神社・神道用語集 さ

お寺・仏教用語集 さ

神社・神道用語集 し

お寺・仏教用語集 し

神社・神道用語集 す

お寺・仏教用語集 す

神社・神道用語集 せ

お寺・仏教用語集 せ

神社・神道用語集 そ

お寺・仏教用語集 そ

斎宮(さいぐう)

神宮に奉仕する未婚の皇女。

第10代 崇神天皇が皇女の豊鍬入姫命(とよすぎいりびめのみこと)に命じて宮中に祭られていた天照大神を大和国の笠縫邑に祭らせた斎宮の始まり。

第31代 用明天皇の時代に一時途絶えたが、天武天皇の御代に正式に制度として確立した。

三枝祭(さいくさのまつり)

大神神社の摂社、率川神社(いさがわじんじゃ)で行われるゆりまつり。
大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る。
神祇令で定められている祭の一つで、6月16日~18日に行われる。

ゆりの花とされる三枝の花でお祭りに用いる酒樽を飾ったことが名前の由来。
かつては大神神社の御祭神、大物主大神の子孫とされる大神氏の氏上の奉仕が必要だった。

座主(ざす)

主に天台宗で使われる(一部、真言宗も含む)用語で、大寺を統括する首席の僧職のこと。
寺により、又は他宗派では長吏(ちょうり)別当(べっとう)検校(けんぎょう)など、呼び名が異なるものもある。

早良親王(さわらしんのう)

第50代 桓武天皇の弟。
南都寺院とつながりが深かったことから、長岡宮の造営に携わっていた藤原種継の暗殺事件への関与を疑われ、乙訓寺に幽閉された。
無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近(大阪府守口市の高瀬神社付近)で亡くなった。

その後、長岡京内で皇族の相次ぐ病死、疫病の流行、洪水なども相次ぎ、祟りとされたことから鎮魂の儀式が執り行われ、崇道天皇と追称された。
桓武天皇が、京都市上京区の上御霊神社に平安京の守り神として祀った。

三教一致思想(さんきょういっちしそう)

「仏教」「儒教」「道教」の三教は究極的に一致する、という思想。
禅僧によって中国から入ってきた。

日本に入ってきてから神道説と融合し、室町中期~後期にかけて、「仏教」「儒教」「神道」の三教一致思想が出来上がった。

三経義疏(さんぎょうぎしょ)

聖徳太子が編纂したとされる「法華経(ほけきょう)」4巻、「勝鬘経(しょうまんきょう)」、「維摩経(ゆいまきょう)」の三経典の注釈書。

法華義疏4巻、勝鬘経義疏1巻、維摩経義疏3巻を総称して三経義疏という。

山家要略記(さんげようりゃくき)

鎌倉後期以降に成立した、天台宗系の神道「山王神道」の主要典籍の一つ。

三社託宣(さんしゃたくせん)

中世から近世にかけて広まった、天照皇大神宮(伊勢神宮)、八幡大菩薩(石清水八幡宮)、春日大明神(春日大社)の託宣。
「正直」「清浄」「慈悲」の3つの徳目を強調している。
これを記した掛け軸が流布してそれが信仰の対象となり、天照皇大神を中央に、向かって右に八幡大菩薩、向かって左に春日大明神の神号とそれぞれの託宣文を配した形をとっていた。

代表的な託宣は以下。

  • 天照皇大神(正直)・・・謀計は眼前の利潤たりと(いえど)も、必ず神明の罰に当る、正直は一旦の依怙(えこ)に非ずと雖も、(つひ)には日月の憐れみを(こうむ)る。
  • 八幡大菩薩(清浄)・・・鉄丸を食すと雖も、心汚れたる人の物を受けず、銅焔(どうえん)に座すと雖も、心穢れたる人の処に到らず。
  • 春日大明神(慈悲)・・・千日の注連(しめ)を曳くと雖も、邪見の家には到らず、重服深厚たりと雖も、慈悲の(いえ)に赴くべし。

中世神道思想の基本的考え方はこの3つの徳目(正直・清浄・慈悲)に由来している。

三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしこう)

仏の身に備わる三十二の優れた身体的特徴。
以下は三十二相。

  1. 足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう):足の裏が平らで安定している(扁平足)・・・慈悲・平等。
  2. 足下二輪相(そくげにりんそう):足裏に輪形の相が現れている。仏足石はこれを表したもの・・・人々の迷いを静める。
  3. 長指相(ちょうしそう):10本の手指や足指が長くて繊細・・・寿命が長い。
  4. 足跟広平相(そくげんこうびょうそう):足のかかとが広く平らか・・・未来の人々を救う。
  5. 手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう):手足の各指の間に、鳥の水かきのような金色の膜がある・・・もれなく人々を救う。
  6. 手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう):手足が柔らかで色が紅赤であること。・・・誰にでも等しく接する。
  7. 足趺高満相(そくふこうまんそう):足趺すなわち足の甲が亀の背のように厚く盛り上がっている・・・人々に幸福をもたらす。
  8. 伊泥延腨相(いでいえんせんそう):足のふくらはぎが鹿王のように円く微妙な形をしている・・・喜びを与え学ぶことが早い。
  9. 正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましっそう):正立(直立)したとき両手が膝に届き、手先が膝をなでるくらい長い・・・哀愍摩頂する徳。
  10. 陰蔵相(おんぞうそう):馬や象のように陰相が隠されている(男根が体内に密蔵される)・・・多くの弟子をもつ。
  11. 身広長等相(しんこうじょうとうそう):身体の縦広左右上下の量が等しい(身長と両手を広げた長さが等しい)・・・無上の法王である。
  12. 毛上向相(もうじょうこうそう):体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いて、しかも紺青色を呈し柔軟である・・・喜びの心を起こさせる。
  13. 一一孔一毛相(いちいちくいちもうそう):身体の毛穴にはすべて一毛を生じ、その毛孔から微妙の香気を出し、毛の色は青瑠璃色である・・・罪障を消滅させる。
  14. 金色相(こんじきそう):身体手足全て黄金色に輝いている・・・人々を喜ばせた結果を表す。
  15. 丈光相(じょうこうそう):身体から四方各一丈の光明を放っている(光背はこれを表す)・・・迷いを除き願いを叶える。
  16. 細薄皮相(さいはくひそう):皮膚が軟滑で一切の塵垢不浄を留めない・・・慈悲をもってご利益を与える。
  17. 七処隆満相(しちしょりゅうまんそう):両掌と両足の裏、両肩、うなじの七所の肉が円満で浄らかである・・・七随眠を断ち七聖戒を満たす。
  18. 両腋下隆満相(りょうやくげりゅうまんそう):両腋の下にも肉が付いていて、凹みがない・・・人々を看病して得た相。
  19. 上身如獅子相(じょうしんにょししそう):上半身に威厳があり、瑞厳なること獅子王のようである・・・高い徳を表す。
  20. 大直身相(だいじきしんそう):身体が広大端正で比類がない・・・安心感を与える。
  21. 肩円満相(けんえんまんそう):両肩の相が丸く豊かである。円満・・・柔軟の徳。
  22. 四十歯相(しじゅうしそう):40本の歯を有し、それらは雪のように白く清潔である(常人は32歯)・・・悪口をいわない。
  23. 歯斉相(しさいそう):歯はみな大きさが等しく、硬く密であり一本のように並びが美しい・・・清浄さを表す。
  24. 牙白相(げびゃくそう):40歯以外に四牙あり、とくに白く大きく鋭利堅固である・・・三毒を制する。
  25. 獅子頬相(ししきょうそう):両頬が隆満して獅子王のようである。
  26. 味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう):何を食べても食物のその最上の味を味わえる・・・人々の願いを満足させる。
  27. 大舌相(だいぜつそう):舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届く。しかも、口に入っても一杯にはならない・・・嘘をいわないことを表す。
  28. 梵声相(ぼんじょうそう):声は清浄で、聞く者をして得益無量ならしめ、しかも遠くまで聞える・・・話を聞くものに喜びを与える。
  29. 真青眼相(しんしょうげんそう):眼は青い蓮華のように紺青である・・・なにごとも良く見通す。
  30. 牛眼瀟睫相(ぎゅうごんしょうそう):睫が長く整っていて乱れず牛王のようである・・・眼が清らかである。
  31. 頂髻相(ちょうけいそう):頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している。肉髻(にくけい)の事・・・頭脳明晰さを表す。
  32. 白毫相(びゃくごうそう):眉間に右巻きの白毛があり、光明を放つ。伸びると一丈五尺ある・・・生死の災いを消す。

さらに細かい特徴が八十種好となる。

この三十二相八十種好の「相」と「好」をとって、「相好」と略す場合もある。

三身さんじん

大乗仏教における仏観の一種。
それによると、仏には3種類あるとされている。

  • 法身仏ほっしんぶつ:宇宙の真理そのものを表す仏。代表的なものに毘盧遮那仏(奈良の大仏など)、大日如来などがある。
  • 報身仏ほうじんぶつ:修行して仏となることができた仏。代表的なものに阿弥陀如来がいる。
  • 応身仏おうじんぶつ:この世で生まれ(始まり)、入滅(終わり)する仏。代表的なものに釈迦如来がいる。

三十番神(さんじゅうばんしん)

毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のこと。
神仏習合による信仰で、最澄が祀ったのが最初とされる。
法華神道で重視された。

日付 神名 本地仏 本殿
1日 熱田大明神 大日如来 愛知県名古屋市
熱田神宮
2日 諏訪大明神 普賢菩薩 長野県
諏訪大社
3日 広田大明神 勢至菩薩 兵庫県西宮市
広田神社
4日 気比大明神 大日如来 福井県敦賀市
気比神宮
5日 気多大明神 阿弥陀如来 石川県羽咋市
気多大社
6日 鹿嶋大明神 十一面観音 茨城県鹿嶋市
鹿島神宮
7日 北野大明神 十一面観音 京都市
北野天満宮
8日 江文大明神 弁才天 京都市
江文神社
9日 貴船大明神 不動明王 京都市
貴船神社
10日 天照皇太神 大日如来 三重県
伊勢神宮
11日 八幡大菩薩 大日如来 京都市
石清水八幡宮
12日 賀茂大明神 聖観音 京都市
賀茂(上・下)神社
13日 松尾大明神 毘婆尸仏(びばしぶつ) 京都市
松尾大社
14日 大原野大明神 薬師如来 京都市
大原野神社
15日 春日大明神 釈迦如来 奈良市
春日大社
16日 平野大明神 聖観音 京都市
平野神社
17日 大比叡大明神 釈迦如来 大津市
日吉大社(西本宮)
18日 小比叡大明神 薬師如来 大津市
日吉大社(東本宮)
19日 聖眞子(しょうしんじ)権現 阿弥陀如来 大津市
日吉大社(宇佐宮)
20日 客人(まろうど)大明神 十一面観音 大津市
日吉大社(白山姫神社)
21日 八王子権現 千手観音 大津市
日吉大社(八王子社)
22日 稲荷大明神 如意輪観音 京都市
伏見稲荷大社
23日 住吉大明神 聖観音 大阪市
住吉大社
24日 祇園大明神 薬師如来 京都市
八坂神社
25日 赤山大明神 地蔵菩薩 京都市
赤山禅院
26日 健部大明神 阿弥陀如来 大津市
建部大社
27日 三上大明神 千手観音 滋賀県野洲市
御上神社
28日 兵主(ひょうず)大明神 不動明王 滋賀県中主町
兵主神社
29日 苗鹿(のうか)大明神 阿弥陀如来 滋賀県大津市
那波賀神社
30日 吉備大明神 虚空蔵菩薩 岡山市
吉備神社

参考:日蓮宗玉蓮山 真成寺

三種の神器(さんしゅのじんぎ)

皇位の象徴として皇室に代々継承されてきた三種の神宝。

を指し、記紀神話によると瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下る際に、天照大神から授けられたとされている。

三条の教則(さんじょうのきょうそく)

明治5(1872)、教部省が定めた、敬神愛国、天理人道の明示、皇上奉戴と朝旨遵守の三か条よりなる教則。
キリスト教への対策のみならず、神仏判然後の人心の混乱を収めることを目的としていた。

しかし、神道・仏教間の対立や各宗派間の主導権争いによりうまく進まず、一部の仏教宗派が反発して3年で廃止。
その後は仏教各宗派は各自の組織にのっとって強化活動を行うようになり、神道側は神道事務局を設立して強化活動を行うようになった。

三節祭(さんせつさい)

古来伊勢神宮において行われる三大祭。

  • 神嘗祭
  • 月次祭(6月)
  • 月次祭(12月)

これに祈年祭、新嘗祭を加えて五大祭と呼ぶこともある。

参禅さんぜん

禅宗において、師の元に弟子として入門することをいう。

三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)

仏教思想において、巨大な宇宙を表現する用語。
単に三千世界ともいう。

須弥山を中心に、太陽・月・兜率天(とそつてん)・地獄界などを含んだ空間が一世界。
それが千個集まったのが小千世界。
さらに小千世界が千個で中千世界となり、中千世界が千個で大千世界となる。

つまり、一世界が十億個あることになる。

これを小、中、大三種の千が重なったことから三千大世界と呼ぶ。

三蔵さんぞう

仏教の聖典を大きく3つに分類し、それらをまとめた総称。

  • 経蔵:釈迦の教えをまとめたもの
  • 律蔵:出家したものが守るべき戒律(規則・道徳・生活様相など)
  • 論蔵:経や律に注釈を加えて解説したもの

三蔵に通じている僧侶は名前に「三蔵」を付して「三蔵法師」と呼ばれる。

三諦円融(さんたいえんゆう)

中国で天台宗を開いた僧、天台大師智顗(ちぎ)による、あらゆる現象の真理性はどこにあるのか、を説いた思想。

「三諦」は三つの真理のことで、「」、「仮」、「中」のこと。

  • (くう):あらゆる物事は永遠なる実態はない、という真理。
  • ():「空」でありながらもそれぞれが他を支え合って(縁起)、現象や仮の姿として生じた状態。
  • (ちゅう):「空」でありながらも「仮」でもあるという二面性を備えている状態。

人は1つの物事に固執し過ぎると煩悩で苦しんでしまう。
しかし、全ての存在は永遠なる実態はなく、いつかは滅びゆくもの(空)。
煩悩の苦しみから逃れるためにも「空」の思想を持つことが大切なのだが、「空」の思想にとらわれ過ぎると今度は全てが虚しく、物事に無関心になってしまう。

事物個々は他の存在のおかげで存在する(仮)ものであるから、「仮」の姿をもう一度認識することで物事の素晴らしさや生命の喜びを感じることができるようになる。
しかし、そこに固執し過ぎると今度は逆に、執着を生んでしまい、煩悩の苦しみが発生します。

そこで、「空」と「仮」のバランスをとり、いずれにも固執しないような考え方が「中」となる。
しかし、「中」にも固執し過ぎると今度はバランスを取ることばかりに意識が傾き、中途半端になってしまうので、「三諦」を一体化することが大切である、ということ。

三毒さんどく

仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩。

  • とん:必要以上にむさぼり求める心。
  • しん:怒りの心。妬みや愚痴もここに包摂される。
  • :真理に対する無知の心。

山王神道(さんのうしんとう)

比叡山延暦寺の鎮守社である日吉大社の山王信仰を基盤として形成された仏家神道
日吉神道ともいう。
教義書としては鎌倉時代中期に作られた「耀天記(ようてんき)」、鎌倉時代末の「渓嵐拾葉集(けいらんじゅうようしゅう)」などがある。

延暦寺の鎮守神である日吉大社をはじめ、山王七社、さらには山王二十一社、一〇八社を基盤にしている。

日吉大宮(西本宮)の本地仏を釈迦如来とし、「山王」の二字を天台宗の一心三観や三諦即一(悟りへの心構え)の教理に基づいて分解し、「山王」の「山」は(たて)の三横の一、「王」は竪一の横三などと解釈する。

行法としては、比叡山の回峰行を模倣した、各社、霊蹟を廻る「秘密社参」などが行われた。

江戸時代、徳川家康のブレーンとして仕えていた天台宗の僧・天海によって、山王一実神道に発展した。
家康の死後、天海の主張で、朝廷から「東照大権現」の神号を賜り、薬師如来を本地仏として山王一実神道が祀ることになった。

三宝(さんぽう)

仏教における3つの宝物で、「仏・法・僧」のこと。
三宝の定義は色々あるが、大乗仏教での例を挙げると、

  • 仏:悟りの体現者(釈迦や如来など)
  • 法:仏の教え
  • 僧:法を学ぶ仏弟子の集団

三宝に帰依(拠り処にすること)することで仏教徒になることができる。

三法印さんぽういん

仏教の教えの根本にあるものを「仏の教え(法)のしるし(印)」として「法印」という。
三法印は、その中でも重要とされている三つの法印のことをいう。

  • 諸行無常しょぎょうむじょう:あらゆる存在や現象は一定ではなく、変化し続けているということ。
  • 諸法無我しょほうむが:全てのものはいくつかの集合体であり、集合体の要素はいつかはバラバラになる。つまり、主体とも呼べる「我」がないことをいう。
  • 涅槃寂静ねはんじゃくじょう:煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということ
  • 一切皆苦いっさいかいく:全てのものは思い通りにならないという苦。

涅槃寂静と一切行苦のどちらを三法印とするかは解釈が分かれるが、四つで「四法印」とすることもある。

三昧さんまい

通常は何かに没頭することを意味するが、元々は瞑想して精神を統一するという意味の古代インド語「サマーディ」の音写語。
意訳すると(じょう)定慧(じょうえ)などとなる。

三悪道さんまくどう

六道のうちの、地獄道、餓鬼道、畜生道の3つの世界のこと。
想像を絶する苦難が巡ってくる世界で、悪行を重ねた人間が死後に行く世界だとされる。

三昧耶形(さんまやぎょう)

密教において、仏を表す手印や持物などの象徴物の事。
不動明王の利剣や羂索、薬師如来の薬壺、聖観音の蓮華、大日如来の宝塔、虚空蔵菩薩の如意宝珠などがある。

これらを表した曼荼羅を三昧耶曼荼羅という。

三密さんみつ

密教における、大日如来の身体と言語と心の働き。
神秘的で人間の理解を超えるものなので「密」という。

  • 身密しんみつ
  • 口密くみつ
  • 意密いみつ

それに対し、衆生の身・口・意の働きを三業さんごうという。

しかし、三密も三業も本質は同一なので、修行者は手に印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を想い描いた状態にすれば、仏の三密と修行者の三業が相応して、生きていながら仏になることができる、とされている。

三輪身(さんりんじん)

密教において、一つの仏が教えを広めるためにその手段として3つの姿で現れる、としたもの。

  • 自性輪身(じしょうりんじん):宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿(如来)
  • 正法輪身(しょうぼうりんじん):宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿(菩薩)
  • 教令輪身(きょうりょうりんじん):煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救う忿怒の姿(明王)

の3種類がある。

寺院鎮守神(じいんちんじゅがみ)

奈良時代の護法善神説に基づき、お寺の守護神として勧請された神様。

東大寺には宇佐八幡宮、法隆寺には龍田大社、比叡山延暦寺には日吉大社が勧請されている。

止観(しかん)

天台宗における、座禅、瞑想の修行法のこと。

「止」は、驚き、怒り、恐れ、嫉妬、悲しみ、高揚などといった日常的な心から離れ、落ち着いた状態にあること、つまり心を本来の定位置に止め置く、という意味で、禅定がそれにあたる。
「観」は、「止」の状態を既に体得した状態で、ものごとを深く観察すること。

止観の修行を重ねて持続できるようになると、その感覚を日常の生活の中でも保ち、活かすことができるという。

色蘊しきうん

感覚器官を備えた「身体」のこと。

五蘊(ごうん)(身体と精神活動を構成している五つのカテゴリー)の一つ。

識蘊しきうん

「認識」や「判断」のこと。

直指人心じきしにんしん

あれこれ悩んだり理屈をこねたりせず、自分の本当の心をしっかり把握すること。
唐代の頃から見性成仏(けんしょうじょうぶつ)とセットで使われるようになった禅宗の特徴を表す言葉。

五蘊(ごうん)(身体と精神活動を構成している五つのカテゴリー)の一つ。

式年遷宮(しきねんせんぐう)

制度上定められた期間ごとに新たな社殿を造って御祭神にお遷りを願い、装束や神宝も新たにして神威のより一層の高まりを願う祭。

神宮式年遷宮は第40代 天武天皇がご発案され、第41代 持統天皇の御代に第一回が実施された。

食堂(じきどう)

古代寺院における、僧が食事をする場所。

四苦八苦しくはっく

避けることのできない苦の種類。
四聖諦の中の、「苦諦」の説明として語られる。

【四苦】

  • 生:生まれてくる苦しみ
  • 老:老いの苦しみ
  • 病:病気の苦しみ
  • 死:死んでいく苦しみ

【八苦】

  • 愛別離苦(あいべつりく):愛するものと別れねばならない苦しみ
  • 怨憎会苦(おんぞうえく):怨み憎んでいるものと会わねばならない苦しみ
  • 求不得苦(ぐふとっく):求めるものが手に入らない苦しみ
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく):心身がコントロールできない苦しみ

からなる。

諡号(しごう)

生前の行いを称え、死後に贈る名。
第二十七代安閑天皇(あんかんてんのう)に献じられたのが最初という説がある。

和風諡号と漢風諡号があり、安閑天皇は広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)という和風諡号が献じられた。

漢風諡号は神武天皇の「神武」、崇神天皇の「崇神」のようなおくり名になっており、奈良時代末期の漢学者、淡海三船が選んだと伝えられている。

示寂じじゃく

高僧などが亡くなること。「遷化(せんげ)」、「入寂(にゅうじゃく)」、「入滅(にゅうめつ)」ともいう。

四聖諦ししょうたい

苦悩が生じるメカニズムと苦悩を解体する実践法。
なぜ苦は生まれ、どうしたら解体できるかを因果律で説明している。
「集諦、苦諦、道諦、滅諦からなり、「四諦」とも呼ばれる。

【苦の真理】

  • 集諦(じったい):思い(自分の都合)の集まりのことで、思いが強いほど苦が強くなるという、苦悩が生じる原因を表す。
  • 苦諦(くたい):苦の原因である「集諦」が招く結果のこと。8つの苦(四苦八苦)がある

物事の本質を知らずに執着することによって、苦(思い通りにならないこと)が生じ、生きることが苦しみとなる。

集諦(原因) ⇒ 苦諦(結果)

【苦の解体の実践法】

  • 道諦(どうたい):正しい道を歩み、身心を整えれば苦は解体できる、ということ。
  • 滅諦(めったい):苦を滅した結果のこと。仏教が理想とする身心の状態。

正しい道を歩むことにより、苦が解体され消滅した安寧な状態になる。

道諦(原因) ⇒ 滅諦(結果)

自性輪身(じしょうりんじん)

仏が、教えを伝える手段として3種類の姿(身)になって現れる、という三輪身の一つ。

自性輪身は、宇宙の真理、悟りの境地そのもの。
つまりそれ自体が救い主である「如来」の姿を表す。

四種三昧(ししゅざんまい)

天台宗における修行方法の1つ。
比叡山では最も古い、基本的な修行で、中国天台宗の宗祖・智顗(ちぎ)が書いた摩訶止観(まかしかん)の中に説いた、法華経の教えを実践する方法。

出家者には、止観と呼ばれる観想行(止観業)と密教の修行法(遮那業)がある。
その中で四種三昧は止観業の修行法となっている。
止観は4種類の方法がある。

  • 常坐三昧(じょうざざんまい):90日間静寂な堂内で1人座禅に没頭する行。
  • 常行三昧(じょうぎょうざんまい):90日間念仏を唱えながら本尊阿弥陀仏の周囲を回り続ける行。
  • 半行半坐三昧(はんぎょうはんざざんまい):行道(歩行)や坐禅をしながら読誦や五体投地を行う。
  • 非行非坐三昧(ひぎょうひざざんまい):行道(歩行)と坐禅以外のあらゆる形態の修行を行う。

これらは修道者のレベルや指向性に応じて選択され、実修される。

氏姓制度(しせいせいど)

大王を中心とし豪族たちが連合する政治・社会体制だった5世紀から6世紀の頃に大和朝廷が作った制度。
血縁などの関係をもとに構成された「(うじ)」と呼ばれる集団を作った。
葛城、平群、蘇我のようにゆかりの地名によるものと、軍事を担った大伴、物部のように職名によるものがあった。

氏の首長を氏上(うじのかみ)、それ以外を氏人(うじびと)と呼ぶ。

さらに、地位や出自を表す称号として大王からそれぞれの氏に(かばね)が与えられた。

  • (おみ)有力豪族や大王家から系統が分かれた皇別氏族の姓。平群氏、蘇我氏等。
  • (むらじ)大王家とは祖先の違う神別氏族の姓。大伴氏、物部氏、中臣氏、忌部氏等。

その中での最有力者は大臣(おおおみ)大連(おおむらじ)という地位に任じられた。

その他の豪族には(きみ)(あたい)などの姓が与えられた。

七堂伽藍(しちどうがらん)

寺院の主要ないくつかの建物。
「七堂」は必ずしも実数を示すものではなく、宗派によって堂宇の数と内容は異なっているので、全ての堂宇が備わっていることをいう。

集諦じったい

思い(自分の都合)の集まりのことで、思いが強いほど苦が強くなるという、苦悩が生じる原因を表す。
苦しみのメカニズムを示す四聖諦の一つ。

物事の本質を知らずに執着することによって、苦(思い通りにならないこと)が生じ、生きることが苦しみとなる。

四無量心しむりょうしん

出家修行者の基本的な心構え。

  1. 慈無量心:教えを説く相手、そして生きとし生けるものを慈しむ無量の心。
  2. 悲無量心:同じく、深く相手に同情する無量の心。
  3. 喜無量心:他者の喜びをみずからの喜びとする無量の心。
  4. 捨無量心:自他に対して根本的には無関心の態度をとる無料の心。

嗣法しほう

禅宗において、弟子が師の法を継ぐこと。

社僧(しゃそう)

神社とお寺が融合した宮寺(みやでら)を経営していた僧侶。
社僧の長は別当(べっとう)という。

実社神(じっしゃのかみ)

主として浄土真宗で説かれた、本地垂迹説を受け入れた神観念。
神を権社神と実社神に分けている。

実社神は人々を悩ます邪神で、死霊・生霊・動物霊など民族神で、そのような神を祀る神社を実社と称した。

それに対し権社神は、仏や菩薩が衆生を救済するために、仮に神の姿で現れたとするもの。
浄土真宗の存覚の著「諸神本懐集」には、実社神に仕えるのではなく、権社神を崇敬すべきとしている。

注連縄(しめなわ)

そこが神の占有地であることをしめすために張り巡らした縄のこと。
具体的には神前や神域、あるいは祭場などに張り渡してあり、そこへ不浄者が立ち入ることを禁じるために用いる。

社寺領上知令(しゃじりょうじょうちれい)

明治4年に発令。
社寺の境内地を除き、神社や寺院の経済的基盤を支えていた朱印地、黒印地の社寺領や社寺が保有していた田畑・山林を没収、官有地とする令。

これにより寺院より、神社に対して大きな経済的打撃を与えた。

朱印地・黒印地(しゅいんち・こくいんち)

江戸時代初期、幕府や藩より、神社・寺院の領地として承認された土地。
幕府に承認されたものを朱印地(朱印領)、藩に承認されたものを黒印地(黒印領)という。

領地の所領の安堵がなされたことから、戦国時代のように社領が削られることなく、安定して祭祀が復興、行われるようになった。

十一面観音じゅういちめんかんのん

六観音の一尊。
十一面の顔を持ち、全ての方向を見てあらゆる人々を救済してくれる能力を形にした観音菩薩。
十一面は、正面の顔と、頭上に東・西・南・北・東北・東南・西北・西南、天、地の十面をあわせたもの。

頭上の十面は、以下のように分かれている。

  • 慈悲面:正面の三面。穏やかでやさしい表情をしている。
  • 狗牙上出面くげじょうしゅつめん:右三つの白い牙を持った面。善の人々を励ましてより仏道に導く。
  • 瞋怒面しんぬめん:左三つの怒りの面。悪の人々に対して慈悲の心で救済する。
  • 暴悪大笑面ぼうあくだいしょうめん:後方の一つの面。悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を大口を開けて笑い滅する。

十一面の配置は仏像によって様々で、一段に配列したものや、二段、三段に配列するものなどもある。

十牛図じゅうぎゅうず

禅の修行において、悟りの境地に至るまでの過程と、そのそれぞれの過程における心の境地を理解させるために、牛を主題として十枚の絵で表したもの。

十大弟子じゅうだいでし

1000人を超えていたとされる釈迦の弟子の中でも主要な10人の直弟子。
釈迦の教えの中でも重要な10の徳目の第一人者とされていて、その教えを具現化した存在とも考えられている。

  • 舎利弗しゃりほつ智慧第一と称され、目連と共に二大弟子と呼ばれている。「般若心経」では舎利子として登場する。
  • 摩訶目?連まかもっけんれん・・・神通第一と称され、舎利弗共に二大弟子と呼ばれている。餓鬼道に落ちた母を救った供養が盂蘭盆会の起源とされる。
  • 摩訶迦葉まかかしょう頭陀ずだ(質素さ) 第一と称される。釈迦の死後、2代目代表になり、500 人の仲間と経典を編纂した。
  • 須菩提しゅぼだい解空(空の理解)第一と称される。一大布教拠点である祇園精舎の建立に尽力を尽くした。
  • 富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし説法第一と称される。凶暴な住民のいるインド西方の未開の地に布教するため旅立った。
  • 摩訶迦旃延まかせんねん論議第一と称される。釈迦の説法が理解できない者に内容をかみ砕いて論じた。
  • 阿那律あなりつ天眼第一と称される。眠らずに修行をして失明したが、その代償に目に見えないものを見通す天眼を得た。
  • 優波離うぱり持律(戒律)第一と称される。元奴隷階級の理髪師だったが、主人より先に出家し、階級制度を否定する釈迦により諸王子達の兄弟子とされた。
  • 羅?羅らごら密行(荒行)第一と称される釈迦の息子。7歳で出家し、父の重圧に押しつぶされまいと荒行に身を投じた。
  • 阿難陀あなんだ多聞第一と称される。長年釈迦と行動を共にし、最も多く説法を聞いたことから、経典は阿難陀の記憶に基づいて編纂された。

十二縁起じゅうにえんぎ

苦がどのように生まれるかの関係性を体系立てたもの。
「十二因縁」ともよばれる。
順番にこのようになっている。

  1. 無明むみょう:物事の本質や関係性がわかっていない「無知」、又は知ろうともしない状態によって生じる、「苦」の根本原因。
  2. ぎょう:無明によって起こる行動や言動。「意志」によるものはなく、無意識に本能的に行われる。行った行為自体は、その場は消えるかもしれないが、その結果は残すことになる。
  3. しき:「行」を繰り返すことによって生まれた、対象を分析する心の働き。
  4. 名色みょうしき:「識」が発達することでできあがった、心(名)と身体(色)の状態。自分の存在を固定的に意識するようになる。
  5. 六処ろくしょ:「名色」によって発達した6つの感覚(知覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、視覚)。
  6. そく:「六処」の発達によって、意識的に物事を判断できるようになった状態。まだ美醜や苦楽などの感情は識別できない。
  7. じゅ:物事を判断できるようになって生まれる、好き・嫌い、楽しい・苦しい、などの様々な感情。物事を受けて一番最初に起こる感情をいう。
  8. あい:感情が発生するようになって生じる、対象への愛情。心がとらわれた状態。「渇愛」のこと。
  9. しゅ:「愛」によって生じる強い執着。愛憎の念から生じる実際の行動。
  10. :「取」によって生じる存在。得たものを失いたくないことで、自分本意な判断基準となり、「自分」と「他」を区別するようになり、対立を生む。
  11. しょう:「有」によって生じる存在。結果として残ったもの。思い出や記憶となり、「業」となって次の世へ持ち込む輪廻を繰り返すようになる。
  12. 老死ろうし:老いて死を迎えること。「苦」の意識を持ったまま死んでも、それは来世にも「業」として残り、同じような「苦」が展開される。

簡単にいうと、「無明」が「執着」を生み、そのこだわりが「苦しみ」を生むということになる。
このように、物事が生じるものを順番に観察したものを「順観」というが、その苦しみを滅するには、「なぜ苦しみが生まれたのか?」⇒「なぜ執着するのか?」と、逆の順番「逆観」に観察し、迷いの事実をつきとめながら進むことで、最終的に「無明」を滅する必要がある。

十二神将じゅうにしんしょう

薬師如来及び、薬師如来の教え(薬師経)を信仰する者を守護する天部の神々。
薬師如来の眷属でもある。
また、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来・菩薩・明王があり、各神将がそれぞれ7千、12人合わせて8万4千の眷属を率いている。

薬師如来の十二の大願や十二の方角、十二支、時刻、月などに配当されるが、どの大将がどこに配当されるか、またお姿においても必ずしも一定していない。

  • 宮毘羅くびら
  • 伐折羅ばさら
  • 迷企羅めきら
  • 安底羅あんていら
  • アニ羅あにら
  • 珊底羅さんちら
  • 因達羅いんだら
  • 波夷羅はいら
  • 摩虎羅まこら
  • 真達羅しんだら
  • 招杜羅しょうとら
  • 毘羯羅びから

十二天(じゅうにてん)

密教において、修法を行う際にその障りを除滅するための役割をもった守護尊。
東西南北、北東、西北、東南、南西の八方に、天と地、日、月の方位を司る。

奈良時代の顕教において、四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)を東西南北において守護尊としたが、密教ではこの十二天が配される。

  • 帝釈天(たいしゃくてん):東
  • 火天(かてん):東南
  • 閻魔天(えんまてん):南
  • 羅刹天(らせつてん):南西
  • 水天(すいてん):西
  • 風天(ふうてん):西北
  • 毘沙門天(びしゃもんてん):北
  • 伊舎那天(いしゃなてん):北東
  • 梵天(ぼんてん):天
  • 地天(ちてん):地
  • 日天(にってん):日
  • 月天(がってん):月

受蘊じゅうん

苦、楽、不苦不楽を感受する機能のこと。

受戒じゅかい

仏門に入り正式な修行者と認められるために、道徳や修行の基準となる「戒」を授かること。

儒家神道(じゅかしんとう)

江戸時代の儒学者によって主張された神道説。
儒教的な立場から「日本書紀」をはじめとする「六国史」を研究して神儒一致説による神道を説き、神仏習合説に対抗した。

代表的な儒家神道家に、林羅山などがいる。

修験道(しゅげんどう)

山岳修行によって超自然的な能力を身につけ、その力で民衆を救うという信仰や活動。
天台宗系の本山派、真言宗系の当山派、出羽三山系の羽黒派、九州北部の英彦山系の英彦山(ひこざん)派などがある。

修験道法度(しゅげんどうはっと)

江戸幕府が慶長18年(1613年)に定めた、修験道に対する法令。
修験者は真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないこととし、それ以外の山伏を偽山伏として諸国での活動を禁止した。

これを機に、山岳に定着するものと、里修験・町修験として地域に定着するものに二分していった。

十界論(じゅっかいろん)

天台宗の教義で、人間の心の境地を十種類に分類したもの。

  • 仏界
  • 菩薩界
  • 縁覚界
  • 声聞界
  • 天界
  • 人界
  • 修羅界
  • 畜生界
  • 餓鬼界
  • 地獄界

に分けられ、上から四つを「四聖」、残り六つを「六凡」とし、「六凡四聖」ともいわれる。

十社行幸(じゅっしゃぎょうこう)

天皇が特定の神社に赴いて祈願した神社行幸から始まり、特定の十社に定例化したもの。
第66代 一条天皇以来に神社行幸が行われるようになり、第70代 後冷泉天皇の頃には七社行幸(石清水、賀茂、春日、平野、大原野、松尾、北野)が定例化、第71代 後三条天皇の御代に三社(日吉、稲荷、祇園)が加えられ、十社行幸となった。

須弥壇しゅみだん

本尊を安置するために一段高く設けられた場所。
古代インドの世界観の中で中心にそびえる山、須弥山しゅみせんに由来する。

須弥壇の上は仏の領域とされる。

五蘊(ごうん)(身体と精神活動を構成している五つのカテゴリー)の一つ。

鐘楼(しゅろう)

鐘つき堂のこと。
鐘のかわりに太鼓を置いている場合は、鼓楼(ころう)という。

准胝観音じゅんていかんのん

六観音の一尊。
ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが仏教に取り入れられ、日本では変化観音の一尊になっている。

「准胝」というのはインドでは女性名詞で、観音の中で唯一の女尊である。
七倶胝仏母准提陀羅尼経では「仏母」と説かれており、諸仏の母という位置付けで、子だから・安産を祈る。
手が多いことから、千手観音と間違われることが多いが、正面の二手が「説法印」を結んでいれば准提観音である。
(千手観音は合掌)

松雲元慶(しょううんげんけい)

黄檗宗の仏師。
明風彫刻の影響による独特の表現を示した。
五百羅漢寺(東京)の羅漢群像が有名。

貞観儀式(じょうがんぎしき)

平安時代前期、貞観年間(859~877)に編纂されたとされる儀式書。全10巻。
ただし、現存書の書名は単に『儀式』となっている。

  • 巻一から巻五・・・「祈念祭儀」「践祚大嘗祭儀」「天皇即位儀」等。主要な恒例祭儀と代始諸儀
  • 巻六から巻八・・・「元正受朝賀儀」「正月七日儀」「五月五日節儀」等。毎年の年中行事
  • 巻九から巻十・・・「飛駅儀」等。政務に付随して行われる行事や、臨時儀式

が記されている。
特に、巻二から巻四の「践祚大嘗祭儀」は践祚・大嘗祭儀式の典拠として重要視されている。

聖観音しょうかんのん

観音菩薩のこと。
六観音のような変化観音が出てきたことから、それと区別するために、基本的な観音菩薩を聖観音、あるいは正観音としている。

正法輪身(しょうほうりんじん)

仏が、教えを伝える手段として3種類の姿(身)になって現れる、という三輪身の一つ。
宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く「菩薩」の姿を現す。

聖衆(しょうじゅ)

浄土教で、臨終の際に救うために阿弥陀如来と共に来迎する仏たち。

声明(しょうみょう)

経文や真言に節をつけて唱える仏教音楽。

天台密教などでは、音律には密教的な意味があるという考え方を持っており、天台声明が五行思想や密教的宇宙観にのっとって理論づけられている。

声聞(しょうもん)

仏の声(説法)を聞いて悟った人。
元々は仏弟子の意味だった。

縁覚の下に位置づけられる。

成唯識論じょうゆいしきろん

法相宗の中心的論書。

「万物、すべての存在は識(唯識)だけである」と説き、認識を通してのみ一切の存在はあるのだとする。
つまり、すべてのものは自分の心から生まれるものであり、自分の心を離れて存在するものではない。
一切の万物は自分の心(認識)そのものである、と考える。

その認識は六識(目、耳、鼻、舌、身、意)と、そのさらに奥にある二識(末那識まなしき阿頼耶識あらやしき)で行うものとしている。

  • 末那識まなしき:時と所に応じて自我を自我たらしめる意識のこと。
  • 阿頼耶識あらやしき:無限大の容れ物という意味。すべての行為が経験として消えることなく残り、煩悩となる存在が種子として宿ったもの。

唯識の教えは、末那識と阿頼耶識を修行によって自覚し、それを無()にすることで悟りを得ようというもの。

請来(しょうらい)

留学した僧が経典や論書、絵画、法具などを持ち帰ること。
あるいはその品々のこと。

丈六じょうろく

1丈6尺のこと。
1尺がおよそ30cmで、1丈は10尺。
1丈6尺はおよそ4.8mになる。

釈迦の身長は1丈6尺あったとされ、しばしばそれに合わせて立像は1丈6尺、坐像は半分の8尺で造られた。
それよりも大きいものが大仏とされる。

諸行無常しょぎょうむじょう

すべてのものは変化し続けるという意味。
三法印の一つ。

いつまでも若く、美しく、健康であるわけではない。
また、喜びもあれば悲しみもある。

このような変化を積極的に受け入れて、全てが無常なる存在だということを本当に理解できれば、人は苦しみから遠ざかることができる、ということ。

続日本紀(しょくにほんぎ)

日本書紀に続く漢文の正史、六国史の第二にあたる。
第42代 文武天皇(697年)から第50代 桓武天皇10年(791年)に至る95年間が記されている。
奈良時代の基本史料。

菅野道真らにより延暦16年(797年)に完成した。

続日本後紀(しょくにほんこうき)

日本書紀に続く漢文の正史、六国史の第四にあたる。
第54代 仁明天皇ご一代の御代18年間(833年~850年)が記されている。

平安時代、文徳天皇の勅命により斉衡2年(855年)に編纂が開始され、貞観11年(869年)に完成。
天皇親政から摂関政治へうつる時代の根本史料。

諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)

1665年(寛文5年)、江戸幕府4代将軍・家綱のときに、神社や神職を統制する制度。

初唐様式(しょとうようしき)

唐の初期に伝わった、芸術的表現の特徴。
人物や仏像などの写実的で量感のある表現や豊かな色彩などが特徴的。

諸法無我しょほうむが

全ての存在には我(不滅で単一の実体)がない、という意味。
三法印の一つ。

全てのものはいくつかの要素が相互に関係して成立しており、集合体の要素はいつかはバラバラになる。
「"我"でないものを"我"であるかのように執着しない」ということが本当に理解できれば、苦しみから遠ざかることができるということ。

白川家(しらかわけ)

第65代 花山天皇の皇孫、延信王から始まり、神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家。
白川伯王(はくおう)家ともよばれる。
神祇官の長官である神祇伯を世襲した家柄。

神位・神階(しんい・しんかい)

神位・神階は神様に対して朝廷から与えられた位階。
文位(位階)、勲位(武位)、品位の3種類ある。

  • 文位(ぶんい)(位階)・・・功労に応じて得られる位。神に対するものは正六位から正一位まで15階がある。
  • 勲位(くんい)(武位)・・・武勲を上げた場合に奉献される。勲十二等から勲一等までの12等がある。
  • 品位(ほんい)・・・皇族に与えられたものが神様に奉献されたもの。

このように位階を奉授するのは、神祇の祟りを鎮め、霊験を高め、御利益を得るためである。

神祇官(じんぎかん)

奈良時代以降、律令の時代に太政官から特立して神社行政を担った役所。
律令時代の神祇官は、太政官と並ぶ中央最高官庁だった。

神祇官代(じんぎかんだい)

武家時代になって衰退した神祇官に代わり、祭祀の一部を代行したところ。
江戸時代に入り、応仁の乱以降の180年ぶりに復興した神嘗祭の際、吉田神社の斎場所が神祇官代にあてられ、そこから奉幣使の派遣を行った。
この神祇官代は明治維新まで存続した。

神祇官興復運動(じんぎかんこうふくうんどう)

神職たちが「国家の宗祀」の本来の姿を求め、廃止された神祇官を再興させようとして行った運動。

明治10年、教部省が廃止され、社寺行政が内務省社寺局に移管されると、社寺は氏子檀家・神官僧侶が責任を負うものとし、明治12年には府県社以下の神官の官吏としての身分を廃し、寺院僧侶と同等扱いとなった。

そして明治20年(1887)には、政府は「神官」の呼称を廃止、「神職」に定め、官国弊社保存金制度を導入。
これは、伊勢神宮と靖国神社を覗く全ての官国幣社に対して、向こう15年間に一定額を甲府市、その積立金をもって神社維持の基本金とさせ、その後は幣帛を取りやめ、神社への財政的支出を打ち切るというものだった。
こうした事態に神職たちが危機感をもち、神祇官興復運動を始めた。

結局、神祇官の復活にはならなかったが、待遇は改善され、内務省社寺局は神社局と宗教局に再編成され、神社を宗教の外に置くこととなった。

神祇省(じんぎしょう)

明治4年(1871)、より実質的な祭政一致を目指し、律令制以来の神祇官を廃止して新たに作った機関。
太政官の下の組織。

明治5年には、社寺を中心とした宗教行政全般を所管する教部省に改組された。

神祇伯(じんぎはく)

律令制(養老令)における神祇官の長官。
「神祇令」とその別式(細則)にしたがって祭祀を運営した。

神祇令(じんぎれい)

律令制度の中で、祭祀の基本を定めたもの。
現在知られているものは養老令の注釈書、令義解によるもの。

神祇祭祀として13種19のお祭りが定められている。

  • 仲春(ちゅうしゅん)(2月):祈年祭
  • 季春(きしゅん)(3月):鎮花祭(はなしずめのまつり)
  • 孟夏(もうか)(4月):神衣祭(かんみそのまつり)三枝祭(さいぐさのまつり)大忌祭(おおいみのまつり)風神祭(かぜかみのまつり)
  • 季夏(きか)(6月):月次祭(つきなみのまつり)道饗祭(みちあえのまつり)鎮火祭(ひしずめのまつり)
  • 孟秋(もうしゅう)(7月):大忌祭、風神祭
  • 季秋(きしゅう)(9月):神衣祭、神嘗祭
  • 仲冬(ちゅうとう)(11月):上卯相嘗祭(かみのうのひのあいなめのまつり)寅日鎮魂祭(とらのひのたましずめのまつり)下卯大嘗祭(しものうのひのおおにえのまつり)
  • 季冬(きとう)(12月):月次祭、道饗祭、鎮火祭

神宮教(じんぐうきょう)

明治15年(1882)にできた、伊勢講を母体とした教派神道の一派。
明治期に御師が廃止されたことで、その代わりにできた伊勢神宮の教化機関、神宮教院から始まった。
神宮大麻などの頒布にも携わった。

明治32年(1899)には、神宮教に代わり、崇敬者組織として財団法人神宮奉斎会が設立された。

神宮寺(じんぐうじ)

神社に付属して建てられた寺のこと。
神願寺、神護寺、神宮院ともいう。

初期の神宮寺は、人間とおなじように神も苦悩する存在で、そんな神を仏法によって救おうという神身離脱説にもとづいて建立された。

しかし、明治維新の神仏分離で神社と寺が分かれ、廃寺となったものも多い。

神郡(しんぐん)

律令制下において特定の神社を維持するため、その神社に奉仕することを定められた郡。
出雲国造(いずものくにのみやっこ)紀国造(きのくにのみやっこ)などの郡司がおかれた。

8世紀の段階では8郡が定められていた。

  • 神宮・・・伊勢国度会(わたらい)郡・多気(たけ)
  • 香取神宮・・・下総国香取郡
  • 安房神社・・・安房国安房郡
  • 鹿島神宮・・・常陸国鹿島郡
  • 熊野神社・・・出雲国意宇(おう)
  • 日前・国懸(ひのくま・くにかかす)神宮・・・紀伊国名草郡
  • 宗像大社・・・筑前国宗像郡

神国思想(しんこくしそう)

日本の国土とそこにあるすべてのものは,神々によって生成され,護られているという思想。
2度の蒙古襲来(元寇)以来、この思想が高まった。

真言しんごん

密教経典に由来するもので、「必ず効果のある真実の言葉」という意味。

サンスクリット語でいうマントラのことで、元々は神々を称える賛歌やバラモン教において儀式のときにつぶやく呪文のことだった。
それを唱えると必ず効果があると考えられていたものが、後に「仏の言葉」となった。

仏の言葉である真言は、通常の言語に置きかえて訳すことは不可能なことを教えているので、その意味を詮索したところで真意はとらえられない。
それよりも、音そのものに不思議な力があり、唱えることに意味があるとされている。

神今食(じんこんじき)

年2回の月次祭新嘗祭の夜に行われた宮中の神事。
天皇が宮中の神嘉殿に天照大神をお招きし、食事を共にされる儀礼で、神祇令で定められている祭の一つ。
新嘗祭では新穀を用い、月次祭では旧穀を用いる。

神社行幸(じんじゃぎょうこう)

10世紀中頃から始まった、天皇ご自身が特定の神社に赴くこと。
ただし、ご自身で参拝するのではなく、社頭近くの行在所から直視を遣わして拝礼される。

第66代 一条天皇の御代から制度化され、一条天皇から第68代 後一条天皇の御代には、一代一度の行事として盛んに行われた。

神社神道(じんじゃしんとう)

明治以降に、教派神道と区別するために作られた用語。
最も基本的な、神社を中心とする神道を指す。

教派神道が宗教として認められていたのに対し、神社神道は国家の祭祀を重視する非宗教的な神道の一派と理解されていた。
各神社の伝記や縁起、そこに奉仕する神職家に伝わった神道ということである。

神儒一致説(しんじゅいっちせつ)

神道と儒教は究極的に一致し、神道を仏教の教理で理解するのは間違いで、儒学によって理解するほうが適切である、とする儒家神道の説。
朱子学者の林羅山が説き、儒家神道家に共通する考え方となった。

神身離脱説(しんしんりだつせつ)

神も人と同じように輪廻を繰り返し苦しむ存在で、その苦境から脱するためには神の身を離れ、仏教に帰依することが必要、とする説。
仏教の勢力が増した奈良時代に生まれた考え。

神々を解脱に導くために、神社の境内や隣接する場所に神宮寺が建てられた。
「神願寺」「神護寺」と名がつくお寺はその名残。

同時代にここから派生して出てきた考えに護法善神説というものもある。

神勅(しんちょく)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天孫降臨の際、天孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)に下されたお言葉。

【三大神勅】

  • 宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅:この鏡はわたしの御魂として大切に祀りなさい。
  • 天壤無窮(てんじょうむきゅう)の神勅:葦原の限りなく瑞穂が実るこの国は、わが子孫が王となるべき地である。皇孫よ、行って治めるがよい。天地のあるかぎり、永遠に栄え続けるだろう。
  • 斎庭の稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅:わたしが高天原で食している斎庭(神聖な田)の稲穂を、わが御子に与えよう。

国の原点と繁栄を約束・祝福されたもので、歴史的に重要な意味を持つ。

さらに、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)天児屋命(あめのこやねのみこと)太玉命(ふとたまのみこと)に下した二つの神勅を合わせて、五大神勅という。

  • 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅:私は天津神籬と天津磐境をつくりあげて、皇孫のために謹んで祭ろう。天児屋命と太玉命は天津神籬をもって葦原中国(あしはらのなかつくに)に降り、皇孫のために謹み祭りなさい。
  • 侍殿防護(じでんぼうご)の神勅:お前たち二神は、共に同じ建物の中に侍って、よく御守りの役をしなさい。

新撰姓氏録(しんせいしょうじろく)

第52代 嵯峨天皇の命で編纂(815年)された、古代氏族名鑑。

  • 皇別・・・天皇家から分かれた氏族
  • 神別・・・神代から続く神々の子孫。さらに3つに分類。
    • 天神・・・天つ神を祖先とする氏族
    • 地祇・・・国つ神を祖先とする氏族
    • 天孫・・・日向三代を祖先とする氏族
  • 諸蕃・・・渡来人系の氏族

さらに、伝承と記録との間に齟齬があるものは未定雑姓(みていざっせい)とされ、保留されながら記されている。

に分類されている。

神饌(しんせん)

神祭りの際に神に供える飲食のこと。
調理しない生饌(せいせん)と、調理した熟饌(じゅくせん)がある。

神像(しんぞう)

神観念の人格化の進展と仏像の影響から造られた神の像。

奈良時代後期に造られるようになり、貴族の男女の正装姿の俗体形(ぞくたいぎょう)と、僧侶の姿である僧形(そうぎょう)のものがある。

中近世には鏡像や懸仏などの御正体(みしょうたい)も登場する。

神道五部書(しんとうごぶしょ)

伊勢神宮外宮の地位が内宮より低く見られていたことから、これを内宮と同等、あるいはより優位にするために唱えられた伊勢神道(度会神道)の教典。

以下の5書を総称して神道五部書という。

  • 天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき)(御鎮座次第記)
  • 伊勢二所皇太神御鎮座伝記(いせにしょこうたいじんごちんざでんき)(御鎮座伝記)
  • 豊受皇太神御鎮座本記(とようけこうたいじんごちんざほんぎ)(御鎮座本記)
  • 造伊勢二所太神宮宝基本記(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんぎ)(宝基本記)
  • 倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)

その中でも、御鎮座次第記、御鎮座伝記、御鎮座本記は「三部の書」とされた。

神道裁許状(しんとうさいきょじょう)

吉田神道の吉田家から出された、神道に関する種々の免許状。
宗源宣旨と共に、吉田神道を全国に広めるきっかけとなった。

神道事務局(しんとうじむきょく)

明治8年(1875)、教部省解体後、神官教導職および神道系民間宗教の教職者たちが作った団体。

神道事務局の神宮遥拝所に奉祀する祭神をめぐって、伊勢派と出雲派が対立、全国の神職を巻き込んだ祭神論争となった。
神殿には造化三神ぞうかさんしん(天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神)と天照大神の四柱が祀られていたが、出雲派が「幽顕一如」を掲げ、大国主神も加えて五柱で祀るべきであると主張した。

明治天皇の勅裁により、「神官は宮中三殿を遙拝するべし」とされ、出雲派を退けた。

この論争で神道の教義がいかに未成熟なものであるかということが明らかとなったことから政府は、神道の祭祀を一般の宗教から分離、国家祭祀にして明治17年(1884)には教導職自体も廃止した(神社非宗教論)。

これにより、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退、神社事務局に代わって明治15年(1882)に神道の研究・教育機関、皇典講究所が設立された。

神道集(しんとうしゅう)

関東など東国の神社の縁起を中心としつつ、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話が載っている説話集。
全10巻で50話を収録。
南北朝時代中期に成立した。

神皇正統記(じんのうせいとうき)

南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、南朝の正統性を述べた歴史書。
神国論や三種の神器論など、後世に影響を与えた。

神封(しんぽう)

神社に対して寄進された民戸。
神戸(かんべ)とほぼ同じ意味。

ある神社の神様が顕著な霊験を現わされた時に、その神様に与えられる。
神封の住民は租税や課役を神社に納めた。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)

日本土着の神祇信仰と、大陸から伝わった仏教信仰を一つの信仰体系として再構成(習合)すること。
2つの宗教が緊密化したことで、天照大神は大日如来と、大国主命は大黒天に等、神を仏に当てはめる(習合)ようになり、神前で読経を行ったりなど信仰の区別がつきにくくなった。

神仏判然(しんぶつはんぜん)

慶応4年(1868)、新政府による、寺院と神社を分離する命令。
これにより僧侶が神社の祭祀に携わることを禁止、大菩薩や権現などの仏教に基づく神号が廃止された。
神社内の仏教施設を取り除くことも求められた。

神仏分離(しんぶつぶんり)

神事と仏事は厳格に区別されるべき、という考え。
奈良時代、心身離脱説など神仏習合の動きに反論する形で生まれた。

第46代 孝謙天皇の御代、法相宗の僧、道鏡による宇佐八幡宮託宣事件があり、それにより王権存立の危機が生まれたことからこの考えが強まった。

垂加神道(すいかしんとう)

江戸時代前期、山崎闇斎によって唱えられた神道説。
吉川惟足から吉田神道を、神宮大宮司の河辺清長から伊勢神道を伝授され、それらを朱子学の理論によって統合した。

「垂加」とは、「神垂祈祷、冥加正直」からとられた言葉で、「神は人の祈祷や正直に対し、恵みを垂れ加える」という意味。
闇斎は、生前に自らの霊魂を「垂加霊社」に祀って拝んだ。

また、吉川惟足が強く打ち出した「土金」の「つつしみ」を重視した。

垂加神道は、神道の理論的支柱として江戸時代中期にかけて、天皇、公家、武家、神職に広く浸透し、後の国学、復古神道の興隆とともに尊王思想や水戸学にも大きな影響を与えた。

垂迹画(すいじゃくが)

本地垂迹説の考えに基づいて描かれた絵。
代表的なものは垂迹曼荼羅で、これには仏(本地)を密教の曼陀羅のように配した垂迹曼荼羅と、神社の風景を浄土のように描いた宮曼荼羅の二種類がある。

主基(すき)

大嘗祭の際、悠紀と共にト定で選ばれた、新穀・酒料を献上する第二の国郡とそのときの祭場。

2番目、「次」の意を表す。

盛唐様式(せいとうようしき)

初唐様式がさらに進み、人体などは豊満な感じに理想化された写実表現となり、色彩もより豊麗になっていることが特徴。

摂社(せっしゃ)

大きな神社では、本社に付属した小神社が境内や境外に鎮座している。
それらのうち、本社の主祭神と縁故関係にあるものを摂社、あるいは枝宮(えだみや)枝社(えだやしろ)、枝神ともいう。

それ以外にも、本社に付属している社に「末社」があるが、現在は摂社と末社の区別は、必ずしも厳密ではない。

清涼寺式(せいりょうじしき)

北宋より請来した、特異なインド風のスタイルを持つ京都・清涼寺の釈迦如来像の形式。
縄状に巻く頭髪や、首近くまでせまった独特の衣文などが特徴。

日本ではこれを「生身の釈迦」などと称し、特殊な信仰を集めて多くの模像が造られた。

世寿(せじゅ)

死んだ時の年齢。享年、行年に同じ。

世親(せしん)

五世紀頃のインドの僧で、有能な仏教学者でもある。
はじめは大乗非仏説を唱えていたが、兄の無著(むじゃく)に導かれ、大乗に転じた。

施身聞偈図(せしんもんげず)

仏教美術の画題の一つ。

雪山童子(せっせんどうじ)(前世における釈迦)が羅刹(鬼)のしょうずる偈(仏法を説いた詩)の残り半分を聞くために、高所から身を投げてわが身を羅刹に喰わせる話。

説法印(せっぽういん)

転法輪印の通称で、釈迦が説法する時の印相

施無畏印(せむいいん)

衆生のさまざまな恐怖をのぞき安心させる印相
与願印と対をなす。

遷化(せんげ)

僧が亡くなること。「示寂(じじゃく)」、「入寂(にゅうじゃく)」、「入滅(にゅうめつ)」ともいう。

善光寺式(ぜんこうじしき)

長野・善光寺の阿弥陀如来像(三尊形式)のスタイル。
中尊の印相や脇侍の腕の組み方などに特徴があり、これを模して多くの仏像が造られた。

禅宗ぜんしゅう

特定の宗派を指すのではなく、坐禅をする宗派(臨済宗りんざいしゅう曹洞宗そうとうしゅう黄檗宗おうばくしゅう)のことをまとめて「禅宗」という。

釈迦を修行の最終目標とし、坐禅(瞑想)によって釈迦と同じ悟りの境地を目指す。
そのため、本尊は定印の釈迦如来像を本尊とすることが多い。

千手観音せんじゅかんのん

六観音の一尊で、正式名は千手千眼観自在菩薩せんじゅせんげんかんじざいぼさつ

千本の手を持ち、それぞれの手に一眼を備え、千の慈手と千の慈眼で人々を救うとされている。

仏像としては正面で合掌している2本の手と、40本の手で造られていることが多く、40本の手はそれぞれ25の世界の人々を救う。
そのため、「40×25=1,000」となり、それによって千手とする場合が多い。

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)

「旧事本紀」「旧事紀」ともいう。
天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている歴史書。

聖徳太子と蘇我馬子が推古天皇の勅命を受けて編纂したとされているが、実際は平安初期に成立したと考えられている。
古代の氏族の伝承が記されているが、物部氏の祖先神とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)に関する独自の伝承が多いことから、物部氏の手による書物とも考えられていて、偽書という見方もある。

記紀や古語拾遺の文章を引用している部分が多くみられ、天地開闢から推古天皇までの神話と歴史、そして大化の改新以前の144国の国造の起源が記されている。
全十巻。

先達せんだつ

先に修行を積んで、他を導くこと。
またはその人。

僧房(そうぼう)

僧の住居。

想蘊そううん

感受した刺激を意識の上で対象として捉えること。

五蘊(ごうん)(身体と精神活動を構成している五つのカテゴリー)の一つ。

創学校啓(そうがっこうけい)

江戸中期の国学書、荷田春満による、学校設立請願書の草稿。
幕府・諸藩の学校教育が儒教中心主義であることを批判し、国学を中心とした学校の設立を幕府に進言しようとした。
実際には提出されなかったが、後の国学者に大きな影響を与えた。

息災(そくさい)

仏の力で災害や病気などの災いを祓うこと。

即身仏そくしんぶつ

死後も衆生救済に尽くすことを願い、厳しい修行のすえ絶命し、肉体をミイラとして残してなった仏。

木食修行もくじきしゅぎょう(食事を木の実だけにし、生きながら体の脂肪や水分を落とす)をし、その後土中入定どちゅうにゅうじょう(穴を掘って呼吸だけ出来るようにして生き埋めになり、断食をしながらお経を読む)という荒行を行ってミイラとなる。

死後も1000日ほど埋められてミイラ化されるのを待ち、その後掘り出されて仏として奉られる。

宗源宣旨(そうげんせんじ)

室町後期から江戸時代にかけて、吉田神道の吉田家が諸国の神社に位階,神号などを授けた証状。
吉田神道の吉田兼倶が始めた。

本来、神位・神階は公家の会議や天皇へお伺いをたてて与えられるものでしたが、中世には廃絶。
そこで兼倶は勅許を得て発行していたが、後に吉田家の裁量で授与されるようになった。

神道裁許状と共に、吉田神道を全国に広めるきっかけとなった。

相好(そうこう)

仏の身体的特徴を表す「三十二相八十種好」のこと。

総社(そうじゃ)

一宮制が成立した頃にできた、国内の一宮、二宮以下の神社を勧請して一括で参拝できるようにした社。
国内の神社を巡拝しなければならない国司神拝の労を軽減するためにできた。

一国全体の総社以外にも、それぞれの地域の総社もあった。

即身成仏そくしんじょうぶつ

真言密教の思想で、人間が生きながらにして悟りを開き、仏になること。
ミイラになる即身仏とは別物。


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