かつて一大仏教圏が築かれた湖北地方の霊場、己高山から少し南に下ったところに、高野神社があります。
ここの境内には、神社の本殿以外に薬師堂と大師堂があります。
「観音の里たかつき ふるさとまつり」では、「高野大師堂」と紹介されていて、参拝寺院の一つになっています。
その名前から、弘法大師 空海の像が安置されているのだろうと思っていたのですが、全然違いました^^;
こちらが境内に入って左奥にある大師堂。
ここは「こうや だいしどう」ではなく、
高野山とは全く関係がありませんでした^^;
よく考えれば、己高山仏教は、天台宗の祖、最澄が中興した寺院群です。
なのでほとんどが天台寺院なんですよね。
天台宗のおひざ元に、弘法大師が祀られているのはまずありえないでしょう^^;
そしてこちらが大師堂に安置されているお大師様。
この地では、古くから伝教大師 最澄の像であると伝わっています。
「伝・伝教大師坐像」として重要文化財にも指定されているんですね。
しかし、最澄というと、頭巾をかぶった姿が一般的ですから、この像は最澄っぽくないですよね^^
実はこの像、その後の調査によると、左手に独鈷杵、右手に念珠を持つ姿から、慈恵大師 良源であることがわかったのだとか。
「
良源の命日が正月の3日だったので、通称「元三大師」と呼ばれているんですね。
この絵に見覚えがある人もいると思いますが、これが元三大師です。
元三大師のことは、以前にも記事にしたことがあります。
元三大師 良源は、第18代天台座主で、比叡山中興の祖となった人物です。
観音菩薩、あるいは不動明王の化身と考えられ、また、厄除けの大使、予言、おみくじの創始者として今なお広く信仰されています。
伝教大師の再来といわれ、幼少のころより学才に秀でていて、その学識は高く、比叡山はもとより南都の僧にも及ぶものもいなかったのだそうです。
それで周りからおされて、良源は康保3年(966年)から天台座主を務めたのですが、その頃の叡山は、たび重なる火災と、諸堂の老朽化で荒廃をきわめ、開創以来の危機に直面していた頃でした。
座主となった良源は、諸堂の整理、教学の交流など、叡山の復興に大いに力になったのです。
そんな元三大師 良源は、湖北地方の虎姫町の出身なのだそうです。
高月町から南へ行ったところなので、非常に近いんですよね。
高野の集落にもなんらかの関わりがあったのでしょうね。
そしてお次は、高野神社の中心にある薬師堂。
神社の境内のはずなのに、中心が神社の本殿ではなくて薬師堂になっているのも不思議な感じですね^^;
でも、そのような配置になっているということは、このお薬師様が神社の神様の本地仏なのかもしれません。
そしてこちらがお堂の中。
中央には、唐破風の屋根もついた立派な厨子に、お薬師様が安置されています。
おヒゲを生やしたかわいらしいお薬師さんですね^^
お薬師さんの周りには、日光・月光菩薩をはじめ、不動明王やカラフルな十二神将が安置されています。
横お堂内の横の方は物置も兼ねていて、これらの像も無造作に置かれている感じはありますが、ここまで揃えているお寺は珍しいですよね。
何か由緒あるお寺だったのでは?と思っていると、やはり元はそのようなお寺でした。
己高山縁起によると、この薬師堂はもと己高山満願寺というお寺で、「
つまり、かつてこのあたりで栄えた己高山仏教の中心寺院の一つですね。
最盛期には48もの坊を配し、高野区内では現在も堂宇跡を連想する地名が多く伝えられているのだそうです。
一体一体、お顔を見ていくととてもユニーク。
完成されていない感じが、手書きのアニメみたいでかわいかったです^^
ご朱印
高野大師堂のご朱印です。