豊臣秀吉が贅を凝らして再建した、醍醐寺 三宝院。
当初は醍醐寺の子院として創建されましたが、後に醍醐寺の本坊的な役割を担うようになった寺院です。
平安時代の寝殿造りを思わせる優雅な佇まいを取り入れた表書院(国宝)や、豊臣秀吉が自ら設計した華麗で豪華な三宝院庭園(特別史跡・特別名勝)があることで有名です。
大半の建物は重要文化財に指定されているという、すごい場所なのです。
下は、パンフレットからお借りした地図。
※画像:パンフレットより
三宝院庭園の割合が結構大きいですね^^
三宝院が創建されたのは、平安時代の永久三年(1115)、醍醐寺14世の座主・勝覚僧正によるもので、最初は、密教の儀式を行う潅頂院として建てられました。
応永35年(1428)以降は、歴代の寺座主を輩出する門跡寺院(皇族・貴族が住職を務める寺院)として栄えるようになり、醍醐寺の本坊的な役割を担うようになっていきました。
しかし、室町時代の文明二年(1470)に応仁の乱が勃発、その戦火に巻き込まれ、醍醐寺は五重塔以外のさほどが焼失してしまいます。
現在の三宝院は醍醐寺の総門をくぐってすぐ横にありますが、創建当初は、醍醐寺金堂の西側の一段低いあたりにあったようで、三宝院もその時に焼けてしまったのです。
それから桃山時代になって、当時の座主であった義演僧正が、「金剛輪院」というお寺があった場所に再興したのが現在の三宝院です。
豪快で美しい!秀吉にちなむ三宝院前の「太閤しだれ桜」
三宝院の入り口はいってすぐのところには、立派な佇まいの桜があります。
その名も太閤しだれ桜。
醍醐寺は、応仁の乱の時に大きな被害を受けました。
それを豊臣秀吉・秀頼親子がスポンサーとなって復興したんですね。
そして秀吉は、今でも語り継がれる伝説の花見、「醍醐の花見」という贅沢な花見を行いました。
そんな秀吉にちなんで名づけられた桜がこの樹齢約150年もある「太閤しだれ桜」です。
京都の中でも比較的早く咲く桜で、実際に醍醐寺全体が5分咲き~7分咲きほどの時点で、この樹はこんなに咲いていました。
なかなか豪快ですね^^
平日の朝から行ったのですが、開門早々すぐに人だかりができて、昼近くになっても増える一方。
おそらく閉門までずっと賑わっていたと思われます。
醍醐寺の広い境内には約1,000本もの桜が植えられているといいますが、醍醐寺の中でもおそらく一番立派な桜だと思います。
金箔の「菊」と「五七の桐」を飾る国宝・唐門
三宝院表門の東に南面して建つ三間一戸の唐門。
天皇の使いである「勅使」の方が来た時にだけ開閉されていた勅使門です。
無料の参道からでも観ることができる国宝の門で、国宝と知らずとも豪華さで圧倒されると思います。
まず、天皇家の「菊の御紋」と豊臣家の「五七の桐」が他にないほど大きいです!
しかもそれらは金箔で施され、門全体が黒漆で塗られていて、このずしりとした重厚感のある佇まい!
誰もが驚くでしょうね^^
三宝院は皇室ゆかりの門跡寺院ですし、その復興には豊臣家が大きく貢献しました。
この二つの家紋が大きく施されている門は、まさに三宝院にぴったりですね。
それにしても、菊の御紋を両脇にさしおいて、五七の桐がセンターに来るのはいかがなものか?と思ったのですが、この門は旧伏見城の遺構であると伝わっています。
そもそも秀吉の持ち物だったのなら、「五七の桐」がセンターにきていてもおかしくありませんね^^
秀吉プロデュース!広大な庭、三宝院庭園
横に長い三宝院の表書院の横には、建物に沿って広がる大きな庭園があります。
この庭は豊臣秀吉が贅をこらして自ら設計した、池泉回遊式の三宝院庭園です。
つい最近まで、庭であっても撮影禁止だったのですが、いつの間にか撮影できるようになったようです。
(表書院の建物内は撮影禁止です。)
秀吉は、三宝院を復興させるにあたり、まず着手したのがこの庭園。
それだけ秀吉が想いを込めたものを今でも観ることができるんです。
どこを切り取っても美しく見えるよう設計されているこの庭園は、全国の有名日本庭園の根源になっているとも言われています。
二条城二の丸御殿や桂離宮、修学院離宮の庭園、そして京都だけでなく、岡山の後楽園や金沢の兼六園などもこの三宝院の庭を参考にしたといいます。
つまりこの庭がなかったら、これらの庭園は生まれなかったわけです。
すごい影響力のあった庭なんですね。
ぼーっと見ていると、どこか大自然の中にいるような感じもしますし、ここに自然が凝縮されているような感じもします。
池に浮かぶのは亀島と鶴島。
写真の左側が亀島で、亀の首が出ているのがわかります^^
背中には樹齢500年以上といわれる五葉松を乗せています。
まさに長寿のシンボルですね。
そして右側が鶴島。
こちらは島の中央には羽石という三角形の板石をたて、左側の石橋が鶴の首にあたるというのですが、よくわかりませんでした^^;
池の手前の枯山水には「賀茂の三石」といって、三つの石が置かれています。
これは、一番左の石が「加茂川の流れが速い様」を、中央の石が「川の淀んだ様」を、右の石が「川の水が割れて砕け散る様子」を表しています。
一番奥にある滝は人工の滝。
造りは人工なのですが、流れ込む水は、後ろの醍醐山から直接流れてきた神聖なもの。
よそには一度も流れていない、きれいな水なんです。
そして、土橋もいくつか見えますが、少しだけ高く造られています。
これは、船が通る事を考えて造られたのだとか。
この庭園は池泉回遊式の庭園ですので、船で色々な場所に移動したり、歩いて橋を渡ったりしながら庭を楽しめるように設計されています。
それはつまり、360度どこからでも見られる可能性があるということです。
そういうことも考えて、どこから切りとっても表になるように設計されているんですね。
秀吉はこの庭を造るにあたり、全国から名石を集めているのですが、中でもすごい経歴のある石が、自身で持ち込んだ藤戸石という石。
これは、「天下を治めるものが所有する石である」と、室町時代から歴代の権力者に引き継がれた「天下の名石」なのです。
元々は秀吉が建てた聚楽第の庭に置いていたのだそうですが、この庭を造るにあたって運び出され、「主人石」としてここに置いたのだそうです。
つまり、この石が庭の中心になります。
藤戸石の左右横に、それぞれ小さな石が置かれていますが、これで阿弥陀三尊を表しているのだそうです。
ということは、この池を挟んでこちら側が、人間が住んでいる欲や煩悩にまみれた世界「
実際、藤戸石の斜め後ろには、豊臣秀吉の死後、稲荷に変えて祀った「豊国稲荷大明神」が祀られている宮があります。
元々は豊国大明神だったのですが、豊臣家滅亡後、そのままだと徳川に破却されてしまいますので、稲荷社に変えることでなんとか存続させたようです。
それで現在は豊国稲荷大明神になっています。
秀吉は今でもそこから庭を眺めているのでしょう^^
このように、派手好きの秀吉の好みがよくあらわれた妥協のない庭になっていますが、残念ながら秀吉はこの庭が出来上がるのを見届けずに亡くなっています。
だからこそ、豊国稲荷大明神が祀られているのかもしれませんね。
時々公開される特別公開エリア
表書院を庭園沿いに一番奥まで行くと、阿弥陀様が祀られています。
通常はここから折り返しとなるのですが、実はその奥に、時々公開される非公開エリアがあります。
いつ公開されるのかは詳しくわかりませんが、私が訪れた時にはたまたま公開されていました!
公開されているものは、
- 純浄観(重文):豊臣秀吉が「醍醐の花見」で使用した建物を移築したもの。
- 奥辰殿(重文):「天下の三大名棚」と称される「醍醐棚」がある。
- 本堂:快慶作の弥勒菩薩が祀られる。
- 松月亭(重文):江戸時代末期建立の茶室。
です。
醍醐寺の拝観場所は3ヵ所あって、1ヶ所それぞれ600円。
2ヶ所共通券で1,000円、3ヶ所共通券で1,500円です。
それとは別で、このエリアは1,000円必要です。
全部回ろうとすると、高いな~と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は拝観して良かった♪と思いました^^
まず、お寺の方がそれぞれの場所で解説してくれます。
しかも、その場所の説明だけでなく、自分の持っている知識を出し惜しみすることなく、歴史のことや京都のことなども織り交ぜながらお話してくれるんですね。
それがなかなか勉強になりますし、話し方が上手で楽しいんです^^
なので、公開していたら、迷わず入ってみるのがオススメですね。
槍山に建てた花見小屋「純浄観」
まずは、秀吉が花見の為に、上醍醐への道筋にある槍山に建てたという純浄観。
以前は常時拝観出来たのですが、廊下の素材である杉やヒノキが大変薄く、そこを歩いて拝観させるものはいかがなものかと、文化庁からお叱りを受けて普段は非公開になってしまったそうです><
建て物の写真は、表書院と隣接して全体像がうまく撮れなかったのですが、本堂側から、裏側ではありますが少しだけ撮れました。
ご覧の通り、茅葺の建物です。
しかし、この建物は水茅と山茅の二種類の茅を交互に使った贅沢な茅なのだとか。
かかった費用は、飛騨にある世界遺産「白川郷」の5~8倍もするそうです。
しかも一棟だけでなく、十二棟も建てて、あちこちに移動しながら花見を楽しんだのだとか。
一日しか使わないのに、かなり贅沢ですね^^
純浄観は槍山から移したものなので、ここで桜を見ることはできませんが、三宝院庭園を少しだけ高い位置から見下ろすことができます。
表書院側には人がたくさんいますが、純浄観側は少なめなので、静かな雰囲気。
表書院の方からは見えにくかった土橋も目の前に見えます。
こういう庭を船に乗って景色を楽しんでみたいですね^^
快慶作 弥勒菩薩を祀る「本堂」
純浄観の奥には本堂があります。
弥勒菩薩を祀るので「弥勒堂」ともいわれ、奥に護摩壇があるので「護摩堂」とも呼ばれています。
祀られている弥勒菩薩は、鎌倉の天才仏師 快慶によるもの。
以前、奈良国立博物館で醍醐寺のすべて -密教のほとけと聖教-という展覧会がありましたが、そのポスターの表紙を飾っている仏様です。
こちらはその時に購入したポストカード。
端正なお顔立ちに、衣のふわっと感が出ていて、展覧会ではその美しさに感動しました^^
その時は間近で見られましたが、今回はお寺で祀られている状態ですので、堂内が暗くて遠めでのご対面でした。
じっくり拝観するなら、双眼鏡や単眼鏡があった方が良いですね。
三宝院の御朱印
醍醐寺にはいくつか御朱印がありますが、三宝院では本堂で祀られている弥勒菩薩の御朱印が頂けます。
「慈氏殿」と書かれていますが、「慈氏」が弥勒菩薩を表します。
納経所は、玄関から入ってすぐのところにありますが、大寺院にも関わらず、最初に御朱印を渡して帰りに番号引き替えというシステムを採用していません。
人が多ければ並ばなければいけませんので、入った時にすいていれば、すぐ書いてもらった方が良いかもしれません。
その他の御朱印は、下醍醐エリアの観音堂(旧大講堂)で頂けます。
それらはこちらに載せました。