滋賀県の近江八幡市といえば、風情溢れる街並みが残る観光名所。
よく時代劇の撮影にも使われています。
豊臣秀次が基礎を築き、その後は近江商人の町として発展。
今でも八幡山の麓にある日牟禮八幡宮を中心に賑わいを見せています。
そこからほんの少し西に15分ほど歩いたところにあるのが「願成就寺」です。
いかにもご利益がありそうなお寺の名前ですね^^
このお寺の歴史は豊臣秀次の時代よりも古く、開創は推古27年(619年)、聖徳太子が開基とされています。
聖徳太子は、日本に仏教を定着をさせようと、諸国に48の寺を建立しようと考えていました。
そして近江の地で最後にこのお寺を建てて目的を達成、願いが成就した、ということで「願成就寺」と名付けられたとなっています。
なかなか情報の少ないお寺ですが、2017年3月25日~27日の三日間、秘仏の本尊 十一面観音菩薩(重文)が御開帳すると滋賀県の観光情報サイトに掲載されていました。
このご本尊、なんと四十九年に一度の御開帳というレアさ!
ただし、四十九年だと長すぎるので、実際は中開帳を入れることで二十五年に一度の御開帳となっています。
それでもなかなかお目にかかれないレアさですね^^
そして他にも日牟禮八幡宮の本地仏といわれる阿弥陀如来や、四天王、五大明王、さらに年二回御開帳の地蔵堂本尊 木ノ中延命地蔵大菩薩(重文)も拝観できるとのこと。
なかなか貴重な機会ですので、拝観しに行ってみました。
明治にいたるまで願成就寺は、日牟禮八幡宮の別当(神社を管理するお寺)として八幡山の西南にあったそうです。
しかし後に、豊臣秀次が八幡山に城を建てましたので、その時に鷹飼村(現・鷹飼町)に移転、さらにその後、小舟木町の日杉山の上に移って現在に至ります。
お寺の入り口は急な階段になっていて、今回はどれくらい登るのかと思いきや、お寺は登ってすぐでした^^
境内に入ると、奥の方に本堂と不動堂が建っていました。
ここに御開帳中の十一面観音をはじめ、諸仏が祀られています。
私は御開帳初日の朝に訪れたのですが、既に人が並んでいました。
本堂の外には、ご本尊に直接つなげている結縁手綱がありました。
この紐を手にもって手を合わせておく、こうすることでこちらの観音様と結縁を結ぶことができます。
本堂内に入ると、まずいらっしゃるのが日牟禮八幡宮本地仏の阿弥陀如来立像。
南北朝時代の作です。
「本地仏」というのは、簡単に言えば神様の本来の姿のこと。
この仏像は、日牟禮八幡宮の神宮寺か、本殿に祀られていたのではないか?といわれている像です。
そしてこの像はかなり霊験あらたかなのだとか。
この像に祈願して病気が治った方もいるそうで、毎年氏子町が交代で阿弥陀如来の掛け軸を持ち寄り、この像のまわりに飾って法要を行うのだそうです。
普通、病気平癒などはお薬師さんを祀るのが一般的ですから、こちらのパターンは珍しいですね。
そして御開帳中の十一面観音。
像高約107cm、カヤの一木造りです。
お顔は丸くふっくらとしていて優しい表情なのだけど、口元は固く閉ざしています。
パーツだけ見ると厳しめなのですが、全体でみると優しい雰囲気がある不思議な仏像ですね。
下の画像は、本堂で購入した写真を写したものですが、左が十一面観音です。
聖徳太子作とされていますが、平安時代あたりの仏像ではないでしょうか?
左の写真は木ノ中地蔵尊。
こちらも聖徳太子作と伝わる地蔵尊です。
「木ノ中」という名前が気になりますが、これは一本の木から三体切り出されたうち、真ん中の部分で彫りだされたことからこの名前がついているのだそうです。
聖徳太子作にしては立派な衣文に仕上がっていますが、こちらは鎌倉時代の作といわれています。
子供を守るお地蔵さんで、「ひきつけ」や「小児てんかん」に利益があるそうです。
願成就寺名物、願いがかなう願成就絵札
本堂前に仮説のテントで出店があったのですが、その中にこんなものがありました。
願成就絵札というもの。
全部で12種類あります。
この絵札、郵送でも受け付けているようです。
詳しくはこちら⇒京街道門前通り/願成就絵札
この絵札はシールになっていて、名前と住所を書いて願成就寺の奉納板に貼り付けると、お寺で祈願してくれるのだそうです。
私は商売繁盛を祈願しました^^
願成就寺の御朱印
願成就寺の御朱印です。
びわ湖百八霊場のひとつとなっているようです。
願成就寺は入口すぐのところに中心お堂があるので、そんなに広くない感じがしますが、実は約4万㎡もあるそうなんです!
木々に囲まれてわかりにくいですが、山内に四国八十八ヶ所霊場のお砂が埋められていて、ここでミニ四国八十八ヶ所巡りができるそうです。
所要時間は1時間30分ほど。
結構時間かかりますね^^;