福井県境に近い椿坂峠から琵琶湖に流れる余呉川の下流に、西野という集落があります。
この集落の中心に西野薬師堂というお堂があって、伝教大師 最澄が刻んだとされる立派な薬師如来と十一面観音が本尊として祀られています。
西野という地域についてですが、このあたりは湖側を賤ヶ岳をはじめとする山々に囲まれ、東側を余呉川が流れています。
そのような地形なので、このあたりは大雨になると川が氾濫して冠水し、大きな被害を受けてしまうような場所でした。
そこで江戸時代に住民が私財を投じて作ったのが「西野水道」という、余呉川から琵琶湖に水を送る放水路です。
ノミだけで琵琶湖まで200~300mの距離を彫り続け、5年がかりの難工事を経て完成させたのだそうです。
西野薬師堂はそのような地理的条件のある地域に建つお堂です。
西野地区にはかつて「
西野薬師堂の前身寺院です。
延暦年中(782~785)、最澄はこのお寺に薬師如来、十一面観音、十二神将を刻んで納めたのだそうです。
泉明寺は、西野の集落の山手にあたる寺山という場所にあったそうですが、現在残っている寺山の広大な大地から推測すると、大きな伽藍を構えていたと考えられています。
天台宗に属して大いに栄えたこのお寺は、後に多くの戦乱で荒廃し、永正15年2月(1504年)、浅井氏の兵火によって堂宇を焼失してしまいました。
しかし村人たちは、御本尊様たちを救い出し危うく難を逃れたのだそうです。
現在、御本尊様たちは充満寺に所属する薬師堂に安置されています。
それが西野薬師堂です。
御本尊は撮影禁止ですが、写真が販売されていたので購入しました。
こちらで紹介します。
購入した写真を並べていますが、実物もこのように並んで立たれています。
左側は「木造 十一面観世音立像」。
ヒノキの一木造りで像高166.7cm。
目鼻立ちは穏やかで慈愛に満ちた表情、重量感あふれる堂々としたお姿です。
右側は「木造 伝・薬師如来立像」。
ケヤキの一木造りで像高159.4cm。
「伝」となっているのですが、これは色々と理由があります。
まず、薬師如来の象徴である薬壺を持っていません。
仏教伝来初期の薬師如来は薬壺を持たないものもあるのですが、この仏像は平安時代中期頃の作とされています。
この時代に薬壺を持たないものは類例が少ないんです。
しかも、薬壺を持たない代わりにどうなっているのか、というと、親指と人差し指を重ねる手の形をしています。
これは阿弥陀如来の来迎印なんですね。
しかしながらその両手先は、江戸時代に補われたもの。
なので、造られた頃は、どのような印相をしていたのかわからないんです。
しかし、この村では代々薬師如来であると言い伝えられていますし、当時は己高山で天台宗が勢力を振るっていたので、この像は薬師如来であると考えられています。
写真はないのですが、御本尊の左右に位は十二神将のうち辰と巳を司る大将が2尊いらっしゃいます。
いかにも平安時代作な感じなのですが、昔はこの2尊だけでなく十二神将が全員揃っていたようです。
戦乱で2体しか残らなかったんでしょうね。
ご朱印
西野薬師堂のご朱印です。