松原通を鴨川から六道さんでおなじみ、六道珍皇寺に向かう途中にある「みなとや幽霊子育飴本舗」。
450年から500年続く、京都で2番目に古いお店で、幽霊子育飴という飴を売っています。
名前だけでも興味津津ですね^^
この辺りは、この世とあの世の境である「六道の辻」と呼ばれていて、京都の人は、お盆のはじめに六道珍皇寺で「六道まいり」を行いおます。
その帰りにこの飴を買って帰る人が多いんです。
この飴にはもちろん由来があるのですが、なんと、この飴の由来をもとに、水木しげるさんがゲゲゲの鬼太郎を描くようになったのだそうです!
幽霊子育飴の由来
慶長四年(1599年)、江村氏の妻が子供を身ごもったままなくなり、鳥辺野の墓地(清水寺の方)に亡骸が葬られました。
その後、六道の辻の飴屋に夜な夜な飴を買いに来る女性が、しかも毎晩訪れるようになったのです。
不審に思った店主が、女の後を恐る恐るつけてみると、墓地の方で姿を消しました。
後日、お寺の住職と墓地に行ってみると、お墓の下、土中から幼児の鳴き声が聞こえるのです!
急いで掘り出したところ、飴をのですが、掘り出した後はその女性が飴を買いに来なくなりました。
つまり、土中に埋まっていた子は、出産間近で亡くなった江村氏の子だったのです。
この子は8歳まで飴屋で預かり、後に僧侶になったそうです。
どこの僧侶になったのか?それは、六道珍皇寺とも高台寺とも、仁和寺近くにある立本寺とも色々伝承が分かれているようです。
この伝承から、いつしか「幽霊子育飴」と呼ばれるようになって、450年以上京都の人々に親しまれているのです。
遠くから妊娠中の方や、授乳中の方が買い求めに来られることもあるそうですよ^^
幽霊子育飴を食べてみた
幽霊子育飴、あけてみるとこんな感じです^^
材料は、麦芽糖とザラメ糖のみで至ってシンプル。
味は黄金糖のようですが、もう少し素朴で、懐かしい感じがして親しみやすいです。
後味はさっぱりしていて、普段食べる飴としてあったらよいなあと思いました^^
1袋500円のものと300円のものがあって、300円のものは割と早い時間になくなります。
8月7日~10日の六道まいりの時期は夜も営業してるとのことでした。
定休日や営業時間外は、お店から六道珍皇寺を超えて、清水道交差点の角にある『テクノハウス MAKINO』でも販売しています。