10円玉の表面の絵柄にもなっている宇治の平等院鳳凰堂。
平等院は、平安時代を代表する寺院です。
平安時代は、藤原摂関家が政治を動かした時代。
平等院のある場所は元々、藤原摂関家時代の全盛期に活躍した藤原道長の別荘がありました。
道長の死後、父道長より別荘を受け継いだ
それが平等院です。
現在の平等院は、鳳凰堂の周りにいくつか塔頭寺院があるくらいでそんなに広くありませんが、創建当時は宇治の地の多くが境内として、阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)のほか、金堂、講堂、法華堂、宝蔵などの多く堂塔が建ち並んでいたそうです。
それだけ藤原摂関家の力が強かったということでしょうね^^
鳳凰堂とその庭園は、当時の貴族たちが希求した極楽浄土の光景を再現したものです。
そのようなものを建てたのはその時代背景が関係していると考えられます。
その当時は仏教でいう"末法の世"に入る年でした。
"末法の世"というのは、仏教の予言思想の1つで"末法思想"という考え方に出てくる世の中の移り変わりに関する考え方です。
釈迦の入滅から1000年毎に正法、像法、末法と、3つの時代を分けていて、末法の時代には仏の教えも衰えて世が乱れるとされていました。
伝言ゲームみたいなもので、時代が経つにつれて釈迦の教えが正しく伝わらないので疫病や戦乱が流行ったり、混沌とした世の中になるというわけです。
平安時代は末法思想が蔓延した時代で、特に鳳凰堂が創建された1052年は、像法から末法に移りかわる年、末法元年と言われる年でした。
平安時代の人々は上は貴族から下は民衆まで恐怖におびえていたんだそうです。
そんな時代だからこそ、極楽浄土をイメージした鳳凰堂を建てたんでしょうね^^
境内散策
宇治は休日に行くと、観光バスも乗り入れするので人がいっぱいなのですが、平日に行くと、ガランとしていました^^
普通、入口前は人が多すぎて奥に続く参道の写真も撮れないのですが、上の写真のとおりです♪
拝観料を払って早速境内へ。
鳳凰堂の内部を拝観するには、鳳凰堂の横にある受付で内部拝観券を申し込む必要があります。
20分ごとに50名ずつ解説付きで案内されるので、ディズニーランドのファーストパスのように時間ごとに発券されているんです。
早く申し込んでおかないと、団体さんが来たらすぐに埋まってしまうので最初に申し込んでおいて、時間がくるまで近くのお堂を見学しておくのが良いですね^^
というわけで発券後、まずは鳳凰堂の正面へ!
これが有名な風景ですね^^
鳳凰が翼を広げたような形をした、建築的にも珍しいお堂です。
このお堂、人が入れるのは真ん中の中堂だけで、左右の翼廊の二階部分は実用的な意味はないんです!
じゃあ、何のためにあるのか?
それは、中堂の持つ重量感を左右にそらし、全体的なバランスの中で軽快さと優美さを生み出す役割をしているんです。
つまり、見栄えを良くするために造られたもの^^;
2階部分を近くから見てみると、とても人が入れないほど天井と床の間が狭くなっています。
そしてそれを持ち上げるための柱が長い!
言わば8等身の美人モデルの建物版のような見ばえを作っているんですね。
お堂は阿弥陀如来の宮殿を模したものと言われていますが、見た目を追及するあたりが貴族らしいですね^^
中堂の内部には、その時代の代表的な仏師、
そして実は、お堂の正面から池を挟んだ場所からも阿弥陀如来のお顔も拝見できるんです^^
阿弥陀如来のほかにも、52体の雲中供養菩薩像、日本最古の大和絵風九品来迎図(国宝)があります。
(堂内は撮影禁止)
下は、本堂の壁に阿弥陀如来を囲むように懸架されている雲中供養菩薩像の一体です。
(写真:パンフレットより)
写真のように雲に乗っていて、様々なポーズで鼓、笙、琴、琵琶などそれぞれ18種類の楽器を奏でています。
この表現方法が多彩で、同じポーズをした雲中供養菩薩はありません。
来迎図などの仏画で見ることはありますが、仏像で見られることはなかなかありませんね。
見事です!
阿弥陀如来は、信仰している人が臨終した時、雲中供養菩薩を連れて極楽浄土に迎えに来ます。
ただ、その迎え方には種類があって、臨終する人がどれぐらい徳を積んでいるかによって、9通りにわかれます。
徳を積んでいる順から、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生となっています。
その9通りの迎え方を描いたのが、堂内の扉や壁に書かれている九品来迎図です。
(写真:パンフレットより)
上の写真は中品上生の絵。
迎えの数や迎えに来るスピードなどがランクでわかれているのですが、この絵は『観無量寿経』に基づいているそうです。
次は阿弥陀堂側から外を見ると、そこには大きく広がる池と州浜からなる、浄土庭園が広がっています。
平安時代の代表的な庭園様式で、この庭を模範として浄土庭園の様式が全国に伝搬したそうです。
今でも広く見渡せてきれいですが、当時はもっと自然や自然の音に囲まれながら、優雅な堂塔に囲まれてもっと綺麗だったでしょうね^^
中堂の屋根には一対の鳳凰がいます。
この鳳凰、一万円札にも使われているのをご存知でしょうか?^^
ただし、中堂に取りつけられているものは復元模像です。
劣化を防ぐために、本物は境内にある平等院ミュージアムに保存されています。
平等院のメインはこの鳳凰堂ですが、この他にも見どころはあります^^
まずは鐘楼。
8月中旬に発生した大雨で、宇治川の洪水被害がありましたが、平等院も一部土砂崩れが起きて、庭園に被害があったと聞きましたが、その被害の現場がこの鐘楼付近だったようです^^
もう片付けられていましたが、鐘楼付近は近付けないようになっていました^^;
しかしこちらも鳳凰像と同じく、劣化を防ぐために復元模像。
本物の鐘は平等院ミュージアムに保管されていて、近くで見ることができます^^
平等院の鐘は、平安時代を代表する梵鐘で「天下の三名鐘」の1つです。
天下の三名鐘は、
- 姿の平等院鐘
- 声の園城寺鐘
- 勢の東大寺鐘
の3つです。
「姿の平等院」と呼ばれるくらい見た目が重視されていて、鳳凰や雲中供養菩薩など、平等院らしいものが描かれています。
昭和55年から平成14年までは60円切手に使われていたこともあります。
本物は国宝ですので、訪れたらぜひ見ておきたいところですね。
残念ながら平等院ミュージアム内は撮影禁止^^;
そしてお次は塔頭寺院。
平等院の境内には、宗派の違う二つの塔頭寺院があります。
一つは、浄土宗の浄土院、もう1つは天台宗の最勝院です。
平等院は、異なる二つ宗派のお寺が管理している珍しい寺院なんですね。
平等院自体は何宗になるのか?というと、どちらにも属していない単立寺院となっています。
創建された1052年当時、本堂は現在の鳳凰堂の北側で宇治川の岸辺近くにあって、そこでは大日如来を本尊としていたのですが、1053年に現在の鳳凰堂である阿弥陀堂が完成し、そこから阿弥陀如来を本尊とするようになりました。
2つの宗派が管理しているのはその辺が関係しているんでしょうね^^
どちらも鳳凰堂の裏手にあります。
まずは浄土院。
本堂のほか、羅漢堂、養林庵書院などがあります。
ご本尊は阿弥陀如来立像ですが、一番目立つのは入口にある「救世船乗観音」。
その名の通り、船に乗った姿の観音様です。
旅の安全を祈る旅人やその家族の方、航海の無事を祈る方、人生を長い旅路として一生涯の無障を願う人々、成人式や様々な人生儀礼に際してお参りする方などから信仰を受けています。
宇治は交通の要衝で、救世船乗観音は今の平等院ミュージアムの南西角にあった、浄土院子院の観音堂の本尊だったものです。
戦後本堂に移ったそうです。
お次は天台宗寺門派聖護院末の最勝院。
最勝院には本堂の不動堂と地蔵堂、源頼政の墓地があります。
本堂には役小角像、地蔵堂には地蔵菩薩坐像が祀られています。
そして地蔵堂の向かいにあるお墓が源頼政のお墓。
源頼政は源氏ですが、保元の乱で源義朝につかず、平清盛側につきました。
そして保元・平治の乱で武勲をあげ、源氏として初めて従三位という位まで登っています。
平清盛にも信頼されていたんですね^^
しかしその後、平氏のやり方に不満が高まる中、当時次の天皇候補として名乗りを挙げていた以仁王と手を組んで、諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えました。
この時、頼政も兵を挙げましたが、宇治川で平良知盛軍の追撃を受けて、平等院境内で自害しました。
なのでここにお墓があるんですね^^
そして自害した場所が、境内にある「扇の芝」という場所です。
重要文化財の観音堂の裏にあります。
御朱印
平等院の御朱印は2種類。
宗派の異なる塔頭寺院、浄土院と最勝院それぞれで受けられます。
こちらは浄土院で頂いた御朱印です。
鳳凰のマークが印象的です^^
そしてこちらは最勝院で頂いた御朱印です。
天台宗なのに阿弥陀如来と書かれているのが珍しいですね^^
オリジナルの集印帳は、最勝院にありました。
「平等院」と書かれたシンプルなタイプで、残念ながら絵はありません^^;
1冊1,000円でした。
平等院は藤棚も有名で、カメラ好きが集まるところなのですが、真夏の暑さが厳しい季節では、参拝客の涼をとる場所になっていました^^