長浜市高月町の西北部、賤ヶ岳山系の磯野山の東に、「磯野」という集落があります。
ここは、戦国時代に湖北地方を治めていた浅井氏の重臣として活躍した、磯野氏の本拠地だった場所です。
村の中心には延喜式内社「赤見神社」があり、その境内に
かつては赤見神社の神宮寺だったんですね。
このように、この集落では赤見神社が中心となっているので、「赤見の里」とも呼ばれています。
神社の祭神は、
- 第二十七代 安閑天皇
- 皇后 春日山皇女(山田赤見の皇女)
となっています。
神社名の由来は、皇后の名前からきているようです。
安閑天皇は神仏習合時代に蔵王権現と同一視されていたそうで、明治の神仏分離以降、従来 蔵王権現を祭神としていた多くの神社では、祭神を安閑天皇に置き換えたそうです。
この神社もそうなのかどうかはわかりませんが、もしかしたら蔵王権現と関係があるのかもしれませんね。
そして観音堂は、赤見神社境内の一番高いところにあります。
観音堂の縁起によると、推古天皇八年(西暦600年)、赤見の境内に霊水が沸いたのだそうです。
その後、それを聞いた聖徳太子がこの地を訪れ、泉の側にあった桂の木で観音様を彫り、お堂を建てたのだそうです。
そして磯野寺と称し、御自筆の法華妙典を奉納したのだとか。
しかし永正十五年(1518年)2月7日、湖北一帯の支配を狙う浅井亮政と磯野氏が争い、堂宇は焼失。
現在のお堂は天保四年(1833年)に建てられたものです。
そしてこちらが観音様。
観音様は撮影禁止だったので、リーフレットから写真をお借りしました。
実物は、左右をカーテンで隠され、真ん中あたりしか見えませんでした。
量感のあるぽってりとしたお顔立ちで、若々しい感じの観音様です。
像高63.2cm、木造、着衣部漆箔、肉身部金泥、玉眼の観音様は、室町時代~江戸時代にかけて制作されたと推測されています。
さすがに聖徳太子の作ったものは残っていないようですね^^;
長年秘仏だったのですが、現在は集落の老人会が世話していて、世話方にお願いすれば拝観できるようになっています。
この観音様は、病気治癒、長寿に霊験あらたかなのだとか。
現在も毎日お参りを欠かさないお年寄りが多いのだそうですよ。
そして境内には「三光の松」という、松葉が三本ずつでている松の木があるのだそうです。
どの木がそれなのかは発見できませんでしたが、この松葉を結んで財布に入れておくとお金が貯まると言い伝えられています。
私が訪れたのは「観音の里たかつきふるさとまつり」の日だったのですが、この日はお堂前で、松葉が販売されていました^^
ご朱印
磯野寺のご朱印です。