伊勢の神宮に次ぐ全国神社の筆頭、賀茂社。
この付近一帯に繁栄していた賀茂氏が創祀した京都最古の神社と言われています。
賀茂社は2ヶ所に分かれていて、
- 上賀茂神社・・・正式名:
賀茂別雷神社 - 下鴨神社・・・正式名:
賀茂御祖神社
となっています。
下鴨神社についてはこちらに書きました。
⇒京都の総鎮守の社、下鴨神社
上賀茂神社では、賀茂別雷神を祀っています。
正式名称も実は、"賀茂別雷神社"というんですね^^
強い力で大自然を司るので、天災・地災・人災など諸々の厄を祓い退け給う神として信仰されています。
境内散策
私が参拝したのは、日本三勅祭で京都三大祭でもある賀茂祭(葵祭)の当日。
たくさんの人で賑わっていました^^
一の鳥居から二の鳥居までの参道の両サイドには有料観覧席(初穂料:1,000円)が設けられ、杭で仕切られています。
上賀茂神社の境内は広いですが、参道横は全て有料席になるので、無料で見ようと思ったら結構遠いかもしれません^^;
初穂料をお支払いすれば、敷地内はどの席に座っても自由です。
二の鳥居付近までいくと神馬舎があって、神馬が飼われています。
餌をあげることもできます^^
神馬の前には"馬みくじ"と"必勝絵馬"が売られています。
上賀茂神社では、5月5日に
二の鳥居をくぐると、細殿の前に1対の「立砂」、そして橋殿(舞殿)があります。
下は入ってすぐのところにある立砂。
上賀茂と言ったらこれ、というくらい有名ですね^^
立砂はきれいな円錐形に盛りつけられた砂ですが、実はこれは"神の依り代"、つまり神様をお迎えする場所とされているんです^^
上賀茂神社で祀られている神様、賀茂別雷神は、上賀茂神社の北側4キロあたりにある
上賀茂神社の周りには大きな木々が立っているので、なかなか神山は拝見できませんが、社務所の前あたりはなんとか見えるポイントになっています。
木で隠れて上の方しか見えませんが、本物の神山も円錐形でキレイな形をしているんです。
そして山の中には古い祭祀遺跡が残っているそうですが、今は立ち入り禁止。
現在は境内の立砂をその代わりに見立てているというわけです。
賀茂社最大の行事である葵祭りの3日前、5月12日の夜には
一般的に、鬼門や裏鬼門に清めのお砂をまく信仰がありますが、これはこの立砂信仰が起源になっています。
次は川の上に殿を立てためずらしい殿、
橋殿は、夏越大祓というお祭りの時に、ならの小川に人形を流してお祓いする際などに使われています。
橋殿の下に流れているのは、"ならの小川"です。
写真は、御手洗川と御物忌川が合流して、ならの小川になる合流ポイントです。
ここから本殿の楼門を眺める景色はなかなかキレイですね^^
そしてならの小川沿いに手水舎があります。
水が出ている岩に注連縄がされています。
この岩から出る水は、
飲料用水質基準にも適合しています。
そしてその横には"願い筒"がたくさん吊るされた桂の木がありました。
ちりめんの筒がたくさんあって、キレイですね^^
願い筒が吊るされている木のあるところから橋を渡ると、本殿のある楼門にたどり着きます。
楼門からは本殿を参拝するための中門があって、ここの前で参拝します。
上賀茂神社の本殿で祀られているのは賀茂別雷神の一柱ですが、御神殿は1つではありません。
中門から向こうには"本殿"と"権殿"の、2つの同型の殿があるんです。
本殿は神様がおられるところですが、権殿は本殿が非常に際にこちら待避していただくための仮の殿です。
そして本殿も権殿も国宝に指定されています。
このように、権殿という仮の殿をおいているのは、全国の神社の中でも上賀茂神社だけなんだそうです。
"非常の際"というと、災害時を思い浮かべると思いますが、それだけでなく、年月が経ったら必ずやらなければならない社殿の修理の時も非常時になります。
社殿等を永遠に保つ方法として"式年遷宮"というやり方があります。
これは、一定年月で正殿を造り替えて神様を新しい正殿に移っていただくというもので、例えば伊勢神宮の場合はそれが20年毎と決まっています。
新しい本殿は現在の本殿の隣に造り、完成後、神様にお移りしていただきます。
次から20年はそこを本殿とし、新しい本殿に移られた後は古い本殿は解体されます。
なので本殿は常に1つなんです。
賀茂社の式年遷宮は21年毎になっていますが、上賀茂神社の場合は権殿がありますので、仮の住まいですがいつでも移っていただけるようになっていますので、伊勢神宮とはやり方が異なっています。
上賀茂神社は本殿も権殿も国宝に指定されているので、伊勢神宮のように建て替えることはできません。
じゃあどうするのか?というと、屋根をそっくり葺き替えるのだそうです。
神様が権殿に移っていただいている間に葺き替えをし、完了したらまた本殿にお戻りいただきます。
権殿はあくまでも"仮"なんですね^^
楼門に戻り、本殿の裏手に廻るように奥に進むと、摂社の
新宮神社は普段は非公開なのですが、私が行った時は特別公開期間だったようで、式年遷宮の一環として修復工事が始まる夏頃までの限定期間開門なんだそうです。
とてもラッキーでした^^
新宮神社は創建年代が古く、平安以前から鎮座していたようです。
御祭神は水神の
雨を操る神様ですので、雨を願う時や、逆に晴れを願う時に祈願しに行くわけですが、貴船神社は川の上流にありますので川の氾濫で行けない場合があります。
そのような時の為に、分霊を祀ったのが新宮神社の始まりと言われています。
貴船の新宮(しんみや)なので"新宮神社"というわけです。
御祭神名に使われている「おかみ」という字は難しい字で変換も上手く出来ないのですが、これは"龍"の字の古語と言われていますので、この神様は龍神様です。
拝殿には立派な龍の絵が飾られていました。
開門期間中は毎月、末広がりを表す「8」のつく日には「開運招福」の巫女舞のお神楽が初穂料1,000円で受けられるそうです。
上賀茂神社本殿の楼門の方に戻り、その前にある御物忌川を渡ると、恋愛・子授け・縁結びの神様で賀茂別雷神の御母神にあたる、
片岡社は"片山御子神社"とも言われていて、上賀茂神社第一の摂社です。
上賀茂神社の祭祀でもまず最初にこの片岡社で行うことになっています。
片岡社の前には縁結びの絵馬が多数飾られています^^
片岡社は昔から縁結びの神様として有名だったそうで、源氏物語の作者の紫式部も何度もお参りに来ていたそうですよ^^
なのでならの小川のほとりには、紫式部が詠んだ和歌の歌碑も置かれています。
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」
と書かれていますが、これは新古今和歌集の第三巻、夏歌に掲載されているそうで、その意味は、
「ホトトギス(将来の結婚相手の声)を待ちわびる間、片岡社の木の下に立ち、朝露に濡れていましょう。」
という意味なんだそうです。(片岡社の前に書かれていました^^)
ならの小川沿いに東に進み、賀茂曲水の宴」が行われる
ここから先は清楚な上賀茂神社とは一風変わって、伏見稲荷のお山を登った時のような民間信仰の風合いがみられます。
実はここは、上賀茂神社の摂社ではなく、別の神社なんですね^^;
ここはお稲荷さんだけでなく、八島龍神、金毘羅さん、不動明王と、めずらしい組合せで祀っているところなのですが、霊感が強い人はあまり行かないそうです^^;
元々その地は、片山御子神社の神宮寺があって、池には八島龍神が祀られていたようですが、神宮寺の移転のために池がつぶされ、その跡地にお社にしたんだとか。
明治時代にあった神仏分離令の影響ですかね?
そのような場所ですが、私は大丈夫でした^^;
最初に龍神様に感謝のお参りをしたからかもしれません♪
二葉姫稲荷神社に行かれるなら、御自身の判断で行って下さい^^;
御朱印
上賀茂神社の御朱印です。
本殿を参拝する楼門を入ったすぐ横に、御朱印専門の場所があったので、そこで頂きました。
そして上賀茂神社のオリジナル御朱印帳と、神仏霊場会の御朱印帳、そして全国一の宮巡拝会の御朱印帳も売られていました。
全国一の宮巡拝会の御朱印帳はA4くらいの大きめのサイズ。
中はそれぞれのページの端っこに全国の神社名が小さく書かれているだけのシンプルなタイプです。
持ち歩くには不便そうですが、どの一の宮を参拝したのかはわかりやすいですね。
上賀茂神社は、毎月第4日曜日には「手づくり市」が開催されているそうです^^
境内外には賀茂の社家の邸宅もあって、そのうちの一つ、西村家では庭園も拝観できますよ♪