香川に行ったら絶対に行っておきたいところといえば、仲多度郡琴平町にある
古くからこんぴらさんと親しまれている神社です。
江戸時代にはお伊勢参りと並んで「一生に一度はこんぴら参り」といわれ、憧れの神社でした。
こんぴらさんは古来から海の神様として信仰されてきましたが、年月を経て農業、殖産、医薬、技芸など、色々な面で御神威を発揮するようになります。
つまり何でも聞いてくれる神様になっていったんですね^^
そして、こんぴらさんで有名なのは、参道の長い石段。
象頭山の中腹に御本宮があるのですが、麓から御本宮までの段数は785段!
さらに山を登ると「奥社」があって、奥社まで登るなら、麓から1368段!
運動不足な方にはちょっとキツイかもしれませんね^^;
でも、参道にはお土産屋さんがずらっと並んでいますし、グルメも楽しめるのでつらいばかりでもありません。
それに、頑張って登り切った後に味わえる達成感はたまりません^^
きつかったけどまた上りたいと思ってしまう。
それがこんぴらさんの魅力の一つですね^^
今回はメインルートの表参道から御本宮までの道の見どころを紹介します。
こんぴらさんには御本宮よりもさらに上ったところに「奥社」があるのですが、奥社までのレポートは別記事にしましたのでこちらをご覧ください。
こんぴらさんの参拝に必要な時間
こんぴらさんでの滞在時間、どれくらい必要なのか気になっている人も多いと思います。
石段を上るので、体力に個人差はあると思いますが、普通の体力の人なら往復で3時間を考えておくと良いと思います。
移動は、
- JR琴平駅・琴電琴平駅 ⇒ 石段口
- 石段口 ⇒ 御本宮(785段)
- 御本宮 ⇒ 奥社(583段)
の3つに分けられます。
御本宮まで行って帰る人も多いので、3の奥社までの時間は
駅から石段口までは片道約10分。
車で来られる方も、駐車場は近隣の民間駐車場を利用することになりますので、同じくらいの時間を見積もっておくとよいですね。
石段口から御本宮までは片道約30分。
御本宮から奥社まで片道約30分です。
これでお土産を見たりする時間を足すと3時間ほどかかる計算です。
食事をする方はもう少し余裕を持った方がよいかもしれませんね。
また、奥社には行かず、御本宮までで帰る人も多いです。
その場合は時間にゆとりが持てます。
奥社がどんなところか?はこちらに書きましたので、行こうか迷っている方はご覧ください⇒こんぴらさんでお馴染み、金刀比羅宮を参詣しました(奥社編)
駐車場を探す方は、客引きによる呼び込みに注意
こんぴらさんには参拝者専用の駐車場はありませんので、民間の有料駐車場に停めることになります。
コインパーキングのほか、参道近隣のお土産屋さんが運営している駐車場もあります。
詳しくはこちらにまとめましたのでご覧ください⇒こんぴらさんの参拝に利用できる駐車場
ちなみにこんぴらさんの参道前まで車で行くと、お土産屋系駐車場の客引きによる呼び込みがすごいです^^;
他県のナンバーを見るやいなや、ジェスチャーで案内してきます。
ぼったくりではないのですが、知らずに来ると、あたかもここに停めないといけないかのように思えてしまうので注意したいところですね。
ちなみに私は初めて来たときに、参道すぐの「つるや」さんに駐車させてもらったことがあります。
システムは1回500円。
1,500円以上のお土産を買うと無料になります。
車を停めてカギを預けると、カードを受け取りました。
お土産を買う時にこれをレジで見せればOKです。
お土産を必ず買うという方ならお土産屋さんの駐車場を利用するのは便利かもしれませんね。
私の場合は、これといっためぼしいお土産はありませんでした^^;
それでもたくさん配る用のものは一応買ったのですが、それだけでは1,500円に満たしませんでした。
もうちょっと頑張って欲しいな~という感じですね^^
金額で足りなかった分は「骨付鳥チップス」などで埋め合わせて購入。
それで金額を満たすことができました。
何も要らない人は、普通に駐車場代払った方が良いですね(≧▽≦)
最初は楽々♪石段1段目からこんぴらさんの入り口「大門」(365段目)までの道
車を停めて、向かうは参道の奥に見える琴平山。
参道にお土産屋さんがたくさん並ぶ門前街になっています。
杖や帽子を無料で貸してくれるお土産屋さんも所々にあります。
杖を借りなければならないほどの登山なのか?というと、御本宮まで多少のきつさはありますが、御本宮までなら普通の体力なら不要だと思います。
心配なら借りましょう。
奥社まで行くのなら、ちょっと欲しいですね。
帽子が必要なのは所々。
特に最初の方で必要かもしれませんが、上に登るほど木が影を作ってくれるのであまり要らなかったです。
借りた杖や帽子は、山を降りたらお土産さんに返さなければいけませんので、借りようと思っている方は、貸してくれたお土産屋さんを覚えておきましょう。
お土産屋さんをキョロキョロ見ながら歩いていると、石段が見えてきました。
こんぴらさんの長い石段がここから始まります。
一段目の横には、かご屋さんがスタンバイしています。
このかご屋さんは、365段目にある大門の前まで運んでくれます。
値段はこちら。
- 往復:6,800円
- 上り:5,300円
- 下り:3,200円
こんな感じでゆっくりゆっくり登って行きます。
かごだけで20kgはあるそうですから、人が乗ると相当に重いはず。
それでも365段目、大門の前までは連れて行ってくれます。
大門から上は行ってくれませんが、足腰が弱い方、お年寄りの方はこれを使って体力を温存することができますね。
元気な方は1段目から石段を上っていきますが、こんぴらさんの石段は一気に登るような石段よりも、少しずつ登ってはまっすぐになる道が多いです。
なので最初は楽々^^
どこまでもお土産屋さんがあるので、飽きませんね^^
「こんぴらうちわ」や「讃岐一刀彫り」などが名物のようで、どこのお店にも置いている感じでした。
こういう道を歩いていると
「こんぴらさんって、こんなもんか」
と思うかもしれませんね^^
石段113段目。
ここでやっと、一之坂鳥居が現れます。
鳥居の柱には、一段目の参道から並んでいる
「さあこれからだ。こんぴらさん。」
と書かれたのぼり旗がまだ立てられています。
ここまでは比較的ゆるやかな道でしたので、まだまだほんの小手調べということですね^^
一之坂鳥居から先は「一ノ坂」といって、大門まで連続した石段が続きます。
下の写真の先に見えるのが大門です。
一之坂鳥居から大門までは、今までと比べてややキツめ^^;
頑張って上ること365段目、やっとたどりついた大門です。
二層入母屋造で瓦葺、立派な門ですね。
楼上の扁額には「琴平山」と書かれています。
江戸後期~明治時代の皇族、有栖川宮熾仁親王殿下の御筆なのだとか。
この門は、この地を治めていた松平頼重から寄進されたものです。
松平頼重公は、実は水戸黄門でお馴染み、水戸光国公の兄なんです^^
門の下から見上げると、彫刻も立派。
大門から振り返ってみると、かなりの良い景色の場所まで来ていました。
讃岐平野を見下ろす景色。
でも、この高さまできても、まだ大門の前です。
立派な門なので、このすぐ後ろに御本宮があってもよさそうなのですが、まだ道のりの半分にも達していません。
実はここが神域の入り口、つまりこんぴらさんの境内はここからなんですよね^^;
「金刀比羅宮」という名前を付けた琴陵宥常
大門の手前まで行くと、右手側に歴史ポイントがあります。
実際には、こんなに離れているところにあるので、ほとんどの人が存在を知らずにスルーしてしまう、目立たない像です^^;
何をした人か?
この人は、明治時代にこの神社を「金刀比羅宮」と名を改めた人物です。
「金刀比羅宮」という名前はもっと昔から使われていそうですが、実は明治時代からなんですね^^
元々の名前は「琴平神社」でした。
平安時代になると、なんとお寺になってしまうのです!
今の感覚だと、神社がお寺になるって信じられませんよね^^;
大門をはじめ、こんぴらさんにはお寺っぽい建物がいくつか見られますが、それはこの頃の名残です。
平安時代以降は、日本古来の神と外来宗教である仏教が混淆し一つの信仰体系となった
よく、神社とお寺の区別がつかないという方がおられます。 でも、それはおかしなことではありません。 歴史を紐解けば、区別がつかないのも当然の流れなんですよね^^ そのカギを握るのが「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」です。 …
こんぴらさんだけでなく、日本全国でこういう信仰体系の流れになったのです。
その信仰体系では、お寺が神社を管理していました。
こんぴらさんでは、松尾寺金光院というお寺が管理していたんですね。
それから江戸時代になると、こんぴらさんの神様は
「
つまり、仏と神は同体で、神は仏が仮の姿となって現れたものなのです。
まさに「権現」というのは、神仏混淆の元での名前なんですね。
しかし、明治時代になると、神仏混淆の時代が終わりを告げます。
明治政府が神仏分離令を発したのです。
これは、神と仏をきちんと区別するということ。
金光院も、元の姿である神社に戻さなければなりません。
時代背景の説明が長くなりましたが、銅像になった人物「琴陵宥常」は、その時の金光院の住職だったのですが、後に宮司となり、神社としてやっていくための改革を行いました。
その改革とは、まず「金毘羅大権現」を「金刀比羅宮」と改めます。
御本宮を再営し、人を呼び込むために、琴平山博覧会なども開催しました。
さらに、金刀比羅宮は古来から海の神様として信仰されていましたから、海にゆかりのある金刀比羅宮の宮司として、海難事故やその被害にあった人々を救済する、日本水難救済会を設立しました。
このような活動をして、現在の金刀比羅宮の礎を築いたわけです。
この人の活躍がなかったら、今のこんぴらさんの姿はなかったかもしれませんね^^
こんぴらさんのマスコット「こんぴら狗」登場!「書院」(477段目)までの道
大門をくぐると神域の中。
ここからは商売をする場ではないので、お土産屋さんの姿はなくなります。
目の前には白い傘が5つ。
よく見ると、神域なのに飴を売っているではありませんか!
実はこの人たちは、「五人百姓」と呼ばれる、5つの家族が経営する飴屋さん。
売っている飴は「
五人百姓は、300年以上前からこの大門付近で商売をしている、伝統のある飴屋さんなんですね。
なぜ五人百姓だけが商売を許されているのか?
それは、それぞれの家族が、昔からこんぴらさんのさまざまな神事を手伝ってきた家柄で、その功労として特別に宮域での商いを許されているのだとか。
「五人百姓」という名前は、神事における役目なのだそうです。
まさにこんぴら名物ですね^^
五人百姓の先にある参道は、緑が気持ち良い道になっています。
しかも再び平坦な道になって、楽々♪
桜馬場と呼ばれるこの道は、その名の通り春には両サイドに桜が広がる空間です。
緑でもきれいですが、桜の季節も訪れてみたくなるほどすがすがしいです。
桜馬場の途中には、こんぴらさんの宝物館があります。
こんぴらさんは信仰の歴史も信仰していた人の層も幅広いですので、残っている文化財の幅も広いです。
宝物館は期間を設けて特別展を行っていますので、行かれる際はその内容も見ておくと良いですね。
結構面白いものが展示されています^^
階段を登りきって431段目、青銅の鳥居のある広場に到着。
この横には、何やらかわいらしい「こんぴら
可愛らしい犬なので、いっしょに写真を撮ろうとする人がいっぱいでした^^
こんぴら狗は、こんぴら参りが流行った時に「代参」で来ていた犬のこと。
つまり、遠くに住んでいて来れない御主人に代わって参拝しに来ていた犬です。
犬に代わりに参拝しに行ってもらうという発想、今では信じられないですね。
でも、昔は犬による代参が結構行われていたようです。
こんぴら狗の前には広場になっています。
この奥には神馬が飼育されている「
白馬と黒馬が飼育されていました。
白黒揃えているところを見ると、雨乞いや雨止めに使うのかと思ったのですが、そうではないようです。
白い方の馬は神馬。
神様がお乗りになるための馬です。
黒い方はG1優勝馬を父に持つサラブレット馬なのだとか。
そしてアフリカゾウの像。
このゾウは「代参」といって・・・
ではありませんね^^
説明はされていませんでしたが、おそらく金刀比羅宮のある象頭山にちなんで奉納されたのだと思われます。
造船会社から奉納された巨大なプロペラ。
こんぴらさんは海の神様ですから、こんなものも奉納されるんですね。
青銅の鳥居から階段を上ります。
477段目まで上がったところで、立派な門が登場。
この門は社務所門。
入るとすぐ、書院があります。
毎年5月5日と7月7日に書院前庭で行われている蹴鞠のイベントが有名です。
この書院は、表書院と奥書院の二棟からなり、重要文化財に指定されています。
表書院は檜皮葺、書院造の建物で万治二年(1659年)に建立。
別当金光院が金毘羅大権現に奉仕していた時代、訪れた人々との応接の場「客殿」として使われていました。
内部は七室に分かれていて、そのうち五室に丸山応挙の障壁画があります。
一般800円で拝観することができます。
奥書院は、数寄屋風を取り入れた入母屋造の建物で、金光院の書院であったとされています。
こちらには伊藤若冲の障壁画「花丸図」や、
でも、たまに公開されるときがあるようなので、公開されているときは拝観した方が良いかもしれませんね^^
書院の横には御守所も置かれていました。
なかなか趣きのある御守所です。
色々とお守りを売っているのですが、「幸福の黄色いお守り」はここには置いていないとの説明書きがありました。
それだけここで「幸福の黄色いお守り」を求めている人が多いのでしょうね。
購入するなら、御本宮まで頑張って行かなければいけません。
犬が代わりに参拝?こんぴら狗の正体とは?
先ほど紹介したこんぴら狗の像。
何やら札がかけられています。
「金毘羅参り 合格祈願 東京照村」
と書かれています。
つまり、東京照村という村から合格祈願でこんぴら参りに出された犬なのでしょう。
「東京照村」という村が実際にあったのかどうかはわかりませんが、こんな感じで代参にだされたということですね。
かつて日本では、人々が自由に旅行することは許されていませんでした。
それが江戸時代になって、庶民は神社仏閣への参拝が目的であれば、旅をすることが許されるようになったのです。
それでもやはり遠出するには資金も時間も必要ですし、歩かなければいけないので大変です。
そこで旅に慣れた人に頼んだり、村人全員で資金を積み立てて代表者に参拝させたりしていました。
それが「代参」です。
こんぴらさんの場合は、犬に代参させるケースがあったわけですね。
その方法は、飼い主が首に巻いた袋に初穂料と道中の食費を入れてもらうようにしておいて、犬に旅立ってもらいます。
そのよう代参で来た犬が「こんぴら狗」と呼ばれているのです。
はたしてどうやってこんぴらさんまでたどり着かせたのでしょう?
どうやって戻ってきたのでしょう?
誰が始めたのでしょう?
なかなか謎の多い方法ですね^^;
その様子が書かれた絵本もamazonなどで販売されています。
この絵本では「ゴン」という犬の話が描かれていますが、あくまでこんぴら狗のモデルで、実在したわけではありません。
江戸に住んでいる村人が飼い犬にこんぴらさんへの代参を頼み、道中で色々な旅人と出会いながらお参りしにいきます。
旅人から旅人に、世話をしてもらいながらこんぴらさんまで連れて行ってもらったようですね。
本当にそのような参拝で無事にたどり着いたのかどうかはさておいて、こんぴらさんではそう語り継がれているのです。
それだけ一生に一度のこんぴら参りをしたい人が多かったのかもしれませんね。
こんぴらさんNo1の大きな建物「旭社」(石段628段目)までの道
書院を過ぎて、500段目のところには、東京で有名な「資生堂パーラー」のレストランとカフェ「神椿」があります。
こんなところで資生堂パーラーのカフェが楽しめるなんて、不思議な感じですね^^
こちらで頂いた内容は別記事にしています。
季節ものもありますので、メニューなど詳しくは神椿の公式サイトをご覧ください。
そこからさらに階段は続きます。
ひと段落するまで登って595段目、何やら大きな社殿が階上に見えてきました!
その手前には、祓戸社があります。
ここら辺までくると、
「一体いつになったらたどりつくのやら・・・」
と思い始めるところですが、祓戸社が出てきたということは、そろそろ御本宮が近いということです^^
祓戸社は、大きな神社なら大抵、入り口付近にある社です。
ここには、積み穢れを祓ってくれる神様がいらっしゃいます。
神道の考え方では、神様に合う前には身を清めて、清浄な状態で参拝する方が良いとされています。
つまり、この社でやることは、手水(手を洗って口を漱ぐ)をして祓戸の神様に穢れを祓ってもらうこと。
ぜひ、御本殿を参拝する前に参拝しておきましょう。
そしてついに現れました、大きな社殿。
三層入母屋造、銅瓦葺、総ケヤキ材、細かい部分まで彫刻が施された壮重な建物です。
「やっと御本宮に着いた~!」と思いがちですが、これは御本宮ではありません。
実はこの旭社、御本宮より大きく、境内最大の建築物なんですね^^;
あまりに大きくて立派な建物なので、御本宮にたどり着く前にこれを見ると、御本宮と間違えてしまいそうです。
実際に、江戸時代に本堂と間違えて参拝してそのまま帰ってしまった、という人の話が伝わっています^^;
その人物は、清水次郎長の子分「森の石松」。
清水次郎長親分の代参として、こんぴらさんに刀を奉納しに来たのです。
しかし、旭社を本堂と間違えてここで参拝、刀を奉納して帰ってしまったので、帰り道に強盗に襲われ、参拝の御利益なく殺されてしまったのだとか。
はるばる来たのに可愛そうな結末・・・
でも、旭社まで来るとやっと登ってきた達成感みたいなものが出てきますし、早とちりの方はここで帰ってしまうかもしれませんね^^;
森の石松みたいにならないように、きちんと御本宮を参拝しましょう。
ここまで来たらもう少しですから^^
ちなみに石松が奉納したとされる刀「肥前国忠吉」は、宝物館で見られるそうです。
体力が残っている方は、帰りに行かれるとよいですね^^
旭社は、神仏習合時代は薬師如来を祀っていたそうですが、明治の神仏分離以来は神社になったので、今は神様が祀られています。
その祀られている神様がスゴイんです^^
- 天御中主神
- 高皇産霊神
- 神皇産霊神
- 伊邪那岐神
- 伊邪那美神
- 天照大御神
- 天津神
- 国津神
- 八百万神
上から3柱の神様は「造化三神」といって、この世界を作った神様たち。
その下は日本を産んだ男女の神「イザナギ」と「イザナミ」。
そして日本の総氏神「天照大御神」。
古事記に出てくるトップオブ神様の集結です^^
そしてまだ他にも神様がいます。
天津神は天の神、国津神は地の神、八百万神はその他大勢の神です。
神様み~んなまとめて祀りました、という感じの社ですね^^
神仏習合時代、こんぴらさんは松尾寺金光院が管理していましたが、ここは金光院の金堂、つまり信仰の中心地だったそうです。
だからこんなに華美な装飾が施されているのでしょうね。
建立されたのは天保八年(1837年)なのですが、完成するのに30年もかかったのだとか。
天保美術の精華が集められていることが理由に挙げられそうですが、それだけでなく、材木も選りすぐりのもの、資金も寄付を募ってのものなのだそうです。
また、疫病の流行や大水害なども遅延の要因になっています。
それだけ時間がかかったのもわかりますね。
全国から宮大工を集めて、世代を交代しながら建てたこともあって、宮大工たちの多くはそのまま琴平町に定住していきました。
その子孫といわれているのが参道にたくさんある「讃岐一刀彫」のお土産屋さんなのだそうです。
楼上には「降神観」の扁額が掲げられています。
言葉の選択がカッコイイですね^^
この扁額は、江戸時代に清国で一番の書家と名高かった王文治の筆なのだとか。
伝承によると、清国の人が海で遭難していたところ、こんぴらさんの神様に助けてもらったのだそうです。
その感謝のために奉納されたとのことですが、その時に神が降りるのを見たのかもしれませんね^^
江戸時代後期に書かれた、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」シリーズ、「金毘羅道中膝栗毛」の中にも、この額を見たことが書かれています。
それだけ当時から有名な扁額だったのでしょう。
そして旭社のすぐ横にある水がめ。
人がちらほらここの前に集まってきて、何かをしています。
覗いてみると、
一円玉を浮かせていました^^
この水がめで一円玉を浮かせてみて、無事浮けば願い事が叶うという言い伝えがあるそうです^^
このように、見どころいっぱいの旭社ですが、実は、御本宮を参拝し終わってから、帰りに参拝するのが習わしなのだとか。
やっぱり、先に親分に挨拶するのが筋ですからね^^
ここから先、御本宮までの行きと帰りの道は別々になっていますが、旭社で合流します。
旭社のすぐ右側の石段が御本宮からの下りの道です。
帰りに旭社を参拝するのを忘れないようにしましょう^^
金比羅信仰の中心地「御本宮」(785段)までの道
旭社から上りの道は、こちらの唐銅の鳥居を行きます。
鳥居をくぐって階段を上り、石段642段にあるのが
この門には、四国を平定した土佐の戦国大名、
長宗我部家は元々は土佐の豪族だったのですが、そこから土佐を統一し、それからもぐんぐん力をつけて四国を平定してしまいました。
勇ましくて家来からも信頼の厚い元親は、今でもマンガやゲームなどでイケメンに描かれたりして、人気の高い武将の一人ですね^^
しかし讃岐地方にとって元親の進軍は、今までにないほど大きな災難だったわけです。
元親の戦法は「焼き討ち」が常套手段で、讃岐全土を巻き込み、良民の生活を奪い、神社仏閣も火の海につつまれました。
当時の金毘羅大権現も例外ではなく、多くを焼かれています。
しかしここで、金毘羅大権現の霊験が発揮するんですね^^
琴平山のお隣に「大麻山」という山があって、元親はそこに陣を取ったことがありました。
その夜、元親は琴平山の草木が全て敵兵に見えてしまい、狂乱してしまったのです。
元親の重臣たちは、
「これは金毘羅大権現の霊境にまで押し入り、付近を犯した神罰である」
と反省し、謝罪するために門を献納することにしたのです。
でも、建築を急いでしまって、柱を一本、逆さまにつけてしまいました。
それで「逆木門」と名付けられたのです。
今の門は明治時代になって改築されたものなので、逆さまにつけられた柱は外されていますが、その柱は宝物館で保存されています。
そして改築を機に、「逆」という字を嫌って「賢木門」と書くようになったのです。
門の扁額は、明治天皇を陸軍軍人として支えた皇族、有栖川宮熾仁親王殿下の御筆です。
賢木門をくぐると、闇峠に出ます。
山の斜面から高い木々が生い茂って、その名の通り、天気が良くても日陰になるような空間になっています。
そして、ついに御本宮までの最後の階段があらわれます。
ここを登り切れば、ついに御本宮の目の前に出ます!
あともう少しですね^^
気になったのは、階段の横にある百度石。
百度石は、百度参りをする起点の石のことです。
この石を起点に、本殿まで行ってを参拝してまた石に戻り、そしてまた本殿まで行って参拝、これを百往復する参拝方法です。
それだけ強い想いを込めた願い事は、一度の参拝で済ませず、何度も参拝することで、より聞いてもらえる、と考えられていたんですね。
この百度石は、これだけ山を登った後に、百段ちょっとある階段の下に作られています。
なかなか酷ですね^^;
そしてついに785段目、御本宮に到着!
山を登る前は「こんなものか?」と思うほど、二段三段とだらだら上っていた感じだったのが、いつの間にか段々ときつくなり、ここに到着する頃にはなんだか達成感があります^^
御本宮ですが、大社関棟造といわれる独自の様式。
横から見ると、複雑な構造をしていますね。
祀られている御祭神は、
奈良県にある大神神社の神様と同じです。
大物主神は、出雲大社で祀られている大国主神の
和魂についてはこちら⇒荒魂、和魂、幸魂、奇魂とは?
古事記にも登場する偉大な神様で、水陸の交通安全や産業発展、病気平癒、技芸上達、商売繁盛などあらゆる方面でご神徳を発揮された神様です。
ここでは地域の特性上「海の神様」とされる面が強いですが、基本的には何でも聞いてくれる神様です。
なので、海に関係ない人も、きちんとお参りして御利益を授かっておきましょう^^
そして、相殿にはもう一人の御祭神、
大物主神はかなり古くから鎮座されているそうですが、崇徳天皇が祀られたのは永万元年(1165年)、崩御された平安時代末期のことです。
なので崇徳天皇は、創建からだいぶ後になって祀られたなんですね。
御本宮の前は高台になっていて、讃岐平野を見渡せる景色は絶景です。
遠くにこんもりとしたきれいな山の形をしているのは「飯野山」。
通称「讃岐富士」と呼ばれている山です。
昔話に出てきそうな山ですね^^
天気が良ければ、向こうの方に瀬戸大橋も見えるそうです。
あと「四国の道はすべて金刀比羅宮に通じている」といわれます。
金刀比羅宮のある象頭山を中心に、四国各地に放射状に街道がのびているんですね。
四国各地からこんぴらさんをめざす道を「こんぴら街道」と呼びました。
次の5つがあります。
- 高松街道:高松城下~滝ノ宮~琴平
- 丸亀街道:丸亀港~郡家~与北~琴平
- 多度津街道:多度津港~善通寺~琴平
- 伊予・土佐街道:川之江~山本~琴平
- 阿波街道:川奥~吉野~五条~琴平
この中で賑わったのが、丸亀や多度津の街道です。
ちょうどこの景色のどこかに見えるはずなのですが、残念ながらどれかわかりません^^;
でも、そのような街道が延びて、街が賑わっている様子は想像できますね。
御本宮からは長い廊下「南渡殿」が伸びていて、「
祀られている三穂津姫神は、日本神話に出てくる創造神「
そしてそのお隣には絵馬殿があります。
昔奉納された絵馬だけでなく、最近の絵馬もたくさんあります。
船の絵が多いことから、やはり海の神様としての信仰が強いようですね。
絵馬殿の奥には樽があります。
これはただの樽ではありません。
こんぴらさんでしか見られない、独特の代参方法「流し初穂」です。
「代参」はこんぴら狗のところでも話しましたが、こちらは樽の中にお賽銭を詰め「奉納 金刀比羅宮」といった白いのぼりを立て、航行中の船の上から海に投げ込みます。
そしてその流し樽を拾った人が、代わりにこんぴらさんへ奉納しに行く、というもの。
樽を見つけた地元の人は、自分の仕事を休んででも奉納しに行ったのだそうです。
山を上るだけでも大変なのに、他人の樽を持って、わざわざ仕事まで休んで上るのは信じられませんね!
「こんぴら狗」もそうですが、全て人の善意で成り立っていますね^^
初穂料を盗む人がいてもおかしくないのですが、このようにして代参をする人が一人二人ではなく、風習にまでなったのは、それだけ篤く信仰されていた神様なのでしょうね。
これで御本宮への参拝は終わりです。
奥の社へ行かれる方は、本殿横の道から向かいます。
ここで帰る方は、絵馬殿付近に下り専用の帰り道があります。
行きに上ってきた道は上り専用なので、そこから帰ることはできません。
帰る時はここから帰ります。
旭社の所で合流しますので、旭社の参拝も忘れずに^^
こんぴらさんのお守り&御朱印
お守りなどを販売している授与所は、御本宮のすぐそばにあります。
ここに来たら、人気のあるものが授与されています。
それが、こちら。
右はプレゼント包装のようにされているのは御朱印帳。
「笑顔元気くん朱印帳」と名付けられた、こんぴらさんオリジナル御朱印帳です。
御朱印付で1500円です。
子供が描いたような元気くんは、宮司さんが描いたものなのだとか(≧▽≦)ヘタかわいいですね♪
御朱印はこちら。
黄色い袋は「幸福の黄色いお守り」と「こんぴら狗守り」のセット(1500円)です。
お守りはウコンで染めた絹糸を使っているそうで、手触りがすごく気持ちいいです♪
こんぴらさんのマスコット、こんぴら狗もかわいいですね^^
こういうものもあります。
こんぴら狗の開運みくじ。
親狗、子狗それぞれの背中におみくじが入っているので、好きなものを引きます。
すると、こういうものが出てきました。
中身は普通のおみくじ、財布に入れる用のこんぴら狗守りが入っていました。
ちゃんと祈祷もしているそうで、持っていれば願いを叶えてしあわせをもたらしてくれるそうですよ^^
これらは御本宮まで来ないと購入することができません。
ふもとの門前町や書院の御守所でも売られていませんので、お求めの方は御本宮まで頑張りましょう。
同じく、奥社には「天狗守り」というものあありまして、それは奥社で販売されています。
天狗守りが欲しい方は奥社まで頑張りましょう。
金比羅さんは漁師等を生業としていた我が家累代の崇敬神社(多分、家の船の船玉さん)の所以を以て
良く登拝しています。
駐車場の件ですが、参道から離れた地元民の生活圏にあるコイン駐車場を利用しています。
最近良く使っている某駐車場で大体、一時間100円位と周辺よりは格安。
別にうどんも参道周辺はボッタ値段設定(素のカケうどん?で200円以内が地元民相場)なので地元民御用達のお店に行っています
宝物殿(博物館)には嘗ての金比羅大権現さま、本殿に坐した十一面観音(天照皇大神、天照御魂神)と
今は旭社の金堂に坐した不動明王並びに毘沙門天さま
(こちらに現存するのは先代以前の古いモノ。
明治の法難に際して当時祀られていたの不動明王と毘沙門天(二柱とも神道に言う秘神、瀬織津媛命/天照大神荒魂が仮託された仏))
らは流転の末に岡山の西大寺に引き受けられて、
現在は金比羅大権現のお堂に鎮座なさっていらっしゃいます。
明治以前には上↑の金堂(旭社)で護摩祈祷を厳修して頂きその護摩祈祷札を金比羅大権現の神札として持ち帰って祀るのが通常でした。
故に、森石松が本殿と間違えた(更に上に本殿があるとは露知らず)のも金堂がご祈祷の中心的な建物だったからでしょう。
本殿から見えている飯野山(讃岐富士)の方向が正に鬼門の北東、丑寅の方角で
その先にはいわゆる鬼ヶ島と言われる女木島があります。(出来すぎ?)
、、、、飯野はイイノ、、、、熊野(イノ)の転化では?
明治の法難を流石に「なに事も平らかに導き成就成さしめる(コトヒラの言霊)神」(畏くも過年参拝の砌、わたくしに託せん賜りました)のご神得により
上手く荒浪を乗り越えて現在も変わらない隆盛繁栄を維持していらっしゃいます。
それがうまくいかなかったのが金比羅参りと両参りで栄えた児島半島の愉伽大権現宮(金比羅宮の真北。行基上人由縁。)。
境内を二分して神社と寺院とした迄は良かったのですが、
両所で常にいさかいが絶えず、参拝客も遠退き往時の繁栄の面影は全くありません。
因みに、南の山並みを越えた金比羅の奥の院と称される徳島県三次市の箸蔵寺金比羅大権現宮(勅願を承った空海の開基)は
今なお神仏習合、混淆の姿を留めています。
こちらは箸蔵ロープウェイで楽々と麓からお参りできます。
歩きでは参道の600段の階段と坂道を往く事になり約一時間を用します。(こちら様も親戚が金比羅講社(旗(お金を積んで貰えような代物ではない。大変なモノ)を頂き年毎に回し祀る))
たぬきさん、コメントありがとうございます。
先祖代々の崇敬神社なんですね^^
両参りで栄えた愉伽大権現宮や、金比羅の奥の院と称される箸蔵寺金比羅大権現宮の存在は知りませんでした。
駐車場の件も、ちょっと離れたら格安のところもあるんですね。
今度はそういうところを探してみます^^
地元の方ならではの情報、ありがとうございます。