琵琶湖の西側に天台宗総本山、比叡山延暦寺がありますが、琵琶湖を挟んで東側にも天台宗寺院の伽藍がそびえていました。
それらは織田信長の焼き打ちで多くを焼失していますが、今でも残っている名刹が湖東三山(百済寺、金剛輪寺、西明寺)です。
その中の1つ、
それが平安時代に比叡山に天台宗が開かれて、百済寺も天台宗の寺院となりました。
「百済」という名前が付いていることからわかるように、このお寺は百済人のために百済国の龍雲寺を模して建てられたもの。
聖徳太子のいた時代は、日本は朝鮮半島にあった百済国との関係が良好だったんです。
そしてこの辺りは、渡来系の人々が当時の先端技術で開いた地なので、百済人がたくさん住んでいたんですね。
湖東三山は三山とも自然が豊かなのですが、百済寺はその中でも特に豊かで、表門をくぐると凛とした空気に変わります♪
琵琶湖まで見える絶景ポイントもあって、なかなか良いお寺です。
55年に一度のみ御開帳される笑顔が素敵なご本尊
百済寺のご本尊は、聖徳太子自作の十一面観世音菩薩。
なんと、55年に一度しか御開帳されないというなかなかお目にかかる機会が少ないな仏像です。
ただ、機会は少ないですが時々何かの記念となる年には「中開帳」といって、記念の御開帳があります。
今回は名神高速の「湖東三山IC」開設記念ということで行われた湖東三山揃っての秘仏本尊御開帳。
おかげで三山ともご本尊を拝観することができました♪
百済寺の御本尊は通称「植木観音」と呼ばれる観音様で、太子がこの地を訪れた時、不思議な光を放つ霊木を見つけ、根の付いたままの幹に彫ったものなのだとか。
同じ霊木から2体の十一面観世音菩薩が彫られ、下の方は植木観音、上の方は百済国の龍雲寺に贈られました。
残念ながら、龍雲寺は百済国が滅亡した時になくなったため、龍雲寺の観音様もいらっしゃいません。
植木観音は全高3.2メートルと、結構な大きさ。
古代仏に見られる「アルカイックスマイル」を持つ仏像ですが、そのスマイルはどこか暖かさを感じます。
猫背気味な姿勢で、「何何?」と、何でも聞いてくれそうな包容力のある優しいおばちゃんといった感じのスマイルなんです^^
安堵感を与えてくれるような癒しの仏像ですね♪
写真やポストカードが売っていないので、そのお姿を紹介できないのが残念です><
全高は3.2メートルなのですが、実物をよく見ると、安置している場所が低くされていて、膝が足の位置まで下がっているので、そんなに大きく見えないんです。
それは、現在の本堂に無理に入れているからなのだとか。
現本堂の背後に、10倍ほどの広さの旧本堂跡地があります。
そこには現本堂の4倍ほどの大きな本堂があったのですが、信長の焼き打ちで焼失してしまいました。
植木観音は、当時の僧侶が根の部分を切って持ちだして、現本堂に安置されているというわけです。
当時の本堂が残っていてそこで安置されていたら、その大きさにも圧倒されていたかもしれません。
根がついている様子も見てみたかったですね。
湖東を一望できる天下遠望の名園
百済寺の表門近くに、本坊
そこにあるのは、池泉廻遊式・観賞式の庭園。
喜見院は入ることができないのですが、その前にある庭園は、池の周りを岩伝いに渡りながらぐるっと回ることができます。
途中、鯉のエサをあげられるポイントもあって、100円でエサが売られているのですが、岩を渡っているとエサを持っていなくても鯉がすぐ寄ってきます^^
この庭園、四季が変わると色々な顔を見せてくれるそうです。
新緑の季節と紅葉の季節で比べると面白いかもしれません^^
庭園から上に登れる階段があって、そこを登ると、遠望のポイントにたどり着きます。
天気がよければ琵琶湖を超えて比叡山の方まで一望できるポイントです。
そこではこういう景色が見えるとのこと。
そしてこちらが実際の景色。
太郎坊から左側、湖東平野、琵琶湖、比叡山まで見えるはずの景色です。
太郎坊はわかりやすいのですが、三上山はわかりにくいですね^^;
比叡山は遠くにうっすら、琵琶湖はほぼわかりません><
この日は天気は良かったのですが、黄砂やPM2.5の影響でしょうか?なかなか遠くまで見えませんでした。
比叡山と琵琶湖が見えれば絶景になるポイントですね♪
ちなみに、この景色が見える方向は西の方向なのですが、で太郎坊の向こう側には次郎坊(鞍馬山)、さらに西の彼方には朝鮮半島があって、百済国がありました。
百済寺にいた渡来人たちは、ここから故郷の方向を眺めていたのでしょうね^^
ご本尊の植木観音は現在もそちらの方向を向いていて、百済国の龍雲寺に贈られた観音様は逆に、こちらの方を向いていたそうです。
巨大寺院の遺構が見られる参道
百済寺は現在、広い境内なのに手入れの行き届いていて、紅葉で有名な寺院になっています。
駐車場から本坊の先に行って入山料を払い、門をくぐった途端、空気が新鮮になります。
下の写真は本堂に続く参道です。
こういう道が続くのですが、両脇が石垣で固められています。
この石垣は僧房跡で、かつては建物が軒を連ねていて、1300人ほどが居住していました。
平安から鎌倉時代にかけての最盛期には「湖東の小叡山」と呼ばれるくらい伽藍が建って栄えていたんです。
僧院の他、座敷や池泉、庭園を備えた坊舎が1000坊もあって、その光景を戦国時代の宣教師、ルイス・フロイスは「地上の天国」と称したのだとか。
現在、表門から本堂まで一直線に続く参道は、かつてあった1000坊のうち、中枢となっていた300坊のあった参道。
本来の正面玄関であった赤門は、駐車場からはるか下の方にあります。
現在は本坊横が表門になっていて、車でその近くまで行けるため、参道の途中から登れるようになっています。
なので全盛期よりは短いですが、それでも結構な長さです。
参道を登っていく途中、参道脇にある弥勒半跏石像。
更に進むと、仁王門が見えてきます。
仁王門に到着。
門には百済寺の名物にもなっている、3メートルもの大きなわらじが掛けられています。
近くで見るとものすごく大きいです。
仁王門とわらじは、湖東三山のお寺で見かけることができますが、百済寺のわらじが一番大きいです。
このわらじは、門の両脇に立ってお寺を守る、仁王さんのわらじ。
勇猛、剛健、健脚の仁王さんですが、夜は仁王門の脇にわらじを置いて、立ちながら休まれるそうです。
とは言っても、仁王さんよりもわらじの方が明らかに大きいですよね^^;
そんなわらじを履いて仕事ができるのか?と思いましたが、元々は仁王像の大きさに応じて50cmほどだったそうです。
江戸時代中期頃から、仁王門を通る参拝客が、健脚・長寿の「願」を掛けるようになり、「わらじが大きいほどご利益も大きい」ということでどんどん大きくなって、今では3mほどになっているのだそうです。
わらじには、今でもお賽銭が挿っています。
[PR] 百寺巡礼という本を書いた作家の五木寛之さんも、百寺を巡るにあたって、この大草鞋に「満願成就」の願掛けをしていったそうです。
その当時、年齢と体力の面で心配していたそうですが、ここで願掛けをして1年半後、見事百寺巡礼を達成したそうです。
それどころかその後は海外まで足を運び、韓国、中国、インド、チベット、ネパールの寺院を踏破・巡拝していったそうです。
自分で心配するほどだったのに、ものすごい健脚ぶりですね^^
仁王門を過ぎてもまだ参道が続きますが、本堂はすぐそこです。
そしてこちらが本堂。
ここに植木観音さまや、聖徳太子像、如意輪観音半跏思惟像などが安置されています。
現在の本堂は狭い場所に建っているため、建物全体を写真に収めるのが難しいのですが、先ほど紹介したように、旧本堂は現本堂よりももっと大きかったわけです。
旧本堂と1000坊があった時代を偲ぶと、かなり勢力のあった寺院であることがわかりますね。
百済寺の御朱印
百済寺は、
- 近江西国霊場 第16番
- 湖国十一面観音 第10番
- びわ湖百八霊場
- 聖徳太子霊跡34番
の霊場に属しています。
私は近江西国霊場の御朱印を頂いたのですが、私が参拝した時は、秘仏ご本尊ご開帳という特別な時だったため、「ご開帳記念」の印が押されています。
通常、御朱印は300円なのですが、この時は御影とセットで500円になっていました。
こちらが頂いた御影です。
御影ですが、残念ながらそんなに似ておりません^^;
お前立ちの観音さまなのかもしれません。
百済寺は、サクラ、ツバキ、シャクナゲ、ツツジ、フジなど、たくさんの草花が手入れされています。
別称「百彩寺」とも呼ばれているそうです^^
公式サイトに四季の風景が紹介されているので、興味のある方はそちらをご覧下さい。
そして特に参拝客がたくさん来るのは紅葉の季節。
百済寺をはじめ、湖東三山は滋賀県で有数の紅葉の名所なんです。
空気がキレイで気持ちの良いところですので、ぜひ訪れてみて下さい。