祇園祭といえば山鉾ですよね。
宵山の日には各山鉾町が会所や飾り席に懸装品を飾り、一般の人たちに披露します。
そしてクライマックスの山鉾巡行では、山鉾が京都の町を練り歩きます。
このように賑わうのが祇園祭ですが、中には「休み山」というものがあるんです。
「休み山」というのは、何らかの理由で運営が困難になっていて、巡行に参加していない山のこと。
現在は「鷹山」や「布袋山」などがありますが、2014年にはそれまで150年も「休み鉾」だった大船鉾が復活しました。
※大船鉾については今まで色々記事にしています。
同じように今、復興に向けて気運が高まっている山が鷹山です。
現在は、京都市中京区三条通室町西入にある
鷹山は応仁の乱以前から巡行していた山で、後祭のくじ取らずとして黒漆塗の破風を持つ豪華な姿だったのだそうです。
しかし文政9年(1826年)、巡行中の豪雨で懸装品を損傷し、翌年から宵山で会所飾りだけを行う「居祭」になってしまいました。
さらに元治元年(1864年)の大火で御神体の一部を残して多くを消失してしまったのです。
明治時代に3体の御神体が復元され、昭和58年(1983年)には染織家の皆川月華が、山の後部に取り付ける見送を寄贈されました。
その時に復興が期待されたのですが、費用の面から頓挫してしまいました。
それが現在また復興に向けて動きを見せていて、2014年には鷹山囃子が結成され、2015年からお囃子を披露するようになり、今年の1月には公益財団法人鷹山保存会が結成、4月に山鉾連合会に準加盟しています。
祇園祭山鉾連合会は文化庁の補助金を受けて文献資料を検証、どのように復元するか2年かけて検討する予定になっているのだとか。
居祭になってから200年後の2026年までの復興を目指しているそうですので、頑張ってほしいですね^^
現在、居祭の会所となっているのは、衣棚町内の大学堂メガネさん。
中には三体の御神体が飾られていました。
御朱印代わりとなるスタンプも用意されています。
鷹山は名前の通り、鷹狩りの姿をした鷹匠の山なで、向かって左側にいらっしゃる御神体がその鷹匠です。
残りの二人は従者で、中央は樽を背負って粽を持つ樽負い、右は犬を率いる犬飼です。
鷹匠の方は、源頼朝とも、中納言 在原行平とも言われています。
おそらく、光孝天皇仁和(886年)芹川野の行幸の際に、行平の鷹匠姿を模したものだろうと考えられているそうです。
従者を真ん中に置いているのも珍しいですね^^
町内には授与品も販売されていました。
まだ山がないので、他の山鉾町と比べて盛り上がりに欠けていますが、これから年々盛り上がってくるだろうと思われます。