滋賀県大津市にある園城寺(三井寺)には、近江八景の一つ「三井の晩鐘」として親しまれる有名な鐘があります。
日本三銘鐘のひとつに数えられていて、「形の平等院」、「銘の神護寺」と並んで「音の三井寺」と称されるほどの銘鐘です。
平成8年には、環境庁に「日本の音風景百選」にも認定されました。
そんな三井寺の鐘ですが、現在鐘楼に吊るされている鐘は二代目で、一代目、二代目ともにまつわる伝説があります。
一代目から順に紹介します。
俵籐太の百足退治伝説
最初に三井寺に鐘を奉納したのは、平安時代中期の貴族・武将の
藤原秀郷は平将門を討伐した有名な武将ですが、それ以外にも山を巻くほどの大きなムカデを退治した伝説もあります。
三井寺の鐘は、そのムカデ退治と関係があるのです。
その話の内容は、過去に別記事で書いていますので参照してください。
ムカデを退治した秀郷は、琵琶湖に住む龍神からお礼の宝物をもらいます。
その中に美しい音色の響く鐘があったので、三井寺に奉納することにしました。
それが一代目の鐘にまつわる最初の伝説なのですが、まさに竜宮城の宝物なんですね^^
武蔵坊弁慶による引きずり鐘伝説
一代目の鐘の伝説は、もう一つあります。
それが「武蔵坊弁慶」のお話。
武蔵坊弁慶は、比叡山延暦寺の僧侶です。
源義経のお供をしていた僧で、三井寺以外でもたくさんの伝説を持っていて、有名ですよね。
延暦寺と三井寺は同じ天台宗ですが、仏教解釈の相違から争いが生じ、山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺)に分かれました。
その争いはついに武力にまで発展し、三井寺は山徒門衆によって堂宇を焼き尽くされています。
この時に弁慶は三井寺の鐘を奪い、比叡山まで引きずって持ち帰ったのだそうです。
それが弁慶の引摺り鐘伝説です。
その引摺り鐘、つまり初代の鐘ですが、実は三井寺に戻ってきています!
その鐘が安置されているのが、境内にある「霊鐘堂」です。
中に入るとすぐ、「弁慶鐘」という名前で一代目の鐘が置かれていました。
奈良時代製で、重さは2250kg。
口径123.2cm、総高199.1cmの大きさです。
奈良時代の鐘として現在知られているものは15口。
その中で、東大寺のものに次ぐ大きさです。
とても人が引き摺れるような大きさではないのですが、細部を見ると、確かに引きずったような傷やヒビが入っています。
延暦寺西塔のにない堂にも弁慶の怪力伝説が伝わっていますが、にない堂の話でも人間離れしています。
もちろん話は飛躍していると思いますが、実際はどんな人物だったのか、興味深いですよね^^
ところでこの鐘は、弁慶に持ち去られたのならどうやってここに戻ってきたのでしょう?
それは、霊鐘堂内にある説明版に書いていました。
1814年に発行された「近江名所図会」に載っていた内容のようです。
それによると、弁慶が比叡山まで鐘を引きずり上げ、撞いてみると
「イノー、イノー」(関西弁で帰りたい)
と響いたので、
「そんなに三井寺に帰りたいのか」
と、谷底に投げ落としたのだとか。
それが戻ってきたということですね。
そしてこの鐘は、三井寺に凶事が迫ったときには、前兆として鐘の表面に汗をかき、撞いても音を出さなかったといわれ、三井寺を鎮護する「霊鐘」と伝わるとのこと。
逆に、良いことがある時には自然に鳴るのだそうです。
三井寺はその後、源平の争乱や南北朝の争乱、さらには秀吉によって寺領の没収などの苦難にさらされています。
南北朝の争乱の時には、略奪を恐れて鐘を地中に埋めたのだそうですが、その時は地中にあるにもかかわらず鐘が鳴り響いたとのこと。
そして足利軍が勝利して、争乱が収まったそうです。
さらに「園城寺古記」という戦国時代の記録では、文禄元年(1592)の7月に鐘が鳴らなくなったという記録があります。
その時は、僧侶たちが様々な祈祷を行ったのだとか。
そして8月にようやく音が出るようになったのだそうです。
ちなみに弁慶鐘の横には、「弁慶の汁鍋」というものもありました。
こちらも同じ「近江名所図会」に載っています。
重さは450kg。
外口径166.5cm、深さ93.0cm、口厚1.5cmという大きさ。
弁慶が鐘を奪った時に残していったものと伝わっています。
写真ではその大きさは伝わりにくいですが、弁慶鐘を乗せることができるほどの大きさです。
鋳鉄が鎌倉時代と書いていたので、後の時代になって弁慶鐘の霊性に箔を付けるために、弁慶伝説を作ったのかもしれませんね。
弁慶は三井寺にとっては敵方ですが、比叡山よりも三井寺の方が弁慶伝説にあやかっているように思えます^^
こちらは三井寺のゆるキャラ、べんべん。
今も弁慶の伝説にあやかっていますよ^^
べんべんのモチーフは、弁慶と、千団子祭りの亀をモチーフにしているとのこと。
滋賀県内の大きなイベントで時々見かけるのですが、三井寺の境内を歩いていることもあって、お願いしたらほら貝を吹いてくれます^^
三井の晩鐘に伝わる琵琶湖の龍神伝説
こちらは現在も鐘楼に吊られている、二代目の鐘。
江戸時代に入ったばかりの慶長七年(1602)に、一代目の弁慶鐘にならって造られたものです。
重さ2250kg、総高208.0cm、口径124.8cmで、一代目とほぼ同じくらいの大きさになっています。
「三井の晩鐘」として名高いこの鐘は、鐘楼の隣にある案内所で冥加料(300円)を納めると、誰でも撞くことができます。
そして、この鐘にも伝説が残されています。
一代目の伝説も龍神が関わっていましたが、二代目もやはり龍神です。
琵琶湖の湖畔に住んでいた若者が、道端で子供たちにいじめられていた蛇を助け、琵琶湖に放してやりました。
その夜、若者のもとに美しい娘が訪れ、やがて二人は夫婦になりました。
身ごもった娘は
「けっして見ないでください」
と言い残し、産屋に入りました。
だが、男が心配のあまり中を覗くと、そこには大蛇がいたのです。
娘は龍神の化身だったのです。
娘は、もう湖に戻らなければならないといい、乳がわりにと自分の片目をくり抜いて赤ん坊に握らせ、去っていきました。
赤ん坊はそれを吸って育ちますが、やがて舐めつくしてしまったので、もう片方の目玉も与えます。
両眼を失った龍女は、
「私はもう盲目となり、あなたたちのいる方向がわかりません。どうか三井寺の鐘を鳴らして、ふたりの無事を知らせてください。」
といいました。
以来、男は朝夕、子供を抱いて鐘を鳴らし続けたといいます。
似たような話は全国に結構存在しますね^^
でも、時代を超えて龍神に結びつけるストーリーが生まれるということは、琵琶湖には竜が住んでいる、と古くから考えられていたのでしょうね^^
ちなみにこの鐘、頂部の2匹の竜頭のうち、女竜の方は目玉がないそうです。
上の方なので見えないのが残念ですけどね^^;
三井の晩鐘ですが、大晦日にも撞くことができます。
除夜の鐘は、煩悩の数にちなんで108回撞くものとされていて、その数で制限するお寺はたくさんありますが、三井寺ではそれ以上の人数でも撞かせてもらえます。
それには理由があって、三井寺ではこの故事に倣って、撞けば撞くほど龍神の供養になるので、より多くの参拝者に撞いてもらっているのだそうです。
龍神もこの鐘の音で1年の終わりを知り、新年を迎えて通力をいっそう強くするのだとか。
とはいえ、参拝者は多いので22時半から整理券が配られるようです。
大晦日~元旦の明け方までは、拝観料、駐車料金は無料ですが、鐘を撞く場合は冥加料2000円(授与品付き)が必要になります。
ただし、条件は変わる可能性がありますので、公式サイトなどもご確認ください。