山鉾巡行 後祭

祇園祭は最近まで、7月17日に山鉾巡行を行っていました。
33基の山鉾が一日で順番に巡行していたのです。

それが2014年の祇園祭から、49年ぶりに後祭(あとまつり)が復活しました!

実は祇園祭は、宵山と山鉾巡行が前祭(さきまつり)後祭(あとまつり)で、2回に分かれているのが本来の姿です。

前祭は神輿が出る神幸祭、後祭は神輿が帰ってくる還幸祭、という位置づけなんですね。

今までは交通の影響を考慮して1つにまとめていたのですが、2014年からは従来通りに戻ります。
山鉾巡行に関しては、17日は23基の前祭巡行、24日は10基の後祭巡行となります。

そして2014年の注目は、150年ぶりに復活を遂げた大船鉾でしょう^^

神宮皇后が、戦いから凱旋したというストーリーからなる鉾で、「凱旋船鉾」の名前を持ちます。
三度大火にあって焼失した大船鉾ですが、150年前「蛤御門の変」で焼失してしまいました。
それ以来の復活です!

出陣の「船鉾」、凱旋の「大船鉾」という本来の形が見られるようになったんですね^^

そしてこの日は、花傘巡行も行われる日。
花傘巡行は、子供神輿から始まり、芸舞妓車、鷺踊(さぎおどり)などが、花傘と共に後に続く巡行。

花傘巡行はそもそも、2回の山鉾巡行が統合されて1回になった時に、後祭の代わりとして始まった巡行です。
でも、後祭が復活しても引き続き行われるとのこと。

2014年 後祭巡行順番

2014年の後祭の巡行順は下のようになりました。
午前9時半から橋弁慶山を先頭に、10基が巡行します。

  1. 橋弁慶山(はしべんけいやま)・・・くじ取らず
  2. 北観音山(きたかんのんやま)・・・くじ取らず
  3. 八幡山(はちまんやま)
  4. 浄妙山(じょうみょうやま)
  5. 鈴鹿山(すずかやま)
  6. 南観音山(みなみかんのんやま)・・・くじ取らず
  7. 鯉山(こいやま)
  8. 役行者山(えんのぎょうじゃやま)
  9. 黒主山(くろぬしやま)
  10. 大船鉾(おおふねほこ)・・・くじ取らず

巡行の順番は毎年くじで決めます。
「くじ取らず」の山鉾は、順番が固定されているので、毎年同じ順番で登場します。

巡行ルートは、前祭が従来通りの

四条烏丸交差点出発 ⇒ 四条河原町 ⇒ 河原町御池 ⇒ 新町御池到着

という反時計回りのルートで巡行します。

それに対し、後祭は、

烏丸御池出発 ⇒ 河原町御池 ⇒ 四条河原町 ⇒ 四条烏丸到着

の時計回りのルートで巡行します。

前祭と後祭で回り方が逆になるのは、先ほども紹介したように、後祭が「還幸祭」だからですね。

山鉾巡行の様子

私は四条河原町に8時50分頃到着。
場所を確保しながら山鉾が来るのを待ちました。

一番手の橋弁慶山は、9時半に烏丸御池を出発。
四条河原町に到着したのは10時40分でした。

こちらが先頭の橋弁慶山。

山鉾巡行 橋弁慶山

謡曲「橋弁慶」を題材とした山で、牛若丸と弁慶が五条大橋で戦う様子が表現されています。
御神体はもちろん、「牛若丸」と「弁慶」です。

山鉾巡行 橋弁慶山

くじ取らずの理由はわかりませんが、応仁の乱前より後祭の先頭を行く特権を持っていたことが知られています。

二番目はくじ取らずの北観音山。

山鉾巡行 北観音山

昔は、南観音山と交替で巡行していたそうですが、今はどちらも巡行します。

大きいので二階には祭囃子がいますし、辻回しも行います。
御神体は「楊柳観音」と「韋駄天」です。

北観音山の後方には、大きな柳の枝が掲げられています。

山鉾巡行 北観音山

この枝は、巡行後に病気平癒のお守りとして授与されるそうです。
柳には実際に薬効成分があって、昔から薬に使われてきました。
ここでは更に楊柳観音の霊験としてお守りにしているんでしょうね。

三番目は八幡山。

八幡山

山の上に乗っている鳥居を見ればわかる通り、御神体は勝運の神様「八幡神」です。
鳩がトレードマークの八幡山ですが、鳥居に乗っている対の鳩は、江戸時代の天才彫刻家、左甚五郎によるものです。

こちらでは以前、宵山の時にかわいらしい鳩鈴を購入したことがあります^^

四番目は浄妙山。

浄妙山

浄妙山は、平家物語に描かれた宇治川の合戦の様子を表現した山です。
岡山県にある林原美術館が所蔵している「平家物語絵巻」にも描かれているワンシーンですね^^

御神体は三井寺の僧兵「筒井浄妙(つついじょうみょう)」と「一来法師(いちらいほうし)」。

宇治川の合戦は、源平合戦の幕開けとなった戦いです。

源氏方についていた筒井浄妙が、戦場に一番乗りしようとしているところなのですが、同じく一番乗りしたかった一来法師が、身軽さを活かしてその上を、

「悪しゅう候、御免あれ」

と飛び越えて一番乗りするシーンです。

浄妙山

二人は合わせて83人もの平家方の兵を討ち取りますが、一来法師は討死、浄妙も63本もの矢が刺さり、なんとか平等院まで逃げ戻ったのだそうです。

この奮闘ぶりの逸話から、宵山では勝運守が授与されます。

五番目は鈴鹿山。

鈴鹿山

御神体は女性の神様「瀬織津姫尊(せおりつひめのみこと)」。

鈴鹿山というのは、伊勢国にある山のことですが、その山には道行く人を苦しめる悪鬼がいて、それを退治したのが瀬織津姫尊とされています。

六番目は、くじ取らずの南観音山。

南観音山

御神体は「楊柳観音」と「善財童子」。

見た目は北観音山とそっくりですね^^
でも、飾っているタペストリーは全然違いますし、観音様も北観音山は男性、南観音山は女性とされています。

南観音山

四隅には、蘭菊梅竹を深堀りした木彫りの薬玉(くすだま)が掛けられています。
これは、薬玉観音とも呼ばれているご本尊の霊験を表しているのだそうです。

七番目は鯉山。

鯉山

御神体は「鯉」と、八坂神社のご祭神「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」。

鯉山は、中国の故事「登龍門」を表す山です。
それによると、黄河の上流にある龍門の滝を登った鯉は龍になるという伝説があります。

次々と流れ落ちる滝の勢いもものともせず、どんどん登っていく鯉の様子から、立身出世のご利益があるのだとか。

この立派な鯉は、先ほども登場した名匠、左甚五郎作のものです。

鯉山

鯉山は、タペストリーも必見です。
このタペストリーは、本来は5枚一組のもので、ヨーロッパのトロイ戦争を題材にしたもの。
伊達正宗の家臣がローマ法王に謁見した際に頂いたものが徳川家に渡り、それがさらに鯉山町に渡ったものです。
国の重要文化財にも指定されています。

八番目は役行者山。

役行者山

御神体は「役行者(えんのぎょうじゃ)」と「葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ)」、「葛城神」。

左側に立つ鬼の顔をしたものが「葛城一言主神」右側に立つものが「葛城神」です。
そして、役行者は巡行中は見えにくいのですが、真ん中のテントのようなものの中に入っています。

宵山では役行者町で見ることができます。

役行者山

役行者山は、一言主神を使って葛城山と大峰山の間に橋を架けさせたという伝承を表現したものです。

役行者は修験道の開祖なので、他の山鉾のように出発前に八坂神社で清祓を受けるのではなく、聖護院の山伏による護摩供を受けます。
その様子は、宵山の時に役行者町で見ることができます。

九番目は黒主山。

黒主山

御祭神は、平安時代の歌人「大友黒主」。
六歌仙の一人にも数えられていて、黒主山では桜の木の下で花を仰ぎ見ている様子を表現しています。
飾っている桜の花は造花ですが、使われた花は翌年の粽に添えられます。
これを玄関に挿すと、悪事除け、泥棒よけになるのだそうです。

そして最後の十番目は凱旋船の大船鉾。

大船鉾

今まで「休み鉾」扱いで、祭囃子だけ参加していました。
それが今年から復活!!

鉾本体の復活には大変な道のりだったようです。
制作するに当たっては1億2千万円もかかったのだとか。
今までにも再建を試みたこともあるのですが、資金不足で断念したこともあるんです。

寄付金を集めたり、材料の一部を他の山鉾から借りて、なんとか再建することが叶ったのです。
蛤御門の変以来ということですから、今年の山鉾巡行は歴史的ですね^^

ただ、これで完成ではなく、漆を塗ったり、船首の龍頭を作ったりすることも必要で、これからもっと資金が必要なんです。

長い年月をかけて本来の姿に近づけていくそうですが、応援したいですね。
辻回しもしっかり決め、立派な凱旋でした^^

大船鉾


山鉾巡行の時はいつも、日差しとの戦いです。
夏真っ盛りなので、待っている間もものすごく暑いです^^;

日陰で見やすい場所はすぐに場所取りされるので、良い場所で見たい方は早めに(少なくとも1時間以上前)には行くようにしましょう。

そして、巡行中は日傘は使えません。
帽子をかぶって、日焼け止めを塗って、飲み物も用意しておいた方が良いですね。