清水寺へ向かう八坂通り沿いにある法観寺五重塔。
別名「八坂の塔」と呼ばれています。
八坂の塔は、清水寺へ向かう参道途中にあって、風情ある街並みのシンボルになっています。
古くから京都を代表する名所の一つです。
八坂の塔の魅力は町並みとのマッチ度
京都の五重塔の中では、東寺の方が個人的には重みがあるように思えるのですが、こちらはなんといっても街並みとのマッチ度!
通りがかると必ず目を奪われますね^^
毎年3月中頃に行われる東山花灯路のライトアップもきれいです。
八坂の塔は基本は締まっているが、ときどき内部拝観できる
八坂の塔は塀で囲まれていて、入れません。
普段は外から眺めるだけです。
でも、時々塔内を拝観できる日もあるのです。
ただし、拝観チャンスは不定期で、開けるなら基本的に土日祝日になるとのこと(受付の人に聞きました)。
私は何度もこの前を通っているのですが、まず閉まっているのが当たり前。
土日祝日といえど、閉まっていることが多いように思えます。
今回、たまたま通りがかると、なんと、扉が開いていて、「公開中」の看板が・・・
(思わず二度見^^)
予定ではなかったのですが、迷わず拝観しました。
(中学生以下は拝観不可となっています。)
八坂の塔の創建は飛鳥時代にさかのぼる
ここで、八坂の塔はどういう理由でここに建っているのか、説明します。
八坂の塔は法観寺というお寺にある塔です。
法観寺は臨済宗建仁寺派の寺院。
つまり、禅寺なんですね^^
寺の創建は意外にも古く、飛鳥時代の崇峻天皇二年(589)に聖徳太子が創建したと伝わっています。
京都市内で奈良時代以前からあったとわかっている、数少ないお寺の一つです。
仏教の布教に反対を示した物部守屋を征伐した聖徳太子は、四天王寺建立のための用材を探しに来ていました。
その時、如意輪観音の夢告があり、五重塔を建立します。
仏舎利を三粒奉納して、法観寺と名付けました。
これが法観寺の興りです。
往時には「八坂寺」と呼ばれて親しまれ、延喜式七ヶ寺に数えられるほど有数のお寺だったそうです。
その七ヶ寺には東寺や西寺などの官寺が含まれていて、八坂寺はそれに準じる寺として扱われていたんですね。
五重塔はたびたび火災に見舞われていて、創建当初の五重塔がいつまであったのかはわかっていません。
現在の塔は永享十二年(1440)に足利義教によって再建されたものとなっています。
八坂の塔は、二階まで内部拝観できる
法観寺の外は観光客で賑わっていますが、拝観料を払って中に入ると、意外にも静かで落ち着いた雰囲気。
そして早速五重塔の入り口に到着です。
まずは初層ですが、こちらにはご本尊の五智如来が祀られています。
このように心柱を囲んで東西南北を司る如来たちが座っています。
壁には極彩色の壁画もまだ残っています。
五智如来と須弥壇は、創建当初からのものではなく、あとで追加されたもの。
当初は心柱を釈迦として奉られていたようです。
そもそも五智如来は密教寺院で見られるものですが、密教は平安時代に空海が日本にもたらしたので、後の時代に付け足されたのは間違いないでしょうね。
入口入ってすぐの足元にも注目。
中心礎石を覗き見ることができます。
五重塔は今まで災害にあって建て替えを何度かしていますが、この中心礎石は飛鳥時代の創建当時のものを使い続けていて、位置も動いていません。
心礎を固定するために深さ24センチの穴を穿ち、心柱には奥行きのある穴をあけ、その中央には舎利を修めるための小さな円孔が穿たれています。
この三段形式は、飛鳥時代によく用いられた形式なのだそうです。
そして心柱がきちんと礎石の上に据えられていました。
心柱は信仰の面でも大切な存在ですが、塔のバランスを取るうえでも大切な素材でもあります。
私は今まで色々な塔を拝観しましたが、その中心柱の根元まで見られる塔はなかなかありません^^
いよいよ八坂の塔 二階へ
初層の奥、須弥壇に挟まれた狭い通路を通って階段に向かいます。
といっても、「階段」というよりも「はしご」です!
上の写真を見たらわかりますが、傾斜が急すぎて、手すり必須ですね。
八坂の塔は「中学生以下は拝観不可」となっていましたが、理由はこれでしょうね^^;
途中で折り返し。
心柱が一階から貫いている様子が見えます。
二階に到着。
登ってきた階段を覗くと、降りるのが怖いです^^;
二階は祀られているものは特になく、中心の心柱が三階に伸びていました。
三階より上へ登る階段らしきものもあったのですが、階段の段差部分の板が取り外されていて、登れないようになっていました。
二階の窓からの景色。
東西南北に窓があるのですが、西向きの方が遠くまでよく見えます。
下から見るときは風情ある街並みの中に塔があるのですが、塔から見ると都会的な街並みですね^^
遠くは京都タワーも見えます。
意外にもこんなところに!?木曽義仲の墓
法観寺の奥には、平安時代後期の武将、木曽義仲のお墓があります。
信濃源氏だった義仲は、源平合戦の時に、平家を京から追い出すほどの勢いがあった武将です。
お墓の場所は、この八坂稲荷尊天のところ。
鳥居をくぐってすぐ横にあります。
分かりにくいですが、手前の石碑に「朝日将軍 木曽義仲塚」と書かれています。
木曽義仲の墓といえば、滋賀県大津市の義仲寺が有名です。
ちょうど義仲が討ち死にしたのも現在の大津市にある粟津の地。
義仲寺に近いので、そちらに葬られるのは自然ですよね。
ですが、こちらにもあるのは知りませんでした。
どういう経緯で墓が残されているのかはわかりません。
法観寺の御朱印
法観寺の御朱印です。
「五智如来」と書かれています。
八坂の塔内の本尊ですね。
あと、京都十三佛霊場の第十一番札所の御朱印もいただこうと思ったのですが、こちらは現在扱っていないようです。
以前法観寺は、京都十三佛霊場の札所の一つだったのですが、山科にある小野小町ゆかりの寺・随心院に引き継いだそうです。
八坂の塔は、いきなり訪れても閉まっている確率が高いです。
拝観したい方は、事前に電話して開いているかどうか確認しておくことをおススメします。