熊野権現と言えば和歌山の熊野地方の霊験あらたかな神様ですが、沖縄には熊野権現を祀る社が多いと聞きます。
以前、和歌山県の補陀洛山寺の記事で補陀落渡海の話をしているのですが、その補陀落渡海で沖縄に流れ着いた僧がいたので、沖縄では熊野権現を祀っている社が多いのだとか。
その中で格式高い社の一つが、沖縄県宜野湾市、米軍 普天間基地の近くにある
琉球王朝から待遇を受けていいた八つの社「琉球八社」の一つに数えられていました。
祀られているのは、
【熊野権現】
伊弉冉尊 速玉男命 事解男命 天照大御神 家都御子神
【琉球古神道神】
- 日の神
- 竜宮神(ニライカナイ神)
- 普天間女神(グジー神)
- 天神・地神・海神
です。
普天満宮は元々、琉球古神道神を祀ったことに始まったのですが、尚金福王から尚泰久王の時代(1450年~1460年頃)に、日本を代表する神である熊野権現を合祀したようです。
祀られている全ての神様を合わせて普天満権現と呼ばれています。
琉球古神道は多神教で、宗教観もどことなく日本の神道と似ているので、受け入れやすかったんでしょうね^^
普天満宮は昔、旧暦9月になると重箱詰のごちそうをもって普天満宮を参詣する「フティマ・メー」という習慣があったそうです。
それは王家も例外ではなく、王様自ら参詣していました。
(王様が参詣することを「フティマ・ウサンチー」といいます。)
首里から普天間まではやや距離があるのですが、国王が参詣するための参詣道が首里からのびていたそうです。
それほど由緒ある神社ということなので、参詣してみました。
赤瓦が特徴的な沖縄風社殿
普天満宮は創建当初からこの地にあります。
第二次大戦中にご神体を避難させたり、米軍基地に境内をとられたりなどもありましたが、無事に遷座し、元の場所に鎮まっております。
現在の社殿は、平成17年に再建されたもの。
比較的新しいです。
鳥居をくぐって階段を上ると、すぐに普天満宮の拝殿があります。
境内はそんなに広くありません。
が、やはり沖縄、風土に根付いた特徴的な拝殿です。
赤瓦の屋根の唐玻風造り。
赤瓦の屋根は沖縄では珍しくありませんが、神社建築としては本土では見られない造りですね^^
そして石畳も沖縄を感じます。
琉球石灰岩でしょうか?
階段部分の石にはポツポツと穴が見られます。
手水舎も赤瓦。
拝殿の入り口はガラスの扉になっています。
中に入るとエアコンがガンガン効いていて、涼しい中お参りをすることができました^^
女神や仙人が住まう、普天満宮洞穴
普天満宮に行ったら、見逃せないのが普天満宮洞穴です。
といっても、普通に探していたら、どこにあるのか見当たりません。
実は洞穴があるのは、御本殿の下。
普天満宮が管理していて、普段は鍵がかけられています。
見学するには社務所での受付が必要。
受付を済ますと、巫女さんが洞穴に連れて行ってくれます。
こちらが洞穴の中心地。
見てのとおり、ただの洞穴ではなく、霊場になっています。
神秘的ですね!
沖縄ではこのような祭祀を行う場を
沖縄の古くからの信仰における場のことなので、「ノロ」という神官が御嶽で祈りをささげていた聖地。
普天満宮は有名な御嶽の一つとなっています。
神社の祭祀とはちょっと違いますが、日本の神社と同じ扱いにするのなら、ここが「本殿」のようなものですね^^
写真に戻ると、鍾乳石には注連縄が施され、信仰の対象になっていることがわかります。
沖縄にはこのような御嶽がいくつか見られますから、
洞穴は全長280mあるそうで、奥の方は暗くなっていますが、注連縄が施されている鍾乳石が点在していました。
実はこの洞穴には、神が登場する伝説が二つあります。
一つは、普天満宮のルーツとなっている普天満宮女神。
神社で頂いた略記から転記します。
昔、首里の桃原というところに、世にも美しいひとりの乙女が住んでいた。
優しく気品に満ちたその容姿が人々の評判となって首里はもとより、島の津々浦々まで噂となっていた。
しかし不思議なことに誰ひとりその乙女を見た人はいなかった。
いつも家にこもりきり機織りにせいをだし、外出もせず他人には決してその美しい顔を見せなかった。
神秘的な噂に憧れて、村の若者達は乙女に熱い想いを寄せていた。
ある夕方、乙女は少し疲れてまどろむうち、夢とも現ともなく荒波にもまれた父と兄が、目の前で溺れそうになっている情景がありありと見えた。
数日前、父と兄や船子たちを乗せた船は、大勢の人に見送られ出帆していたのだった。
乙女は驚いて父と兄を必死に助けようとしたが、片手で兄を抱き、父の方へ手を伸ばした瞬間、部屋に入ってきた母にわが名を呼ばれてハッと我に返った乙女は、父を掴んでいた手を思わず放してしまった。
幾日か過ぎて、遭難の悲報とともに兄は奇跡的に生還したが、父はとうとう還ってこなかった。
乙女の妹は既に嫁いでいたが、ある日、夫が
「お前の姉様は大そう美人だと噂が高いが、誰にも顔を見せないそうだね。私は義理の弟だから他人ではない。一目でいいからぜひ会わせてくれないか。」
と頼みました。
しばらく考えた妹は
「姉はきっと会うのを断るでしょう。でも方法がひとつあります。私が姉様の部屋にいってあいさつをしますから、そのとき何気なく覗きなさい。決して中に入ってはいけませんよ。」
と答えた。
乙女はいつものように機織りの支度をしていたが、その美しい顔になんとなく愁いが見える。
神様が夢で自分に難破を知らせて下さったのに、父や船子たちを救うことができなかった悲しさが、乙女の心の糸車に幾重にも巻きついて放れなかった。
旅人や漁師の平安をひたすら神に祈り続ける毎日であった。
「姉様しばらくでございます!」
妹の声に振り向いた乙女は、障子の蔭から妹の夫が覗いているのを見つけた。
その途端に乙女は逃げるように家をとびだし、末吉の森を抜け山を越え飛ぶように普天満の丘に向かう乙女に、風は舞い、樹々はざわめき、乙女の踏んだ草はひら草(オオバコ)になってなびき伏した。
乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天満の鍾乳洞に吸い込まれるように入っていった。
そして、もう再び乙女の姿を見た人はなく、現身の姿をした乙女は、普天満宮の永遠の女神となられたのである。
鍾乳石が信仰の対象になっているのはここからきているようですね^^
そしてもう一つが、熊野権現にまつわる伝説です。
昔、中城間切安谷屋村に夫婦が住んでいた。
貧乏ではあったが夫婦は大変仲が良く、真面目に生活していた。
ある年の事、作物が取れず年貢も納めることが出来なかった。
そこで夫婦は相談をし、妻は首里の殿内奉公に行くことになった。
ときどき髪を切って髢として売り、供えの品を買って、毎夜普天満へ行きお祈りすること三、四年、風の日も雨の日も一日も欠かさず通った。
九月のある夜、いつものように夜道を普天満へ行き、鳥居に近づくとひょっこり一人の老人に会った。
老人は
「大切な品を持っているが用を足して来る間、ちょっと預かってはくれないか。」
と話しかけてきた。
再三言葉を尽くして断ったが、老人はその品を押し付けて何処かへ立ち去ってしまった。
やむを得ず、預けられた品を守っていたが、老人はいくら待っても戻ってこない。
ついに待ちきれなくなって品物を持ったまま首里に帰った。
その後も品物を返さねばと思い老人に会った場所へやって来るが、どうしたものか一度も姿を見せなかった。
妻は、その老人に会わせてくれるようにと祈り始め、ある晩夢に老人が現れて
「吾は熊野権現なり、汝等は善にしてその品を授けるものなり。」
と、毎晩同じ夢を見るので不思議に思い、その包みを開けてみると、まばゆい程の黄金が入っていた。
夫婦は驚き、神の恵みに深く感謝して御恩返しに石の厨子を造り石造三体(権現)を安置した。
その家は富貴となり、この事は秘していたが、いつしか知れ渡り、以来人々から信仰されるようになった。
普天満宮の絵馬は、洞穴に老人が座っている絵が描かれていますが、おそらくそれが熊野権現でしょうね。
ちょっと写真がぶれてしまいました^^;
普天間宮の御朱印
普天満宮のご朱印です。
普天満宮にはオリジナルのご朱印帳があります。
沖縄の紅型でデザインされたご朱印帳。
なかなか良いですね^^
沖縄でオリジナルのご朱印帳をおいているのは、今のところ普天満宮だけだと思われます。
一の宮である波上宮にもないそうですからね。
普天満宮は、名前に「天満」がつくことから天満宮の天神さん(菅原道真)を祀っているのかと思いきや、その天神さんは関係ないようです^^;
「普天間」という地名に由来していそうですが、なぜ「間」が「満」になったのかはどこにも語られていないので謎ですね。
洞穴の参拝は社務所での受付が必要ですが、参拝料は無料です。
立ち寄った際は、ぜひ洞穴まで行ってみてください^^