あべのハルカス美術館で行われている「高野山の名宝」展に行きました!
高野山は今年で開創1200年を迎えます。
それを記念して今年は色々とイベントが行われますが、この展覧会もその一環です。
こちらが展覧会のポスター。
かっこいいですね^^
一番の注目は、ポスターの表紙にもなっている運慶作、八大童子像ですが、それ以外にも見ごたえのある名宝がたくさん来ていました。
ほとんどが金剛峯寺所蔵のものですが、60点もの名宝が来ています。
こちらは美術館の前に置かれていた吉野蔵王三鈷杵。
両手で抱えるほどの大きさなのですが、これは、金剛峯寺所蔵の
高野山の結縁行脚でも使われているようで、これを撫でてお大師さまとご縁を結ぶそうです。
飛行三鈷杵というのは、唐での修行を終えた空海が日本に帰る直前に、
「密教を広めるのに最適な地を示したまえ」
と、日本に向かって投げたものです。
その三鈷杵が見つかったのは、高野山の御影堂前。
松の枝に引っかかっていたんですね。
なので、飛行三鈷杵と名付けられています。
さすがに本物の飛行三鈷杵は、展覧会には来ていませんでした^^;
では、今回もいくつかポストカードを購入しましたので、紹介します。
今回の展覧会で、長々と眺めていたのがこちらでした。
丹生明神と狩場明神は、高野山開創に深くかかわる神様で、高野山北西にある
この二幅の掛け軸は、ポストカードだとわかりにくいですが、結構きれいだったんですよね^^
表装なども含めて、芸術作品でした。
この丹生明神と狩場明神はそもそも何者なのか?というと、このあたりの地主神です。
丹生明神の息子が狩場明神なので、親子神ですね。
狩場明神(高野明神とも呼ばれる)は狩人の姿で、二匹の犬を連れているのですが、唐から帰国した空海が先ほど話にでた飛行三鈷杵を探している時に出会ったのが狩場明神です。
そして、飛行三鈷杵のところまで空海を案内したんです。
密教を広めるのに最適な地を見つけた空海は、続いて丹生明神に会い、丹生明神から高野山を譲り受けたというわけです。
高野山は神様にも畏敬の念をもって大事にするところですから、今でも高野山の僧は丹生都比売神社への参拝は欠かさないそうですよ^^
続いてはこちら、高野山金剛峯寺孔雀堂の本尊で、快慶作の孔雀明王坐像。
孔雀は毒蛇をも食べることから、諸々の害を取り除いてくれるものとされていて、それを神格化したのが孔雀明王です。
この像は、さすが快慶作とあって端正でどの方向から見ても美しい仏像です^^
後ろの光背も孔雀の羽根、右手に持っているものも孔雀の羽根です。
孔雀に乗っているので、間近で見ると結構大きく見えます。
腕の配置バランスや孔雀の翼のカーブも見事でした♪
この孔雀明王の鋭く切れ長の眼つきは快慶らしい特徴が現れているのですが、一般に孔雀明王は明王の中でも唯一、忿怒相をしていない明王です。
菩薩のように穏やかなので、菩薩扱いされることもあります。
主に、息災法の本尊として祀られるようです。
日本ではあまり見かける明王ではありませんが、奈良時代には雨乞いのために祀られていたこともあります。
お次は、同じく快慶作の執金剛神立像。
このポーズ、蔵王権現のようですね^^
東大寺法華堂に安置されている執金剛神立像とはまったく違った趣きがあります。
東大寺の執金剛神は、今からやり投げをするかのような格好で、下から見上げるとものすごい迫力があります。
こちらはどちらかというとスタイリッシュ。
こういう作りは快慶が得意とするところですね^^
しかしこの作品、快慶作と明らかになったのは、なんと2011年!ごく最近なんです^^
内部から古文書が見つかり、快慶の作を示す梵字もあったのだそうです。
文書によると、この文書は、平安時代末期に東大寺を再興した重源上人が書いたもので、重源の要請で快慶が作ったようです。
そして東大寺で作ったものを重源が高野山に安置したというわけです。
そしてこちらの四天王立像。
こちらも同じように快慶が東大寺で作り、重源が高野山に安置したのですが、東大寺大仏殿の四天王像のひな型にもなっているという説がありますから、高野山と東大寺は結構深いつながりがあったようです。
そして注目の八大童子像がこちら。
もはや戦隊もののようですね^^
動きある迫力、荒々しさはやはり運慶らしい感じがします。
実際に美術館でもこの八大童子像がずらっと並んでいて、圧巻でした。
本尊の不動明王は平安時代の作で、八大童子像のほとんどは鎌倉時代でしかも運慶作。
表現方法のレベルがぐっとあがっているので、本尊よりも目立ってしまっている感じですね^^;
「高野山の名宝」展は、3月8日まで。
それまで展示替えが6回もあります。
詳しくはあべのハルカス美術館の公式サイトでご確認ください。