創建としては古いお寺ですが、幕末に新選組が駐留していたことで全国的に有名になっています。
新選組となる以前、「壬生浪士」と呼ばれていたのは、浪人たちを壬生寺に集めたからです。
ここには新選組にまつわる逸話が残っていたり、新選組隊士の墓もあります。
新選組のグッズも販売されていますし、壬生寺の周りにはかつて新選組の駐屯所だった旧前川邸や八木邸があるので、新選組ファンが多く訪れるお寺です。
また、新鮮組以外にも有名なものがあって、京都三大狂言のひとつで、仏の教えを無言劇に仕組んだ「壬生狂言」(重要無形民俗文化財)が伝わるお寺でもあります。
壬生寺に残る新選組隊士の逸話
幕末の動乱期、尊王攘夷派の浪士らによるテロから治安を守るため、強力な藩であった会津藩が、幕府の治安機関である京都守護職に任命されました。
新選組は「会津藩預かり」として、会津藩の配下で動いていた組織です。
「会津藩預かり」というように、正規の幕府組織とは言えない準組織。
腕に覚えのある浪人を集めて作った組織なので、色々と強引なやり方をしていたのは有名ですね^^;
ここ、壬生寺の境内でも無茶をやっていたようです。
新選組は、壬生寺本堂前で大砲の訓練を行っていた
壬生寺の山門から本堂に向かってまっすぐ参道が伸びていて、本堂前は結構広いスペースになっています。
壬生寺境内は新撰組隊士の兵法訓練場に使われていました。
武術や馬術、大砲の訓練まで行っていたんです。
本堂前には線香立てがあるのですが、そこに砂山を築いて、そこに向けて撃っていたといいます。
訓練をするために距離がとれる場所としてちょうど良かったということでここで訓練をしていたそうですが、その際に、本堂の瓦などが壊れたりしています。
お寺に迷惑をかけてもよし、としていたわけではないですが、とにかく世の中の情勢を鑑みて、訓練が必要だということで行っていたのです。
それにしても、かなり罰当たりな行為ですね^^
馬での乗り入れ禁止の壬生寺境内に、馬で乗り入れしていた
かつて、壬生寺の参道に百度石がありました。
(現在は壬生塚に移動されています。)
形はどこにでもある百度石ですが、側面に「車通るべからず」と書かれています。
つまり、車馬で境内に入ってはいけないということです。
にも関わらず、新選組は境内に馬を乗りいれていたのだとか。
このようにガラの悪い新選組の影響で、寺の参拝者は減っていたようです^^;
壬生寺の境内で子供たちを集めて遊んでいた
ガラの悪い一面ばかりが取り上げられがちな新選組ですが、悪い面ばかりではありません。
新撰組一番隊組長で、撃剣師範でもあった沖田総司は、壬生寺の境内で子供達を集めて遊んでいたのだそうです。
昔はどんな遊びをしていたのかはわかりませんが、本堂前は特に広く、たくさんの子供達がいても十分に遊べます。
沖田総司は優しい人柄で描かれることが多いですが、ここにくると笑いながら子供と遊んでいるシーンを思い描くことができますね♪
壬生寺名物、壬生狂言を鑑賞していた
局長の近藤勇をはじめ、多くの隊士が壬生寺の伝統芸能だった壬生狂言を鑑賞している逸話も残っています。
下は、重要文化財の大念佛堂。
この建物の二階で壬生狂言が演じられるのですが、普通の能舞台には見られない「飛び込み」や「獣台」など、壬生狂言を演じるためだけの特殊な構造をしているそうです。
残念ながら関係者以外立ち入り禁止。
近藤勇らはここで狂言を鑑賞していたんでしょうね^^
放生池の魚やすっぽんで料理した
最後にもう1つ、新選組が力士を呼んで相撲興行を行ったという逸話もあります。
その際、寺の放生池で泳いでいる魚やすっぽんで料理して力士に振る舞ったのだとか。
放生池というのは、生き物を殺生せずに解放するための池。
躊躇することなくそこから食材を用意するとは、さすが新選組ですね^^
下の写真が壬生寺にある池です。
ここには鯉が泳いでいて、隅っこには亀もいました。
新撰組隊士の墓所がある壬生塚
山門から本堂にのびる参道沿いに、阿弥陀堂があります。
阿弥陀堂に入って裏に抜けると、壬生塚があるのですが、壬生塚で一番目立つのが近藤勇の胸像です。
横にある絵馬は、新選組の着物の形をしていますね^^
胸像の横に隊士達のお墓があります。
祀られている隊士は十一名。
- 近藤勇(局長)
- 芹沢鴨(局長)
- 平山五郎(副長助勤)
- 河合耆三郎(勘定方)
- 阿比原栄三郎(副長助勤)
- 田中伊織(詳細不明)
- 野口健司(副長助勤)
- 奥沢栄助(伍長)
- 安藤早太郎(副長助勤)
- 新田革左衛門(平隊士)
- 葛山武八郎(伍長)
近藤勇は遺髪塔、河合耆三郎は個人のお墓、芹沢鴨と平山五郎は合祀されています。
残り七名の隊士は七名で合祀されています。
ここで祀られている隊士は、死因が分からない者や任務中の討死の者もいますが、ほとんどが内部抗争による粛清が多いですね^^;
このように、良くも悪くも新選組と縁があった壬生寺ですが、今は新選組が参拝客を呼んでいる部分もあるので、新選組さまさまですね^^
新選組の名を全国に轟かせた池田屋事件のあった7月16日には、隊士の霊を慰める「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われます。
その際、京都新選組同好会が新選組の格好をして、壬生寺から八坂神社までパレードを行うそうです。
壬生寺の御朱印
壬生寺には複数の御朱印があります。
- 本尊 延命地蔵尊
- 洛陽三十三観音霊場 第二十八番札所
- 京都十二薬師霊場 第四番札所 歯薬師
- 壬生狂言(壬生狂言公開時限定)
壬生狂言のご朱印は、壬生狂言が公開される2月2、3日、4月29日~5月5日、10月体育の日のみ頂けます。
御朱印帳に書いてもらえるものではなく、一枚書きのものが用意されるようです。
現在私は、それ以外のものを頂いています。
まずは本堂のご本尊、延命地蔵の御朱印です。
境内にある壬生寺の塔頭、壬生寺中院に祀られている、洛陽三十三観音の御朱印です。
歯の健康に御利益があるという歯薬師の御朱印です。
壬生寺の最大の行事は2月3日の節分会です。
「厄除けほうらく」や、厄年の方のみ本堂に上がれる「昇殿祈祷」、午後1時から8時まで毎時0分ごとに無料で公開される「壬生狂言」が行われます。
「厄除けほうらく」というのは、素焼きの土鍋に願い事を書いて奉納し、それを一枚ずつ割ってもらうという行事で、割ってもらうことで願い事が叶うのだそうです。
壬生狂言30番組のうち、毎日の序曲になっている「炮烙割」のクライマックスにもその様子が登場します。
奉納は1枚500円。
壬生寺独自の行事です。
この日は交通規制されるほど大勢の人で賑わいます。
2月2日~3日のみ壬生狂言も無料で公開されますが、かなり混雑します。
早めに行くことをオススメします。