八幡神社の神宮寺として建立された柏寿山 来光寺。
通称、「柏原阿弥陀堂」と呼ばれています。
明治初年の廃仏毀釈(神仏分離)で、八幡神社の境内奥に移設させられ、現在に至ります。
境内の入り口にたどり着くと、ずっしりと太く、大きなケヤキがありました!
樹齢800年以上、幹回りは8.4mもあります!
このようなケヤキの古木は、湖北地方では
神様なんですよね^^
ケヤキの古木は、この地方の名前の由来にも関係しています。
このあたりでは、槻(ケヤキの古い名)の古木が点在しているんです。
ことから、この地は「高槻」と名付けられたそうです。
その後、平安後期の歌人「大江匡房」が、このあたりは月の名所であることを歌に詠んだことから、「高月」に改められたのだそうです。
そして柏原の野神さんは、高月の中でも一番のビッグサイズなんです^^
樹齢800年というと、戦国時代の戦乱にも耐えているということになりますが、良く生き延びられたな~と感心しますね。
野神さんを拝んで、境内の奥に行くと、本堂である阿弥陀堂があります。
村社である八幡神社の神宮寺ですから、村の小さなお寺、という感じなのですが、お堂に上がると、堂内の厨子に菊の御紋がついているのを確認しました!
こちらは中央にいらっしゃる、御本尊の阿弥陀如来立像。
きらびやかに輝く菊の御紋があります。
つまり、皇室と関係がある寺ということですね。
堂内には3つ厨子があって、右側の厨子には皇室の御位牌も安置されていました。
実はここは、後水尾天皇が造営した修学院離宮「林丘寺」の末寺として栄えたのです。
どういう経緯で林丘寺の末寺になったのか?というと、それは江戸時代にさかのぼります。
柏原村と隣村とで争いがおき、一揆になりかけた時、林丘寺の御門跡様の仲裁により、大事に至らず終結したのだそうです。
以来、村では林丘寺へのご恩に感謝して、当時の御門跡様であった後水尾天皇の皇女「光子内親王」をはじめ、歴代御門跡様の御位牌を奉安しているのだそうです。
御本尊の左側にいらっしゃる薬師如来立像。
ニコッと笑うように優しくこちらを見てくださっています^^
下の十二神将たちのポーズもフィギュアのようでかわいいです♪
この薬師如来立像は、長浜市指定文化財を受けています。
平安時代に作られたとされる仏像で、もう少し文化財として高く評価しても良さそうですが、明治時代の世話方が、仏様についている
現在の文化財保護の観点は「現状維持」ですから、補修したら価値が下がります。
しかし、補修だけではなく、過剰に磨いたりして、それでキレイになっても、質感というか、そういうところが変わっちゃうので、手を加えたことになっちゃうんですよね。
こういうパターン、ここのお薬師さんに限りません。
大事にする気持ちがそうしちゃうんでしょうね。
御朱印
柏原阿弥陀堂の御朱印です。