琵琶湖の北の方、滋賀県長浜市にある高月観音の里 歴史民俗資料館に行きました!
小さな資料館ですが、湖北地方の観音様に関する数少ない情報が得られる貴重な場所です。
今ここで、特別企画「戦火をくぐり抜けたホトケたち」が開催されています。(平成26年12月28日(日)まで)
平成26年の大河ドラマは「黒田官兵衛」ですが、同じく12月28日まで長浜市で「黒田官兵衛博覧会」というイベントをやっています。
資料館の企画も、これに連動しての企画です。
山崎の戦いで明智光秀を破った秀吉は、その後、信長の後継をめぐり柴田勝家と対立します。
そこで行われたのが、賤ヶ岳の戦いです。
織田の勢力を二分しての激しい戦いだったのですが、官兵衛や息子の長政のかつやくもあり、ここで柴田勝家を破って秀吉軍は勝利。
めでたしめでたし・・・
と言いたいところですが、戦場となる土地では地元住民が損害を受けるわけですね^^;
この地方でも民家やお寺が巻き添えを食らい、ことごとく焼けてしまいます。
住民たちは戦火の中、仏像を土に埋めたり川に沈めたりして、なんとか仏様を守ったんです。
このようにして住民が仏様を守ったのは、賤ヶ岳の戦いだけではありません。
戦国時代、湖北地方は交通の要所だったこともあり、何度も戦乱の舞台になっています。
まず元亀元年(1570)、浅井長政・朝倉義景軍と織田信長軍による姉川の合戦。
そして天正元年(1573)、浅井軍と織田軍による小谷城の戦い。
戦だけではありません。
比叡山焼き打ちに付随して焼かれた天台宗の末寺は直接焼かれています。
湖北の地を歩けば、右を向けば姉川の合戦のあった場所、左を向けば賤ヶ岳の戦いのあった場所が眺められるんです。
そういう場所なんですね^^;
「戦火をくぐり抜けたホトケたち」のポスターの表紙になっているのは、木之本町にある西黒田安念寺に祀られていた仏像。
通称「いも観音」と呼ばれています。
お寺は織田信長の焼き打ちにあって全焼したのですが、仏像だけは村人が門前の田んぼの中に埋めて隠したので、消失は免れました。
ただ、ご覧の通りのお姿になってしまったんですね><
今ある湖北地方の仏像のほとんどはこういう形で伝わるものばかり。
それでも向源寺のように立派なお姿のままお戻りになられた仏像もあれば、こちらのように痛々しいお姿でお戻りになられた仏像もあります。
そしてもちろん、お戻りになれなかった仏像はたくさんあるわけです。
言い方を帰ると、湖北地方の仏様はそれだけ村人に大切にされていたということですね。
「戦火をくぐり抜けたホトケたち」は、12月28日まで行われています。
展示は入れ換わりがありますが、最後まで展示されているものは、西黒田のいも観音の他、尾山白山神社の破損仏や、川並地蔵堂の天部像と破損仏、宇根冷水寺の破損仏などがあります。
官兵衛博覧会と合わせて見れば、一層理解が深まると思います。