京都の山科から宇治に向かう中間あたり、伏見から東側に、「日野の里」と呼ばれている場所があります。
鴨長明が方丈記を書いた場所で知られていたり、浄土真宗を開いた親鸞聖人の誕生の地とも伝えられている場所です。
この一帯はかつて、藤原北家の支流日野家の山荘があったそうです。
それで日野の里と呼ばれているのですが、このエリアでの信仰の中心となっているのが、日野家の菩提寺、法界寺です。
平等院鳳凰堂と同時期に建てられた、国宝の「阿弥陀堂」、そして安産、授乳、子育てに霊験あらたかな「日野薬師」が有名です。
しかし日野のお薬師さんは、普段は秘仏なので拝観することはできません。
しかも開帳するように安置されていないこともあって、なかなか御開帳しないんですね。
ところが、2016年の春期 京都非公開文化財特別公開の一環で、4月29日~5月8日まで、なんと51年ぶりの御開帳されたんです!
これはなんとしても行っておかねばと思い、拝観しに行きました^^
法界寺のはじまり 伝教大師 最澄ご自作の薬師如来
日野の里は、日野家の別荘地帯だったわけですが、永承六年(1051)、
日野家では、日野資業の5代前にあたる家祖、
それが法界寺の始まりです。
法界寺は現在、阿弥陀堂と薬師堂のみなのですが、かつては日野一族が私財を投じて伽藍を整備したこともあって、観音堂や五大堂なども建ち並び、荘厳美麗を極めていたそうです。
伽藍は後の兵火で焼失してしまったのですが、現在残っている阿弥陀堂では、栄華を極めていたであろう様子を垣間見ることができます。
法界寺 阿弥陀堂 末法思想の世界観が見られる国宝のお堂
国宝にも指定されている阿弥陀堂は、承久3年の火災後、鎌倉初期に再建された、創建時に最も近いものとなっています。
5間の檜皮葺、屋根が四方を向いた正方形の宝形造。
2階建に見えますが、それは
立派な造りですし、なかなか美しいお堂ですね^^
このお堂は、平安末期から出てきた「末法思想」をベースに浄土の様子を再現した、典型的な阿弥陀堂建築です。
末法思想をベースにして生まれたものはたくさんあります。末法思想はどういうもので、何を生み出したのか?について紹介します。
つまり、どうしても自分が死んだら阿弥陀如来のいる極楽浄土に行きたかったので、そういう世界観を盛り込んだ場所を作った、ということですね^^
平等院は、極楽浄土の世界を、鳳凰堂の中だけでなく境内の庭園まで広げた寺院で、法界寺にもそのような世界観が反映されています。
阿弥陀如来がいらっしゃる「極楽浄土」は「西の彼方」にあって、信者はこの世を全うしたら行くことができます。
はるかの彼方にあるので「彼岸」といいます。
「お彼岸」はここからきているんです^^
そのような理由があるので、浄土式庭園には阿弥陀堂の前に池が置かれ、阿弥陀堂側を「彼岸」、私たちがいる世界を「
法界寺もそれを表しているのか、阿弥陀仏は東の方を向き、阿弥陀堂の前には池が広がっています。
私が訪れた時の池はこのような感じでしたが、7月中旬~8月上旬頃には蓮が開花します。
蓮も極楽の世界観を表すので、その時期に見に行くのも良いですね^^
蓮は早朝に花が咲くので、蓮が目的の場合、なるべく開門時間の9時頃に行くのがオススメです。
阿弥陀堂に入ると、中心には像高280cm、檜の寄木造で漆仕上げ、定朝用で丈六サイズの阿弥陀仏が鎮座しています。
赤ちゃんのように童顔で優しい顔でゆったりと座り、繊細で優美なお姿をしていらっしゃいました^^
写真は、法界寺で頂いた朝日新聞の特集記事を撮影したものです。
光背には飛天が透かし彫りで彫られています。
この大きな阿弥陀仏、元々は5体あったのだそうですが、4体は承久の乱で焼失してしまい、残った1体が現在に伝わっているそうです。
堂内の見どころは阿弥陀仏だけではありません。
像の周りでお堂を支えている4本の四天柱には、たくさんの仏が書かれていたであろう様子が残っています。
お堂に入ると、それがまず目に入るんですよね。
創建当時は、鮮やかな極彩色で、
上の方を見上げると、
それが阿弥陀仏の四方を取り巻いているんですね。
阿弥陀仏の周りを一周できる常行堂形式を取っているので、歩きながら上を見上げると、場所によっては形がわかるものも見られました。
ただ、堂内は暗く、しかも高い位置にありますので、肉眼でその形をはっきり認識するのは難しいです。
雰囲気だけを味わうのならそれでも良いと思うのですが、細かく見たいなら双眼鏡や単眼鏡を持っていった方が良いですね。
それにしてもこの世界観、まさに平等院の鳳凰堂そっくりなんです。
鳳凰堂の創建も1052年で、法界寺の創建とほぼ同じ時期。
この時代の人がいかに浄土の世界に強い憧れをもっていたのかがわかりますね。
日野薬師と呼ばれる、安産・子育てに霊験あらたかな薬師如来
法界寺は、上で紹介したように阿弥陀信仰の世界観もすごいのですが、薬師堂には霊験あらたかな日野薬師さんもいらっしゃって、薬師信仰も盛んです。
しかも、創建の時からずっと残っているお薬師さんなんですよね^^
この日野薬師さんは像高88.8cmで平安後期の作。
この時代の仏像としては珍しい桜材を用いた寄木造です。
先ほども紹介しましたが、このお薬師さんの胎内には、伝教大師 最澄ご自作の、3寸ほどの大きさの薬師如来の小像が納められています。
このようなお姿が胎内に子を宿した姿に見立てられ、古くから安産や授乳の霊像として信仰を集めているんですね。
お乳が出るようになるということで「乳薬師」とも呼ばれているそうです。
授乳でお困りの方は参拝マストなお薬師様ですね^^
薬師堂の格子戸には、母親達が願い事を書いたよだれかけがたくさん奉納されていました。
写真は、堂内が撮影禁止だったので、寺務所で販売されていたものを撮りました。
普段は薬師堂の外陣で参拝をして終わりなのですが、今回は特別拝観中でしたので、内陣に入ることができました^^
内陣はかなり暗くなっており、係の人が懐中電灯で足元を照らしてくれます。
仏像は小さなLEDライトで照らされて見えるようになっていました。
内陣には真ん中に厨子があって、扉が固く閉ざされています。
厨子の両脇には、鎌倉時代の慶派の仏師によるものと考えられている像高60cmあまりの十二神将が6体ずつ立っていて、それぞれ十二支の干支を頭に乗せ、それぞれが躍動感のあるポーズを取っています。
暗くても間近で見れるので、その迫力には息をのみますね^^
そしてご本尊の薬師如来は、厨子の横から見れるようになっていました。
横から見るので横向きの姿なのですが、横からじゃないと見れなくなっているのは、厨子の構造上の問題があるようです。
このお薬師さんは、明治時代にお堂を再建する際にこちらに移したのですが、元々長らく秘仏として保管されてきたもので、今後も秘仏として公開することを想定していなかったのだそうです。
そのため、正面の厨子の扉には大きな鏡が付いていて、その鏡があるために扉をあけることができなくなっているのだそうです^^;
そんな秘仏で霊験あらたかなお薬師さんのお姿がこちら。
画像はお借りしました^^
画像:平成28年度 春期 京都非公開文化財特別公開 「拝観の手引」より
基本的に秘仏としてきたこともあって、切金文様がきれいに残っていました。
この写真でも多少見えますが、実際にはもっと間近で見ることができます。
お薬師さんの前には、日光・月光菩薩がいらっしゃるのですが、位置的に斜め後ろから見るような感じ。
ご本尊優先の観賞位置になってしまうので、特徴だったものは見つけづらくなっています。
年代を鑑定するようなプロの人は、斜め後ろから見るのが大事、と言うのですが、私のような素人にはよくわかりません(≧▽≦)
厨子の構造上ということもあって仕方ないのですが、できれば正面から見たかったですね^^
ただ、横からしか見れないのも、デメリットばかりではありません。
横から見れるからこそキレイに残った切金文様を目の当たりにできたんですよね。
近くでじっくり見るからこそわかるのですが、全て同じ模様ではないのがはっきりわかるほどでした。
正面だと仏様の前に仏具が色々と置かれますので、ここまで近づくことはできませんからね^^
そして、横から見るからこそ、手の形の美しさもわかるような気がしますね。
今回は51年ぶりの御開帳とのことでしたが、次の予定は決まっていないそうです。
法界寺の御朱印
法界寺では、阿弥陀如来と薬師如来、2種類の御朱印があります。
また、お薬師さんに関しては、西国四十九薬師霊場の第三十八番札所にも指定されています。
今回の特別拝観中は「御開帳」と書かれた印がプラスされた御朱印もあったのですが、私は西国薬師霊場の御朱印を集めていたので、西国薬師専用の印で頂きました。
西国薬師の御朱印です。
阿弥陀如来の御朱印です。
法界寺の伽藍は、阿弥陀堂と薬師堂のみなので、拝観時間はそんなにかかりません。
すぐ近くに、浄土真宗の開祖、
実は親鸞聖人は日野一族出身で、法界寺で生まれたんですね。
誕生院も10分くらいで参拝できると思います。
また、誕生院の裏手(左側の道)から、鴨長明が「方丈記」を書いたという、庵の跡(方丈石)に行くことができます。
こちらは山の中を歩きますので、歩きやすい格好を用意しておくのがおすすめですね。