお礼参りには「亀」を放つのだそうです。
池の中には鯉や亀がいました。
御祭神は生命を司る神様なので、ここで願いを込める人は多いでしょうね。
伊弉諾大神の御陵の上に建つ御本殿
表参道の石橋を渡って、表神門をくぐると、いよいよ御本殿です。
下は、表神門。
一間一戸四脚門の重厚な門です。
扁額には「一宮皇太神」と書かれています。
門をくぐった先には拝殿。
この日は参拝者が多く、御祈祷をする人も何組かいたので、巫女さんが踊りっぱなしでした^^
そしてその後ろにあるのが御本殿。
現在の御本殿は明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は禁足の聖地であったそうです。
自然石が積重なっていたそうで、御本殿はその前方にありました。
それを後退させ、神陵の上に移したわけですね。
御本殿のすぐ東側には石積みが置かれていました。
これはもしかしたら、神陵の名残なのかもしれませんね^^
眼病治癒のパワースポット 左右神社
上で紹介した石積みのそばには、
ここには
この御祭神と、神社の名前を聞いてピンときた方、なかなかの古事記通です^^
この二神は、イザナギの両目から生まれたんですね!
神話では、黄泉の国から帰って来たイザナギが、その穢れを祓おうと禊洗いした時に色々な神様が誕生しましたが、その時に「三貴子」と呼ばれる尊い神様が産まれました。
それが
天照大御神 :左目を洗った時月読命 :右目を洗った時健速須佐之男命 :鼻を洗った時
です。
つまり、左右の目から天照大御神と月読命が産まれたので、「左右神社」というわけですね^^
目から産まれたこのパワーの強い神様は、眼病治癒に霊験あらたかなのだとか。
そして左右神社の付近では、気が降り注いでいるのだそうで、気の受け取り方など神社の方が手ほどきをしていました。
手のひらを上にしていると、何かを感じるようですね。
御本殿の真横だからこそ、何かパワーがみなぎっているのかもしれません。
夫婦円満、良縁縁結、子授け、子育てに霊験あらたかな夫婦大楠
境内にはもう一つ、有名なパワースポット
周りの人と比べると、楠の木の幹の太さがかなり太いことがわかりますね。
木の下には岩楠神社という社になっていますが、ここには、イザナミ、イザナギが最初に産んだ神、
親子、という感じの場所ですね^^
この大楠は、樹齢900年以上、元は二本の木だったのが、いつしか根がくっついて成長したのだそうです。
このように、完全にくっついています。
樹に触れることもできますので、御利益をあやかりたい方は、どんどん触ったり、抱きついてみたりするとよいですね^^
太陽の道の中心にある伊弉諾神宮
表参道から御本殿に向かう途中、二の鳥居をくぐって左側に、ちょっとコアなスポットがありました。
それはこの、日時計のようなもの。
「ひのわかみやと陽の道しるべ」と説明されていました。
読んでみても、何やら難しくて一見よくわかりません^^;
でも、説明の最後にこのような図がありました。
どうやら伊弉諾神宮は太陽運行圏の中心地にあるようです。
「中心地」といわれると、何かすごそうな予感がしますね^^
日時計の各方角を指す部分を見ると、このようなものが書かれています。
東の方角に「飛鳥藤原京」と「伊勢皇大神宮」。
伊弉諾神宮は伊勢神宮と同緯度にあるようです。
そして西の方角は、対馬国一宮「海神神社」。
南には熊野大神が元々いらっしゃったという「諭鶴羽神社」と沼島。
北は但馬国一宮の「出石神社」。
その他にも、北東、南東、北西、南西の方角にも、名だたる神社が挙げられています。
つまり、春分・秋分の日には伊勢神宮の方角から太陽が昇って海神神社の方角に沈み、夏至の日には諏訪大社から昇って出雲大社に沈み、冬至の日には熊野那智大社から昇って高千穂神社に沈む、ということを表しているようです。
名だたる古社ばかりですが、太陽の軌道を追っていくとその中心に伊弉諾神宮が存在する、ということになっています!
さすが親神様ですね^^
また、「ひのわかみや」の意味ですが、こちらは日本書紀の記述からのもの。
イザナギは淡路島に
つまり、幽宮のことであり、現在の伊弉諾神宮のことを表しているわけですね。
そして説明板には、天照大神が差昇る朝日の神格に対して、イザナギは夕日の神格があることを表しているという旨も書かれていました。
ちょっとこの辺の意味、よくわかりにくいですよね^^;
伊弉諾神宮の位置は中心地のはずなのに、なぜ夕日の神格があるのでしょう?
「日之少宮」という名前だけを見ると、「日の少なくなるところにある宮」と考えれば、それが夕日を意味するのかもしれません。
でも、それがなぜ淡路島なのでしょう?
西にある海神神社や、出雲大社、高千穂神社でもありません。
発想を変えて、「夕日=死」を意味するのであれば、鬼門の方角である北東、諏訪大社の方角のはずですが、そういうわけでもなさそうです。
その説明がなかったので、私は腑に落ちないまま神社を後にしましたが、後になって「飛鳥藤原京」の位置でピンときました。
ここからは勝手な想像になるのですが、伊弉諾神宮と伊勢神宮のちょうど真ん中あたりに飛鳥藤原京があるんですよね。
もう一度、淡路島から藤原京、伊勢神宮あたりを見てみると、このようになっています。
伊弉諾神宮は伊勢神宮と同緯度にありますから、藤原京も同緯度にあって、藤原京から伊勢神宮は真東にあることになります。
ここで藤原京を中心地にして考えると、藤原京から伊勢神宮までの同距離反対方向の位置に淡路島があります。
すると、春分・秋分の日には伊勢神宮の方角から太陽が昇り、伊弉諾神宮の方角に沈むことになります。
そういう理由から、ここには夕日の神格をもつ神がいる地となり、それに、役目を終えたイザナギが当てられたのではないでしょうか?
そもそも、日本書紀の編纂がはじまったのは天武天皇によるもの。
藤原京の建設も、天武天皇の時代から計画が立てられていたようですから、藤原京を中心に神々の位置関係を考えてもおかしくありません。
そうだとしたら、太陽の運行圏の中心地である伊弉諾神宮の話と、夕日の神格を持つイザナギの話がごっちゃになって、まぎらわしくなっているような気がしますね。
伊弉諾神宮の御朱印
伊弉諾神宮の御朱印です。
伊弉諾神宮にはオリジナル御朱印帳もありました。
今回の参拝では、他の参拝客がたくさんいましたが、伊弉諾神宮は自然が豊かなのでなかなか気持ちの良い場所でした。
時間をかけて、パワーを感じながら参拝したいところですね。
また、伊弉諾神宮では、「語り部付特別参拝」というものがあるようです。
1人2,500円で、希望日の10日前までに予約が必要なのだそうです。
左右神社で参拝客に手ほどきをしていた人も、この特別参拝の語り部の方のようでした。
神宮内のパワースポットを体感する案内になっているそうです。
なかなか面白そうですね^^