大阪府和泉市にある
西国三十三所観音霊場の第四番札所になっていて、若き頃の空海が剃髪・得度(出家する儀式のこと)したお寺でもあります。
施福寺の本堂までは駐車場から約1km、片道30~40分の山道を上ります。
この山道は、徒歩以外では行くことができません。
足腰の不自由な方には厳しいですね。
今でも西国巡礼第十一番札所の中では、上醍醐 准胝堂と一、二を争うほどの難所となっています。
「難所」ということで躊躇する方もいらっしゃるでしょう。
(私もその一人でした^^;)
でも、行ってみるとシニアの方がたくさん登っていらっしゃったんですよね。
負けていられません^^;
本格的な山登りの格好までする必要はありませんが、それでもウォーキングシューズやスニーカーなど歩きやすい靴で来た方が良いと思います。
施福寺のご本尊は秘仏で、毎年5月1日~15日に御開帳されます。
※追記:2019年から通年で御開帳になったようです。
2016年から5年間は西国三十三所草創1300年を記念して、各札所では秘仏の御開帳や寺宝公開などがスケジューリングされています。
内容は年に1回更新されますので、詳しく知りたい方は西国三十三所草創1300年記念特設サイトをチェックしてみてください。
施福寺は2016年3月26日~5月5日まで特別拝観期間でしたので、この時を機に行ってみました。
施福寺までのアクセス・駐車場情報など
施福寺は山の中にあるため、非常にアクセスが悪いです><
下の地図が施福寺の場所です。
周りには駅がありません。
地図を広域にしたらわかるのですが、一応施福寺の最寄りの駅は、泉北高速鉄道「和泉中央」駅、もしくは近鉄線・南海線の「河内長野」駅などがあります。
でも、どちらからも徒歩だと2時間半以上かかってしまうほどの距離なのです。
なので車かバスで行った方が良いでしょう。
駐車場もバス停も槇尾山の麓にあります。
そこから参道の山道を上ることになります。
車で行く場合
施福寺に車で行く場合、注意点が一つあります。
それは、槇尾山の西側、府道228号線から行くということです。
すぐ東側にある府道61号線からは行けませんので要注意です。
古いカーナビは、そちらから行こうとするんですよね~。
カーナビを設定する場合は、「
正しくは、和泉中央方面から来る場合、
河内長野方面から来る場合、
といったルートを通ります。
実際私は、河内長野方面から国道170号線を南下して行ったのですが、途中で府道61号線に曲がってしまい、間違えてしまいました^^;
61号線で行こうとすると途中で凸凹道になり、ここからは施福寺には行けない旨が書かれた看板を発見して引き返しました。
行かれる際はお気を付けください。
施福寺の駐車場は、槇尾会館を少し過ぎたところ、槇尾山観光センターの向かいにあります。
駐車料金は無料です。
何台停められるのかはわかりませんが、西国三十三所巡礼の公式サイトの紹介によると、100台停められるようです。
私もすぐ停められました。
ただ、紅葉の時期は満車になることもあるようです。
駅からタクシーで行こうと考えている方は、上の地図に表示している通り、車でも30分かかる距離となります。
それくらいの金額がかかると考えておきましょう。
バスで行く場合
バスで行く場合、「南海バス(父鬼線)」に乗車、そしてこの地域で運行しているコミュニティバス「オレンジバス」に乗り継ぎます。
途中の停車駅は省いて、主要なバス停だけピックアップしてみました。
図の数字はバスの系統番号です。
バスは南海「泉大津」駅、JR「和泉府中」駅、泉北高速鉄道「和泉中央」駅などから乗ることができます。
行先は、「槙尾山口行」または「父鬼行」です。
途中で「槙尾中学校前」で下車、そこから出発するオレンジバスに乗り換え、終点の「槇尾山」で降ります。
「槇尾山」のバス停は、施福寺の駐車場のすぐ近くです。
ただ、バスで行く場合はオレンジバスの本数が少ないことに注意しましょう。
土曜と平日は5便、日曜と祝日は8便しかありません。
和泉市のオレンジバスのページにある「槇尾山ルートの時刻表」には、オレンジバスに連絡している南海バスの発車時刻も書かれていますので確認してみてください。
一応、南海バスの時刻表のリンク先も載せておきます。
ちなみに、オレンジバスに乗らずに「槙尾山口」から歩く、という手もあります。
ただ、「槙尾山口」のバス停は、国道170号線から府道228号線に入ったところにありますので、ここから歩くにはかなりの距離です。
「槙尾山口」から「槇尾山」のバス停まで、30分ほどかかるのではないか?という感じです。
「槇尾山」のバス停に着いてからさらに30分ほどかけて山道を上ることを考えたら、ちょっとしんどいですね^^;
施福寺はバスツアーでも行ける
施福寺にはバスツアーを利用して来られる方もいらっしゃいます。
例えば、クラブツーリズムは現地でよく見かけるのですが、西国三十三所のツアーなどが用意されています。
札所番号で区切って何回かに分けて案内しているようです。
興味のある方は、クラブツーリズムの公式サイトの右上にある検索機能を使って「施福寺」や「西国三十三所」などで検索してみてください。
施福寺は4番札所ですので、説明に4番と書かれていれば施福寺を周るツアーです。
ツアーのプランはどんどん新しいものが出てきますので、該当するツアーが見つからない、もしくは日程が埋まっている場合は日を改めると出てくるかもしれません。
施福寺の歴史 役小角も修行した山岳修験の古刹
施福寺の開創については、実はあまりにも古すぎてはっきりしていません。
寺伝では、仏教伝来から間もない欽明天皇の時代(539年~571年くらい)、天皇の命を受けて播磨の僧、行満上人が弥勒菩薩を本尊として創建したと伝わっています。
それを、奈良時代の高僧「行基」の一番弟子「法海上人」が発展させたのが施福寺です。
施福寺が栄えた理由に、こんな伝説が残っています。
その女の子がたいへん美しかったので、時の権力者、藤原不比等がみそめ、それがきっかけで、仏法を広めるために槇尾山に堂塔を整備しました。
あくまで伝説ですね^^
ただ、施福寺は山深いところにありますので、山岳修験のお寺として栄えたようで、かつては808の僧坊、3,000人の僧衆が住んでいたそうです。
修験道のお寺ですから、
役小角は「修験道の祖」とされる人物。
空を飛んだり、鬼を使ったりといった、天狗のような伝説が伝わる人物です。
施福寺には、役小角が法華経を奉納したという逸話が残っています。
そこに施福寺の山号でもある「槇尾山」の名前の由来があるのです。
役小角は、法華経全28章を書写しました。
かつて法華経は、8部の巻物に分けて書写するのが一般的で、役小角は8つの霊場に一巻ずつ納めたのです。
その巻尾(8巻目)を納めたのがこの山で、「巻尾山」となり、現在の山号でもある「槇尾山」となったそうです。
また、平安時代には弘法大師 空海が剃髪したとされています。
剃髪をするということは、空海はここで正式な僧侶となった、ということですね。
施福寺はこのような伝説や逸話が残るお寺で、戦国時代になるころまでにはかなり栄えていたようです。
そしてその勢力は戦国時代には織田信長にも恐れられるほどになっていました。
それで信長は天正九年(1581)に焼き打ちをします。
後に豊臣秀頼によって再興されましたが、弘化二年(1845)、今度は山火事で堂塔を失ってしまいます。
現在、堂宇はほとんど残っておらず、かつての栄華は感じられませんが、民衆の寄進によってなんとか再建されています。
片道30~40分ちょっと!施福寺本堂まで続く、きつい登り参道
駐車場の近くには、「槇尾山観光センター」というお店があります。
山を登るとお店はありませんので、飲み物、食べ物が必要ならここで用意しておきましょう。
以前は山上の本堂前に茶店があったそうですが、今はもうありませんし、自販機もありません。
古いガイドブックを参考にしている方は気をつけてください。
ただ、道中の所々にベンチがありますので、疲れたらそこで一休みすることはできます。
駐車場から数十メートル、石碑が見えたら参道のスタートです。
最初はゆるやかな坂道。
「観音八丁 登れば足守の馬頭さん」
と書かれています。
この看板の裏には八丁目の石碑。
ここから先、7丁目・・・6丁目・・・と石碑が登場しますので、0丁目の本堂まで頑張ります。
あとどれくらい登ればよいのかわかるだけでもありがたいですよね^^
参道の横にはきれいな水が流れています。
水が豊富であったからこそ栄えたのかもしれませんね。
ちょっと坂道がきつくなってきた頃に、楼門が現れました。
ここで六丁目。
楼門の横にはお迎え観音さん。
楼門の左右にはシャープな金剛力士像。
この楼門は、弘化二年(1845)の山火事で唯一無事だったといいます。
つまり、施福寺で一番古い建築物ということになりますね。
それにしても金剛力士像が、必要な筋肉だけでムダが省かれていて、なかなかかっこいいです^^
楼門から先は広めの石段になりますが、ここで屋根付きの休憩ポイントもあります。
四丁目あたりになってくると、石段の幅が狭くなります。
石垣は、かつて施福寺の塔頭寺院(施福寺に属する子院)の跡。
今では見る影もありません。
時々、下りの参拝客にも出会います。
どこでもそうですが、山道では、人とすれ違うとほとんどの方が挨拶を交わします。
応援してもらっているみたいで気持ちよいです^^
ちなみに、施福寺へ登るこの参道は、参拝客だけでなく、ハイキングを楽しむ人もここを上ります。
というのも、施福寺の境内は金剛生駒国定公園の一部になっていて、槙尾山は、大阪府・奈良県・和歌山県にまたがる総延長45kmの「ダイヤモンド・トレール」という自然歩道の出発点になっているんですね。
このあたりまでくるとちょっときつくなってきますが、30分程度の山道ですからあせらず頑張りすぎずにゆっくり登ると、身体への負担はだいぶ軽減されます。
ちょっと足が疲れた頃に、写真を撮ったり、立ち止まって自然を眺めながら空気を吸ったりしていると、身体が回復する感じがします^^
そして一丁目に到達。
もう少しで本堂なのですが、その前に、弘法大師が出家して髪を剃り、仏門へ入った場所だという、愛染堂(弘法大師御剃髪所跡)があります。
実は施福寺には、若き空海が師と仰いでいた奈良・大安寺の僧、勤操大徳が住んでいたんです。
空海に出家を勧め、剃髪したのもこの勤操。
空海に虚空蔵菩薩求聞持法という密教の秘法を授けたり、入唐のきっかけを与えたのも、この勤操の力によるところが大きかったのだそうです。
日本に帰って来てからも、再び施福寺に籠り、真言宗の開宗のために13年間修行をしています。
お堂には愛染明王と勤操大徳、空海の肖像が祀られています。
お堂内を覗いたのですが、中は暗く、愛染明王の掛け軸がなんとか見えるくらいでした。
愛染堂からは今までと違ってきれいに整えられた石段が登場。
ちょっと急ですが、この階段を登り切れば本堂に兆着。
見上げるとゴールも見えています。
ゴール直前には、弘法大師御髪堂があります。
ここまで来たら、本堂(観音堂)はもう目前。
そしてたどり着きました!本堂です。
本堂前はちょっとした広場になっていて、ベンチもありますのでゆっくりできます。
ひとまず休憩できるのはありがたいですね^^
山越えに難儀した花山法皇の話
山上まで30分ほどかけて登ってきましたが、山に慣れていないとやっぱり大変です。
それでも今は麓に駐車場がありますし、昔に比べると楽な方ですよね^^;
昔の大変さを物語るのが本堂前に置かれているこの馬の像。
西国巡礼の中興の祖といわれている花山法皇が施福寺を訪れる際、馬が道案内をしたという話が残されているのです。
今から千年ほど前、花山法皇は、施福寺に訪れる際に、この山の深さに難儀な思いをされていました。
第三番札所の粉河寺からこの霊場へ山越えしようとしたのですが、その時、道に迷ってしまいました。
昔の人はそのような時、経験のある古い馬に鈴をつけて解き放ったそうで、そうすることで鈴の音と馬の爪跡をたどれば人里にでることができたのだそうです。
法皇の一行もそのようにしたところ、馬に導かれてなんとかこの霊場にたどり着くことができました。
法皇はそのことに感謝し、お寺に馬頭観音を奉納したのだそうです。
その馬頭観音は現在も本堂奥に安置されています。
しかしこの馬頭観音、基本的には50~60年に1回の御開帳となっています。
時々イベントがあれば御開帳されることもあるようですが、御開帳の機会が少ないので、チャンスがあれば拝観しに行きたいですね。
客僧に化けた千手観音の伝説
山を登りきったところで最初に出会うのがこの十一面千手観音。
施福寺で西国観音霊場として信仰されているのは十一面千手千眼観音菩薩です。
本物は、本堂の御本尊、弥勒菩薩の脇侍として安置されています。
施福寺の十一面千手千眼観音菩薩にはある伝説が残されています。
ある時、一人のみすぼらしい修行僧が施福寺にやってきて、宿を求めました。
その客僧は寺の身となって、堂塔の掃除、寺僧の食事の世話を一手に引き受け、夜は不眠で勤行を怠りませんでした。
一夏の安居会が終わって帰る時、その客僧はお寺にわずかな旅費の寄捨をお願いしました。
寺の僧達はそれを激しくののしり、一文も払わず邪険に追い払いました。
客僧は、
「僧にあるまじき行為である!」
と言い捨て、山を降りたのです。
それを知った法海上人は、寺僧たちを叱咤して、客僧を探させました。
行方を突き止め、後を追ったのですが時は既に遅し、客僧は泉大津の浜から海上を歩いて行ってしまったのでした。
実はその客僧は観音様の化身だったのです。
法海上人は施福寺に戻り、寺僧たちを集め、客僧を弔う勤行を続けました。
すると、泉大津の方向に紫雲がたなびき、法海上人はその雲の中に観音様を感得しました。
その時に彫ったとされる観音像は残念ながら焼失しています。
現在の本堂で祀られている十一面千手千眼観音像は、江戸時代に再建された時に彫られたものです。
普段は秘仏で、5月1日~15日に御開帳されます。
和泉を代表する仏像の宝庫!立体曼陀羅の世界が広がる本堂
色々歴史や道のりを紹介しましたが、やっと本堂です^^
施福寺は見るべき諸堂が他にありませんので、ここがメインです。
御開帳期間の本堂には「御本尊公開中」の看板が建てられています。
参道の入り口にも看板がたてられていましたが、そこには、山上には仏の世界が広がっているという旨の内容が書かれていました。
本堂拝観料は500円。
お寺の方によると、500円という拝観料に躊躇する方が多いのだそうです。
それは無理もありません。
施福寺はお寺に関する情報が少なく、どういう場所かわかりにくいですからね^^;
もっと情報を発信してくれればいいのに、と思うのですが、拝観できるチャンスがあるなら、ぜひ拝観をオススメします!
「こんなところに、こんなに立派な仏像がたくさん!」と驚きました。
西国三十三所の札所を名乗っているだけはありますよ^^
堂内は撮影禁止ですので、残念ながら写真では紹介できませんので、言葉で紹介します。
まずこちらの御本尊は先に述べたように「弥勒菩薩坐像」です。
丈六の大きな弥勒さんです。
そして脇侍には、向かって左手に西国三十三所に指定されている「十一面千手千眼観音立像」、右手には「文殊菩薩立像」がいらっしゃいます。
その三尊の周りには、まだ彩色が残る四天王立像が立っていらっしゃいました。
すぐ目の前に座る事ができるので、弥勒さんの前に座ると、視界は全て仏様の世界になります。
まさに立体曼陀羅ですね^^
そして隣の部屋に移動すると、今度はこれまた丈六の「方違大観音像」がいらっしゃいます。
こういう観音様がいるのは、日本で唯一ここだけなのだとか。
「
例えば、南が凶の方角だった場合、直接南に向かうことを避けるために、いったん別の方角に出かけ(東南など)、ワンクッションおいてから目的地(西)に向かいます。
そうすることで目的地の方角が悪い方角にならないことにするのです。
そういう意味がありますので、この観音様にお願いすれば、方違の効果が得られるのだと思います。
この観音様は大きいだけでなく、ちょっと前方に傾いていますので、目の前に座ると「どうしたんだい?」と聞いてくれているような、不思議な感じがしました^^
弥勒さんの裏側にあたる後堂に移動すると、今度はたくさんの仏像に出会います。
まずは琵琶湖の竹生島から来たという弁財天。
そして不動明王。
この2像を中心に、周りに天部の像が多数安置されています。
両サイドには空海と最澄の像。
真言宗と天台宗、日本における密教の2つの宗派の開祖で、最初はお互いを認め合う中でしたが、最終的には仲たがいをしています。
なのでこの二人の像が同じ部屋に置かれているのも珍しいですね^^
実は施福寺は、空海以来は真言宗のお寺として栄えましたが、織田信長の兵火で焼失、その後徳川家の庇護を受ける際に天台宗に改宗しているんです。
弥勒さんに背を合わせるように、馬頭観音もいらっしゃいました^^
花山法皇の足守という馬頭観音。
座禅を組むように座っているのですが、足の裏は正面に向けているという、普通の人間ではできない座り方をしています。
ちょっと変わった仏像ですが、この像に願えば、足腰が丈夫になるのだとか。
登り道の参道に、「観音八丁 登れば足守の馬頭さん」と書かれていたのはそういうことだったんですね。
馬頭観音は、菩薩なのに明王のように厳しいお顔をされています。
でもその厳しいお顔の奥に慈悲があるのです。
これらの仏像は、それぞれが拝観する価値ありな立派な仏像ばかり。
こんなに立派なのに、施福寺は公式サイトもなく、ガイドブックに載る事もほとんどありません。
だから知る人ぞ知るお寺になってしまっているんでしょうね。
非常に勿体ないです^^;
私は特別拝観期間に参拝しましたが、通常、本堂拝観できるのは5月1日~15日のみ。
昔は15日のみだったようですが、今は半月分もチャンスが広がりました。
それでもチャンスは少ないですが、ゴールデンウィークを利用してハイキング気分で登ってみるのも良いですね^^
本堂よりもさらに上!山々が重なる景色を眺められるお稲荷さん
本堂でお参りしたら下山・・・するところですが、体力に余裕があれば、本堂そばにある手水舎の階段から、まだ上にあがれます。
ほんの数十段ですが、足がガクガクしている方はきついかもしれませんね^^
でもここを登ると、本堂を見下ろせ、金剛山から葛城山にかけての展望が広がります。
結構山深いですね^^
花山法皇はこういうところを和歌山方面から巡礼してきたのかと思うと、昔の人はすごかったんだな~と感じさせられます。
そして、お稲荷さんが祀られているというこの高台のお堂は、聞かなければ何が祀られているのかわからない状態のお堂になっています。
このようなわざわざ高いところに祀っているということは、元々は地主神を鎮守として祀っていたのかもしれませんね。
施福寺の御朱印
施福寺には西国三十三ヶ所観音霊場の御朱印があります。
西国三十三所の御詠歌の御朱印です。
「深山路や 檜原松原 わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる」
と書かれています。
花山法皇が道に迷った逸話がそのまま歌になっている感じですね^^
その他、
- 和泉西国三十三所第1番
- 西国愛染十七霊場第15番
- 神仏霊場巡拝の道 第52番
の御朱印もあります。
下山して最初の石碑のすぐ横に「満願滝弁財天」の鳥居があります。
こちらには弁財天が祀られているのですが、水の神様らしく、けっこう落差のある滝があるんです!
細いですが、高さは結構見上げます。
ここには、空海や役行者も祀られていましたので、ここで修行をしたことがあるのかもしれませんね^^
本文中のタイトルの部分に誤変換があります。
「客層」に化けた千手観音の伝説ですが文意からも「客僧」だと思います。
倉本さん、コメントありがとうございます。
確かに、「客層」⇒「客僧」の誤りです。
ご指摘ありがとうございます。
助かりました^^