滋賀県高島市にある
琵琶湖と比良山系に挟まれて立つこの神社は、全国各地に150社以上ある白鬚神社の総本宮です。
「白鬚神社」というと、東京の向島にある神社が有名ですが、そもそもはこちらが本家で、こちらから勧請(お呼びして祀ること)したものが向島にあるのです。
その白鬚神社は琵琶湖の西側、国道161号線沿いにあるのですが、走っていると必ず目にするのが上の写真の鳥居です。
神社の駐車場に止めて、湖岸に降りることができるのですが、水がとてもきれいなんですよね^^
向こうに見えるのは琵琶湖最大の島、沖島です。
きれいな琵琶湖が見たくなって、参拝しに行ってみました。
霊験あらたかな比良明神を祀る本殿
本殿は比良山側、湖中大鳥居から国道一号線を挟んだところにあります。
上の写真の鳥居から見えているのは拝殿です。
この後ろに本殿があります。
なかなか立派な本殿&拝殿です。
白鬚神社の創建は、十一代垂仁天皇二十五年(紀元前四世紀)、皇女の
近江最古の神社ともいわれているんですね。
現在の境内の建物は桃山時代に豊臣秀頼によって整備されたもので、重要文化財に指定されています。
祀られている神様は、
古事記の天孫降臨の場面に出てくる道開きの神様です。
地元では「比良明神」または「白鬚明神」と呼ばれています。
猿田彦命は、伊勢神宮の
なので「道開きの神」なのですが、「道」にも色々な意味があって、「交通安全」や「航海安全」という意味から、自分の前に立って善き方に導いて下さるという意味でもあります。
猿田彦命については、一般的には天孫降臨の話が有名ですが、白鬚神社に伝わる「白鬚大明神縁起絵巻」に、この地にやってきたことが書かれているんです。
このような感じの内容です。
天孫降臨後、猿田彦命が伊勢から近江にたどり着くと、そこには大きな湖や霊峰がありました。
「これは良いところだ」
と、舟で釣りを楽しんでいるうちに、気がつけば白鬚の老翁になっていたのです。
なんとものんびり。。
うらやましいですね^^;
そのようにして生まれたのが、猿田彦命、改め「白鬚明神」というわけですね^^
白鬚明神は「石山寺縁起絵巻」にも登場します。
石山寺を開いた良弁僧正と、東大寺の大仏設立に関するエピソードです。
大仏建立にあたり、聖武天皇は建立に必要な「金」が出土する地を探していました。
しかし、なかなか見つからなかったので、東大寺の僧「良弁」に祈願を命じたのです。
良弁」が吉野山で蔵王権現に祈っていると、
「勢多にある如意輪観音の霊地で念ずれば黄金は手に入るだろう」
とのお告げがありました。
そこで勢多に向かうと、巨石の上に座って瀬田川に釣り糸を垂らしている老人がいたのです。
どなたか尋ねてみると、老人は「比良明神」だといいます。
その老人は、
「ここは如意輪観世音の霊地。ここで祈れば「蔵王権現」と「観音」、そして私こと「比良明神」の霊力が合わさって、黄金は見つかるだろう」
と言い残し、掻き消えました。
それから良弁はここで庵を結び、念じていると、陸奥の国で黄金が出たとの知らせが入ったのです。
霊験あらたかでありながら、のんびりとした神様ですね^^
名前に「白鬚」とつくことから、長寿の神様としても信仰されています。
絵馬にも立派な白鬚を生やした白鬚明神が描かれています。
白鬚神社は、このあたりで行われている「西近江七福神巡り」では寿老神に当てられています。
山を背後にして並ぶ社殿
本殿の背後には比良山系がそびえたっていて、段上に社殿が並んでいます。
一番下に若宮神社があって、その横の階段から上がることができます。
上ったところにある、社殿。
左奥は、高良神社・八幡神社・賀茂神社の三社の合同祭祀、真ん中が伊勢神宮 内宮、右側が伊勢神宮 外宮の神様となっています。
この高さからの琵琶湖の眺めも気持ち良いです^^
この場所には紫式部の歌碑があります。
「三尾の海に 網引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」
と書かれています。
紫式部が若いころ、この地を通った時に詠んだ歌なんです。
ある時、父である藤原為時が越前の国司になったのですが、紫式部はそれに従って京を発ちました。
逢坂山を越え、大津から船で湖西を通って越前に向かうのですが、途中、高島の三尾崎の浜辺で、漁をする人々の見慣れない光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだのがこの歌です。
紫式部にとって、この長旅は生涯一度の体験だったのだそうです。
もう一段上にあがると、また摂末社があります。
こちらは左から天満宮、稲荷社、寿老神、鳴子弁財天。
ここから奥は山の斜面になっています。
ちょっとだけ登ると、もうひとつ社があります。
それがこの岩戸社。
横には注連縄を巻かれた大きな岩が祀られています。
ここまで来ると、下の摂末社の場所と比べて空気が違うんですよね^^
パワースポットにもなっていそうです。
岩戸社を横から見ると「社殿」というよりも「古墳」という感じですね。
中はちょっとした石室になっていました。
どのようないわれがあるのかはわかりませんが、本殿をはじめとする社殿が山に向かって並んでいるので、元々は山への信仰があったのだと思います。
そして地元の豪族が祖先の霊も祀るようになったのかもしれないと思ったのですが、ここのさい銭箱に菊の御紋がありました。
皇族と関係があるのでしょうか?
その辺はわかりません^^;
湖中大鳥居の謎
湖中大鳥居は、なぜ水中に建っているのか?
本殿は比良山系の地にあり、社殿も山に沿っているのに、なぜ水中にあるのか?
不思議に思っていたんですよね^^
でも調べてみると、弘安3年(1280年)の絵図があって、それによると、この鳥居は陸上に描かれているのだそうです。
なので元々は普通に陸上にあった鳥居なんですね。
そしてその後、琵琶湖の水位上昇に伴って、水中に建つようになったのだそうです。
特に深い意味はありませんでしたね^^;
鳥居を見ていると、ジェットスキーに乗った人たちが3組ほどやってきました。
そしてこの鳥居の間を通って行ったんですね^^
なんともうらやましい^^
こういうこともやってみたいですね♪
それと、白鬚神社は初日の出のスポットとしても有名です。
YouTubeに動画をアップしている方がいたので、お借りしました^^
やっぱりこの風景、最高ですね^^