琵琶湖沿いの賤ヶ岳から南、山本山に伸びる尾根沿いに「松尾」という地区があります。
高月町の西北部で、のどかな風景が広がっています。
その松尾地区の北側、山沿いに覚念寺というお寺があります。
このお寺は、かつて己高山七ヶ寺の一つであった、
己高山七ヶ寺というのは、木之本町にある己高山一帯で栄えた天台密教の有力寺院です。
己高山仏教は、古代から中世にかけて一大仏教圏になるほど栄えました。
奈良時代の僧、行基が開基し、白山信仰の祖、泰澄が行の道場を整え、天台宗の祖、最澄が中興しています。
七ヶ寺は、最澄が国家安泰と人々の幸福を祈願して建立したお寺で、
- 法華寺
- 石道寺
- 満願寺
- 安楽寺
- 松尾寺
- 円満寺
- 鶏足寺
の七ヶ寺となっています。
松尾寺は最後に七ヶ寺目を決めるにあたって建立されたお寺です。
つまり、七ヶ寺の建立の話が松尾寺の縁起になっています。
最澄は七ヶ寺を建立するにあたって、郡内の名山、名所を求める一方、己高山鶏足寺の宝殿において七日七夜にわたり法華経を読み、止観練行という修行をして、その地を決定しようとしました。
しかし、六ヶ寺までは簡単に決まりましたが、残り一ヶ寺については、その場所がなかなか決まりませんでした。
止観練行のちょうど六日目の夜、南西の方向から車輪のような光がさし、鶏足寺の本堂が昼間のように明るくなりました。
これはまさに観音の力であると、最澄が光の元をだどると、深い森の中の大きな一本杉にたどり着きました。
その木の根本で、
「なんと不思議なことだ」
と思い、無心に法華経を唱えて合唱をしていると、一人の美女が現れ、
「私はこの地で、偉いお坊さんに会いたいと長らく待っていました。
昼は余呉川の深い川底に住み、多くの人々に被害を与えて参りました龍でございます。
しかし、泰澄和尚がこの地へ来られた時、仏門に帰依しました。
その後は大森大明神として、干ばつのときは雨を降らせ、万民鎮護の神として、抜苦与楽の働きをして参りました。
今、あなたが来られたのは、七ヶ寺目の寺を求めてのことでしょう。
それは、ここから峰づたいに松尾山へ行かれると、白鳩がたくさん止まっている古松の大樹があります。
その木で仏像を造り、その麓に寺を建立しなさい。」
と言って姿を消しました。
最澄は直ちに大樹を求めてその地へ行き、その霊木で自ら十一面観音と脇侍の二尊を彫刻して、本堂に安置しました。
これが松尾寺の縁起です。
この観音様を信仰すると、
現世ではあらゆる病苦・災難から逃れ、後世には極楽往生間違いなし!
といわれています。
霊験あらたかですね^^
覚念寺の階段を上ると、本堂が見えてきます。
しかし、松尾寺の縁起に出てくる観音様はここではありません。
ここの裏手にある階段を上ります。
段数は少ないけど急な石段です^^;
足腰が心配な方は、右側の緩やかな道から行くこともできます^^
階段を上るとすぐ、観音堂があります。
ここに、縁起に登場する観音様が祀られています。
こちらです。
仏像制作で杉材を使うのは珍しいのですが、それは縁起によると霊木であったからということになっています。
高さは103.4cm。
木目がキレイな流れを描いていました。
観音様に見とれていると見逃しがちですが、足元には、右側に伝教大師最澄・左側に慈覚大師円仁の像が安置されていました。
ただし、両大師像は脇侍ではありません。
脇侍は、毘沙門天と不動明王。
こちらが毘沙門天。
そして不動明王。
ちょっと腰のひねりが強すぎてバランスが悪い感じもしますが、それが味になってカッコよくもなっています^^
最後に、観音堂から見える景色です。
ご朱印
松尾寺のご朱印です。