今宮神社は京都市北区紫野にある船岡山の北側にある神社です。
毎年4月の第2日曜に行われるやすらい祭は、厄疫祓いと健康長寿を願う祭で、京の三奇祭の一つとされています。
今宮神社と言えば、参道で販売されているあぶり餅が有名。
こちらも無病息災を願う人々に親しまれてきた門前菓子で、その竹串は今宮神社に奉納され、神事で使われた斎串を使っているといわれます。
なので、このあぶり餅を食べることで、厄除けになるのだそうです。
このように、疫病退散の社として古くから崇敬されてきた神社ですが、最近は良縁開運、とりわけ玉の輿の社としても人気を集めています。
疫神を鎮める社として始まりました
船岡山から真っすぐ北へ、今宮門前通を進むと、突き当たりに今宮神社の南門があります。
鮮やかな朱色で立派な楼門です。
門をくぐると綺麗に手入れされた境内。
立派な絵馬が奉納された絵馬殿もあります。
御本殿の前には神楽殿のような拝殿。
そこには三十六歌仙の歌が掲げられていました。
このような立派な建築物を揃えることができるのは、よほど崇敬されている神社、とみることができますね^^
それもそのはず、かつては朝廷から勅使を盛んに差し遣していたほどの神社なんです。
かつて日本では、疫病や災厄がおこると、疫病を鎮めるために疫神を祀るのが習わしとされていました。
今宮神社は平安京ができる前からこの紫野の地にあった疫神を鎮める社で、「紫野社」と呼ばれていたそうです。
そこで祀られていたのは、
疫病祓いのためのお祭である「祇園祭」を行う八坂神社と同じ御祭神ですね。
それから平安京が出来て、都は人の出入りも激しくなり栄えたのですが、疫病や災厄はしばしば起こっていました。
西からやってくる疫病は都に来る頃には勢いを増し、4月頃には洛中洛外で病人の行き倒れが多くなり、6月頃には洛中で疫病が蔓延する、という噂が広がり、その時期になると家々は門戸を閉じ、通行人も見られなかったのだそうです。
そこで行ったのが、
都の各地で疫神を祀って疫病を鎮るための神事です。
今の祇園祭に繋がる、八坂神社の
そして、紫野の地で行われた
正暦五年(994年)、朝廷は紫野の地に古くから祀られる疫神を二基の神輿で御祭神を船岡山にお連れし、安置して悪霊退散を祈りました。
これが紫野御霊会の始まりなのですが、現在の「今宮祭」の起源になっています。
京の人々は鎮疫を願って神輿の行列に参列し、綾傘に飾り物を施し、囃子に合わせて踊っていたそうです。
これは「やすらい祭」へと繋がるのですが、これは、賑やかにすることで意気消沈した人々の心を引き立たせるのと同時に、疫神を浮かれさせて厄疫を鎮めよう、というものです。
その後の長保三年(1001年)、再び疫病が流行してしまいます。
朝廷ではご霊夢(お告げ)があり、船岡山から現在の地に遷し、新たに社殿を建てて新たに三柱の神を祀る事になりました。
三柱の神様は、
- 中御座:
大己貴命 - 東御座:
事代主命 - 西御座:
奇稲田姫命
この三柱の神様を本社に祀り、今まであった疫社を合わせて、「新しい宮」という意味で今宮神社と名付けられます。
いずれも出雲系の神様ですね^^
それはかつて、このあたりは出雲出身の人が住んでいたとされているからです。
創建に大きく関わったと考えられますね。
そして紫野御霊会は疫病が流行るたびに営まれたそうで、御霊会が盛んだった頃は、都にいる人々の身分の上下に関わらず、たくさん集まって大変賑わったそうです。
かなり頼りにされていた神社なんですね。
こちらが本社。
回廊の奥に見えるのが本社、左側にあるのが疫社です。
本社は、健康長寿・良縁開運、疫社は健康長寿・厄除の御利益があるそうです。
疫社近くには、やすらい踊りの絵が描かれた絵馬がかけられていました。
社務所にも、やすらい祭で現れる鬼を表した「やすらい
かつて「やすらい祭」では、病魔を人形にうつして流したのだとか。
現在は祈願後に焼納されますが、厄除けや健康祈願の方はぜひ受けておきたいですね^^
そして、お参りが済んだ後は、東門から出た参道にある厄除けの門前菓子、あぶり餅も頂いておきましょう。
西陣の氏神としての今宮神社
疫社の西側には、このような末社があります。
ここは織姫社という末社です。
社名の通りここは織物の神様を祀る社です。
社殿の横に見慣れないオブジェが建っていますが、これは織物で使う道具を表しているようですね^^
御祭神は
ちなみに今宮神社は、西陣織で有名な西陣地域の氏神でもあります。
西陣織を守る神様なんですね。
「西陣」というのは、そのような地名があるわけではありませんが、名前の由来は、室町時代に起こった応仁の乱の際、西軍総大将がこの地に陣を構えたことに由来します。
元々、織物職人が集まっていた地域なので、合わせてこのあたりのことを「西陣」と呼んでいます。
なので、応仁の乱が終結した11月11日は「西陣の日」と定め、織物業界の関係者が産業の発展を願って式典を行うそうです。
そのような織物の神様ですが、実はこの神様、七夕伝説のおりひめに機織りをお教えになったともいわれています。
そのような伝承があるためか、遠距離恋愛の神様として参拝する人もいるそうです^^
玉の輿神社としての今宮神社
今宮神社は、最近は玉の輿を狙う方からも人気の神社になっています^^
良縁祈願ができる神社はたくさんありますが、玉の輿に特化した神社というのは他にはありませんよね(≧▽≦)
なぜ玉の輿神社になったのか?
それは、この人が関係しています。
境内にあるこのレリーフ。
この方は、徳川幕府3代将軍 徳川家光の側室で、5代将軍 徳川綱吉の生母でもある桂昌院です。
桂昌院は今宮神社を篤く崇敬していました。
なぜなら桂昌院は、西陣出身だったんですね。
八百屋の娘で名前は「お玉」。
その身分から将軍家の側室になり、お世継ぎを残したのですからかなりの大出世をした人物なのです。
江戸時代の今宮神社は荒れていたのですが、それを嘆いた桂昌院は、奉行に命じて社殿を造営させたり、神領を寄進したりして神社を復興させました。
このように、「お玉」が「復興」させたということから「玉の輿神社」と呼ばれるようになったようです。
(諸説あります)
授与所には玉の輿守も販売されています^^
ちなみに御本殿に祀られている奇稲田姫命は、疫社に祀られる素戔嗚尊の妃となった神様で、夫婦和合の神様です。
また、織姫社に祀られている栲幡千千姫命には、安産や子宝等のご神徳ももつとされています。
良縁祈願で来られる方は、あわせて参拝しておきたいところですね^^
今宮の奇石「阿呆賢」さん
織姫社の向かい側に、神占舎があります。
ここに置かれているのが、平たくて円い石。
この石は、
「今宮の奇石」ともいわれています。
占うことのできる石なのですが、使い方は2パターンあるようです。
1つはヒーリング。
病弱なものがこの石に心を込めて病気平癒を祈り、軽く手の平で石を撫でます。
そして自分の体の悪いところを撫でると、回復を早めてくれるのだそうです。
そしてもう1つは
重軽石は、自分の願いが叶うのかどうかを石の重さで占うことができる石なのですが、今宮神社に限らず、時々神社やお寺で見かけることがあります。
伏見稲荷の重軽石も有名ですね^^
願をかけてみて
- 持ち上がらない、または思ったより重い ⇒ 願いは叶わない
- 持ち上がる、もしくは思ったより軽い ⇒ 願いは叶う
というようなものです。
阿呆賢さんの場合は、ちょっと手順が複雑です。
「叩くと怒る石」ともいわれていて、重くなるのだそうですが、占いの手順としては叩かなくてはいけないのです^^;
手順は、
- 手の平で三度軽く石を叩いて持ち上げる
- 心に願いを念じながら優しく撫でる
- もう一度持ち上げてみる
これで軽くなれば願いが叶うのだとか。
最初にわざと怒らせて重くして、後でなだめて軽くする、という技ですね^^
私もそのようにしてやってみたのですが、最初に叩いたのが軽すぎたせいなのか、撫でるときの優しさが足りなかったせいなのかわかりませんが、一度目も二度目も同じ重さでした^^;
今は願いは叶わないのかもしれません><
今宮神社の御朱印
今宮神社の御朱印です。
この御朱印のほか、見開き2面を使った御朱印(500円)もありました。
今宮神社に行ったら、神社の東側の参道沿いにある2軒のあぶり餅屋さん、「一和」と「かざりや」もオススメです。
どちらが良いかは人それぞれ。
私は現在「かざりや」さんだけ行っていますが、次は一和さんに行こうと思います^^
また、今宮神社の駐車場は、東側にある「Dパーキング今宮神社」という民間の有料駐車場を利用します。
子の駐車場は、「一和」か「かざりや」を利用すると、60分無料のチケットが貰えます。
今宮神社の境内は見渡せるほどの広さなので、参拝してあぶり餅を頂けば、無料時間内で利用できると思いますよ^^