酬恩庵 一休寺

とんちで有名な一休さん。
実は実在の人物がモデルになっています。

そのモデルというのが、室町時代の禅僧、一休禅師こと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

今回紹介するお寺は京都府京田辺市にある「酬恩庵(しゅうおんあん)」は、一休禅師が晩年を過ごしたことから、通称「一休寺」とも呼ばれています。

紅葉のスポットとしても有名なのですが、京田辺市は京都市内からはちょっとだけ離れているので、人混みを避けて紅葉を楽しめる場所です。

一休宗純ってどんな人?

一休さん

一休宗純は、室町中期~後期にかけての臨済宗大徳寺派の僧侶です。
アニメでは、まじめだけどユーモアのある少年、一休さんがとんちで難問を解決していくという流れですよね。

実は一休宗純には、晩年のお姿が描かれたものがいくつか残っていて、それを見ると印象が変わると思います。

このような感じです。

一休さん かるた

アニメの一休さんのイメージを抱いている方はちょっとびっくりするかもしれませんね^^

これは一休かるたの一枚ですが、実際の頂相(ちんぞう)(禅僧の肖像画)もこのようなお姿をしています。
髪はぼさぼさ、無精ひげも生えていて、とても僧侶とは思えない風貌。

実は、実際の一休宗純は破戒僧として知られているんです。

戒律で禁じられているはずの肉や酒の摂取は当たり前、男色や女犯もします。
他にも数々の奇行を逸話がたくさんあるのですが、とにかく破天荒なんですよね。

でもその破天荒ぶりには、ちゃんと理由がありました。

それは形骸化したものに対する批判だったということ。

本来は意味があったものでも、本質を忘れて形ばかりになると、何のためのものかわからなくなり、ついには意味がなくなってしまいます。
常識を疑い、真実と向き合うことを世間に訴え続けていたわけです。

一休さんのとんち話は江戸時代に生まれたそうですが、一休さんのそんな姿勢が表れているようですね。

一休さんについてもう一つ。

一休さんの出自についてですが、後小松天皇の落胤(らくいん)(父親に認知されていない子供)だったという説があります。

後小松天皇は、南北朝統一後初の天皇で北朝方の出身なのですが、一方の母は南朝方の貴族の出身なのです。
それでも後小松天皇の寵愛を受けて生まれたのが一休さんでした。

天皇家の血を引く皇子なのですが、残念ながら時代が味方をしませんでした。

一休さんが生まれたのは応永元年(1394)で、それは長らく続いた南北朝の争いがやっと終わって、その2年後のことなのです。
南北朝が統一されたと言ってもまだ日が浅く、まだギスギスが残っていそうな時期なので、そんな時に南朝方の娘から皇子が生まれるとなると、それを妬む人も出てきそうですよね。

ついには母親に対して、天皇を害しようと企んだという噂が広まってしまい、宮中を追われてしまったのです。
そして嵯峨の民家で人知れず子供を産みます。

千菊丸と名付けられ5歳まで育てられましたが、いずれ政局に巻き込まれるだろうことを恐れた母親は、幼い千菊丸を臨済宗の安国寺に出家させたのです。

アニメでも時々母上様に会いたい様子が描かれていますが、それはこのエピソードが採用されて描かれているのでしょうね。

一休寺ってどんなお寺?

一休寺 一休さん

一休寺は、一休宗純が最初に建てたお寺というわけではありません。
元々あったお寺を復興させたのが一休宗純なんです。

元々は、一休さんが生まれるよりも前の鎌倉時代、中国で禅を学んだ臨済宗の高僧「大應国師」が、禅の道場として建てた「妙勝寺」が始まりです。

しかし妙勝寺は、元弘の戦火(1331年~1334年)で焼け落ちてしまいます。
それを康正2年(1456年)、お寺が荒廃してから100年以上も後の世に一休宗純が復興させたわけです。

「酬恩庵」という名前は、宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味でと名付けたとのこと。

一休さんはその後、後土御門天皇の勅命で大徳寺の住持に任ぜられますが、大徳寺には住まず、酬恩庵から通うほどここが気に入っていたようです。

お寺の正式名は「酬恩庵」なのですが、それだけ一休さんと深い関係があったので通称「一休寺」と呼ばれるようになったわけですね。

一休寺 方丈と枯山水庭園

一休寺 方丈

一休寺には、住職が接客や仏事を行う「方丈(ほうじょう)」があります。

方丈の中央仏間には一休禅師木像が安置されています。
この像は、一休禅師が亡くなった文明13年(1481年)に作られたもので、一休禅師の遺髪と髭を植えたと伝わっているものです。

写真撮影禁止なので写真はありません。
ちょっと遠めに安置されているので、細かい部分を見たい方は、双眼鏡や単眼鏡を用意した方が良いですね。

また、一休禅師が大徳寺に通う際、実際に使っていた輿も方丈に残されています。

一休禅師御使用の輿

こういうものを見ると、一休さんって本当にいたんだなあと改めて思わされますね^^

方丈を囲む枯山水庭園は、名勝指定の庭となっています。
一番大きな庭は、方丈正面に広がる南庭。

一休寺 方丈庭園 南庭

方丈の縁側に座って眺めることができるので、気持ち良い空間です。

庭の向こう側にはは、一休の墓所(左)と、一休が晩年を過ごした虎丘庵(右)が見えます。

一休寺 方丈庭園 南庭

北庭は、岩がごつごつとした庭。

一休寺 方丈庭園 北庭

これは、仙人が住む「蓬莱」という仙境を表現しているんです。

京都市内の有名なお寺だと観光客がいっぱいで、気持ちを落ち着かせることができませんが、一休寺では静かに鑑賞することができるのも魅力の一つです。

一休宗純 晩年の住処 虎丘庵

一休寺 虎丘庵

虎丘庵は、一休が晩年を過ごした、茶室造りの建物です。
こんもりとした屋根が特徴です。

一休さんは、悟りを開いた高僧ですが、人間の欲というものを肯定していました。
そのことがわかるエピソードが虎丘庵にあります。

なんと、晩年になってから「森女」という盲目の女性に恋し、虎丘庵で一緒に過ごしているんですね。
そしてその性愛の様子まで、自身が書いた詩集『狂雲集』に残しています。

なんとも大胆で、常識にとらわれない人だったことがわかりますね。

虎丘庵は、残念ながら普段は非公開。
ただ、梅や紅葉などの季節に特別拝観が行われますので、拝観したい方はHPを確認の上行くと良いでしょう。
なお、拝観は住職によるガイドが付きますので、拝観日だけでなく、拝観時間も決められています。

虎丘庵の拝観に関しては、一休寺のfacebookページで確認するとより正確です。

一休宗純の陵墓 宗純王廟

一休寺 宗純王廟

虎丘庵の隣には、一休宗純のお墓「宗純王廟」があります。
「宗純王」と書かれていることや、扉に菊の御紋があることから、後小松天皇の落胤説は有力な説なのかもしれません。
現在は他の天皇陵と同じく、宗純王廟も宮内庁管轄となっていて、公開されることはありません。

でも、菊の御紋のところから覗くことはできますよ。

一休寺 宗純王廟

一休寺には一休さんのエピソードも

一休寺には、アニメの一休さんにも出てくるような一休さんにまつわるものが所々に散りばめられています。

まずは誰もが知っているこちら。

一休寺 このはしわたるべからず

「このはしわたるべからず」の橋。
なんともない小さな橋ですが、一休寺で見るとなんだか嬉しくなってしまいます^^

次は「屏風の虎退治」でお馴染み、虎の屏風。

一休寺 虎の屏風

一休寺の絵馬にもこのシーンが描かれています。

一休寺 絵馬

一休さんの顔出しは、よく見るとドクロを持った恐ろしげな一休さんになっています。

一休寺 髑髏

これには逸話があります。
一休さんが正月に竹竿の先に髑髏を挿して、街を歩いていたのだとか。

一年で一番めでたい日になぜそんなことをしたのか?

一休さんはこんなことを考えていました。

「新しい年を迎えることは、一つ老いるということ。つまり死に一歩近づくということ。それがめでたいはずがない」

そしてこんな句を詠んでいます。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

正月から不審者全開モードですね^^
でも、なぜそこまでしてそんなことを訴えるのか?

一休さんの紹介で書いていたことを思い出してください。
形骸化したものを批判していたんでしたよね。

祝いたい気持ちもわかるけど、その前に死に近づいているという現実も見据えて、今を大切に、精一杯生きようというメッセージだったのかもしれません。

一休寺の紅葉

一休寺は、規模は大きくないですが、紅葉のスポットとなっています。
例年の見頃は11月中旬頃。
京都市内よりは1週間ほど早い感じですね。

それに、京都市内の紅葉スポットはいつもたくさんの人で賑わっていますが、郊外にある一休寺は穴場となっていますので、静かな雰囲気で紅葉を楽しむことができます。

酬恩庵 一休寺 紅葉

酬恩庵 一休寺 紅葉

酬恩庵 一休寺 紅葉

一休寺グルメ 善哉と一休寺納豆

一休寺では、お寺内で善哉(ぜんざい)(一休寺納豆付き)を頂くことができます。
一休寺に行ったらぜひおすすめしたいスイーツです。

一休寺 善哉と一休寺納豆

この「善哉」という名前、一休さんが小豆の入ったお汁粉を頂いたとき「()(かな)この汁」と言ったことに由来するそうです^^

また、一休寺納豆は一休さんが作り方を伝え、今に続くお寺手作りの発酵食品です。
納豆といっても、一般的なネバネバの納豆とは全くの別物と考えても良いでしょう。

善哉と一緒にセットにしているのは、一休寺納豆が塩昆布の代わりになるからです。
塩味と旨味があって、そこに発酵の香ばしさが加わるので、今までにない独特な風味もあります。

これはクセになりそうです^^

お酒のアテにもなりそうですし、ソフトクリームに混ぜて食べるのも美味しいらしいです。

一休寺納豆は売店で購入することもできます。

一休寺へのアクセス・駐車場

一休寺があるのは、京都府南部の京田辺市。
京都市内から少し離れているので、京都や大阪方面からの行き方を紹介します。

京都方面から一休寺まで

電車で行く場合、近鉄「新田辺」駅が最寄りとなります。

JR京都駅から行く場合は、駅から徒歩5分の場所にある近鉄京都駅から乗車すれば、急行で25分、新田辺駅に到着します。

ただし、近鉄「新田辺」駅からは約1.5kmあるので、徒歩だと約25分かかります。

歩くのが嫌な方は、近鉄「新田辺」駅から一休寺までバスで行くこともできます(約10分)。
新田辺駅西口バスロータリーの4番のりばから京阪バス(66A・66B系統)に乗車、バス停「一休寺」で下車すれば到着です。
もしくは3番のりばから京阪バス(74・74A・74B・75C系統)に乗車、バス停「一休寺道」で下車すれば到着です。

大阪方面から一休寺まで

電車で行く場合、JR京田辺駅が最寄りとなります。

JR京橋駅から学研都市線に乗車、快速で37分でJR京田辺駅に到着します。
JR京田辺駅から一休寺までは約1kmで、徒歩だと約20分かかります。

JR京田辺駅から一休寺にはバスがないので、タクシー(約5分)に乗るか、近鉄新田辺駅まで歩いて(約5分)バスに乗ると良いでしょう。

一休寺の駐車場

一休寺には有料の駐車場があります。
30台ほどあって、一般車は300円。

紅葉が見頃の時は満車になる可能性もあります。
お寺の近くにはコインパークはありませんので、その場合は京田辺駅付近のパーキングを探す必要があります。

大通りまで車の列が並ぶこともあるそうですので、ピークの時期は電車で訪れた方が良いかもしれませんね。

一休寺の御朱印

一休寺の御朱印は基本的に2つあります。

まずは「報恩」の御朱印です。

一休寺 報恩 御朱印

こちらは「善哉」の御朱印です。

一休寺 善哉 御朱印

その他、月限定の御朱印や、期間限定の御朱印などがあります。
今のところ一休寺のfacebookページによく載せられていますので、気になる方は、訪れる前に確認すると良いでしょう。

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