京都御所の南東、骨董品屋さんや茶道具屋さん、古美術商などが立ち並ぶ寺町通りの商店街の一角に、西国三十三観音霊場唯一の尼寺札所、行願寺があります。
お寺は元々一条油小路にあったのですが、火災や応仁の乱で焼失、1708年に現在の地に移転し、今では地元で「革堂
お寺の呼び名である「革堂」の由来は、このお寺を開いた行円上人がまだ俗人だった頃にさかのぼります。
行円上人がある日、狩りで鹿を射止めたのですが、その鹿が死ぬ間際に子供を産み落としていました。
それを見て殺生したことを後悔した上人は仏心を起こし、出家します。
そしてこのお寺を建立。
いつも殺生した鹿の皮をまとって「
京都市指定有形文化財に指定されている本堂には、天井に見事な花鳥を描いた彫刻があり、行円上人が刻んだという御本尊、千手観音が祀られています。
2.4mの大きな仏様で通常は秘仏なのですが、毎年1月17日~18日、初観音の日(10:00~15:00)のみ公開されます。
境内には都七福神巡りの一つ、寿老人神堂もあります。
豊臣秀吉が天下太平福寿円満を祈り、行願寺に祀ったと伝えられており、ここで寿老神のご真言、
「オンバザラユゼイソワカ」
を3回唱えると、福寿吉運が授かるそうです。
その他、京都市指定有形文化財に指定されている鎮宅霊符神堂や、愛染堂、加茂明神塔、百体地蔵尊もあります。
年に一度の幽霊絵馬公開
さらに、行願寺には幽霊絵馬伝説も伝わっています。
伝説によると、かつて行願寺の近くに質屋さんがあったそうです。
そこには、お文という娘が子守の奉公に来ていました。
ところが、お文の子守の仕方が、質屋のご主人には気に入らなかったそうなんです。
お文は行願寺の御詠歌を子守唄代わりに聞かせていて、子供が覚えるほどにまでなっていたのですが、それが問題だったのです。
実は、質屋のご主人は、熱心な法華信者(日蓮宗)。
行願寺は天台宗ですから、その御詠歌まで覚えさせてしまったということで、ある日お文のことをせっかんして殺してしまったのです。
お文の両親には、
「お文のことは知らない。どこかに逃げてしまった。」
とウソをついてはぐらかします。
悲しみに暮れた両親が行願寺にくると、幽霊になったお文が両親の目の前に現れて、事の次第を両親に話しました。
そして、自分の使っていた手鏡と共に埋葬して欲しいと願い出たのです。
その後、質屋のご主人の悪行はばれ、結果的に出家することになるのですが、両親が納めた手鏡と絵馬は「幽霊絵馬」として、現在に伝わっているのです。
こちらも通常は非公開なのですが、毎年六地蔵めぐりに合わせて大体8月22~24日あたりに公開されます。(撮影は禁止)
(日程は動く可能性があるので、詳細はお問い合わせください。)